見出し画像

『永楽帝 華夷秩序の完成』

中国史上、傑出した皇帝のひとりである明の成祖・永楽帝。
ある種のクーデターである「靖難の変」で甥の建文帝政権を瓦解させて皇帝に即位する。
父である洪武帝の事業を積極的に拡大して明王朝の盛時を現出させた。
本書は永楽帝の評伝であるが彼の生涯を通じて明王朝の歴史的位置づけを試みた元末明初史として読める。

名君と名高い唐の太宗もまた彼と同じように、親族に手を下して玉座を「簒奪」したという負い目を背負いながらも王朝の盛時を現出させたことから、二人はよく比較されてきた。
永楽帝自身が唐の太宗を意識したのは間違いないだろうが、彼の言行や政策からみると目標としたのは元のクビライであったという指摘は説得力がある。
明王朝は漢人の手によって異民族による征服王朝から中華を取り返した政権という評価が前面に出されがちである。
この認識が元王朝から明王朝への政権交代を断絶として捉えさせ、その連続性を隠してしまっていた。
これは歴史家が陥りがちな「盲点」である。
クビライと永楽帝との関係は文字通り目からウロコである。

海禁政策と朝貢貿易は経済的な側面を強調されて語られることがあるが、永楽帝の狙いは政治的な効用を企図している。
北にモンゴル、南に倭寇の対策を同時に行い、しかも「簒奪」の負い目を払拭するために永楽帝が採ったのが華夷秩序の復活だったのである。
中華皇帝としての権威確立が主たる目的であり、管理貿易による利益独占はむしろ副次的な産物なのである。
「簒奪」と権威確立のために残虐な手段で数多くの粛清で手を血に染めた皇帝は、王権の正統性を示すために伝統的儒教の理念に忠実でもあった。
華夷秩序の完成はそのひとつである。
ある意味で永楽帝は良くも悪くも、最も中華皇帝らしい皇帝だったともいえる。

文庫版のあとがきにて触れられている中華における「天下」については、同著者による『天下と天朝の中国史』(岩波新書)に詳しい。
岩波新書で続刊中の「シリーズ中国の歴史」で檀上氏は第4巻を担当している。
こちらも楽しみだ。

====================
『永楽帝 華夷秩序の完成』
著者:檀上寛
出版:講談社(講談社学術文庫)
初版:【版切】2012年(原著は講談社より1997年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?