なぜ書くのかを改めて考えてみた。


2020年も3ヶ月が過ぎようとしている。年始に親友2人とその年1年のお互いの目標を決めてシェアする会をやっており、2020年の目標として「noteで発信し続ける」という目標を立てた。「自分が貢献できる領域を増やすことで将来自分の名前で仕事や副業をする」ための手段としてnoteでの発信をする選択をした。まぁまぁお硬い動機ではあったが、今年の目標設定会で決めたこの動機でまずは3ヶ月間やってみることにした。

3ヶ月の振り返り

結果的に「3ヶ月間で1投稿のみ」という目も当てられない状況。。。本来であれば2週間に1回は投稿するつもりだったので全くできていない。
なぜこのような状態になったか、整理するために3つの切り口で思考してみた。

1:目標設定について

→2週間に1回記事を書くという目標は自分にとって時間を割くことは決して不可能ではない。日々の隙間時間を活用してネタを集めつつ、書く時間は1時間程度で書き上げる。自分にとって「2週間に1回」は何一つ難しいことはないはずだったのに。。。。

2:手段は適切だったのか?

→次にnoteという選択が果たして適切だったのかという視点。正直「ブログサービスであればなんでもよかった」が第一であったが、総じてtwitterやinstagramなどの短文投稿サービスは合わないことだけは明確にあった。数年間にいくつか記事を投稿したstorys.jpでもよかったのだが、流行っているサービスに手をつけてみる、どうせなら多くの人の目に触れてほしい(単純に今流行っているサービス=数が多かろう)というミーハーな流れでnoteを選択したという背景。「短文投稿サービス」でなければなんでも良いと言ったところが正直なところであった。


3:動機について

→残るはこれ。そもそもの動機づけに違和感があるかどうか。今年の1月に考えたことについては嘘は全くない、且つ、「貢献できる領域を増やすことで将来自分自身の名前で仕事や副業をする」という軸も変わっていない。特に違和感はない。

気づいたきっかけ→過去の自分の思考を知ること

堂々巡りの思考を巡らせて数週間、僕のFBに以下の投稿がシェアされた。

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身近にいればいるほど、蔑ろになる。
短い人生の中で何かの縁で知り合えた、大切な人なのに。
卒業、入学、入社、転勤、転職。
新たな季節を新天地で迎える人へ。
https://storys.jp/story/7168
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これは以前storys.jpというサービスで書いた記事だ。公式がシェアをしてくれたらしい。この投稿と投稿元の記事を読み終えた後面白い感情が湧き上がった。

それは「25歳当時の自分が何を考えを知ることは楽しい」という感情である。もう7年前の出来事だが当時の自分が何を思考・経験し、思考や経験を通して何を考えていたかに触れることは当日を思い出すきっかけになる。また今の自分と照らし合わせることで変わった部分、変わらない部分も見えて自分自身がどのように変化しているか知ることができた。

この「楽しい」という感情が自分にとっての「書く」を再定義してくれた。

改めて考える「自分にとって書く」意味

自分にとって書くことは「その瞬間の思考を残しておくため」である。7年前に書いた数々の記事を読むと「語ってんなー」とか(今もか(笑))「バカなことやってんなー」などなど、様々な感想や感情が出てくる。

2013年〜2020年の7年間という短い時間ですら、楽しい・面白いと思えているということは、書くことを積み上げていき、死ぬ直前に振り返ったら「いい人生だった」って言えるんじゃないか?と感じた。壮大な実験である。モチベーションが続くかどうかはわからない。

だがしかし、SNSが発達したことでnoteのように自分の思考をストックしやすく、またシェアという概念が自分の思考を引き出しやすくしてくれるため、過去と今を紐づけるには一番良い距離感が構築されているんじゃないかと思っている。

じゃーね!



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