どうでもいいことと、どうでもよくないこと
ニュースとかSNSとか見てると、「どうでもいい」「どっちでもいいやん」と思う。ㅤㅤ
メディアの切り取りも、コメンテーターの熱い語りも、そっち側が得するようなパフォーマンスなのかもしれない。ㅤㅤ
そんなふうに思ってしまうからか、私は、自分のことと、自分が手に届く範囲にしか興味がない。
でもまあ、好きでニュースもSNSも見ちゃうんだけども。
自分のことと、自分が手に届く範囲にしか興味がなくて、その、「自分が手に届きそうな範囲」は、これから広がりもするだろうし、しんどいときは狭まりもするんだろう。
今の私にとって、「どうでもよくないこと」は、自分と自分を取り巻く周りのこと。範囲はまだまだ狭く、家族だったり、仲良い友だちだったり、クライアントさんだったり、こちら側にいてくれる人だったりする。
私はまずはそのうちの、「どうにかしたい」と感じるところに関わっていきたい。
「どうにかしたい」というのは傲慢な気もする
けど、それくらい熱く願うこともあるし、「どうにかなれば嬉しいな…」くらいのぬるい思いのときもある。
「ここだけは、せめて大切にしたい」っていうことなのかな。
とは言え、私が知り得るのは、自分と、自分の身近にいる人や物事、自分が出向いたところ、ニュースやSNSとか。
そういう感じ。
まずは、私は私のことを「ちゃんと」理解したい。
自分の意見を持っていたい。
自分の意見をもっていないと、本当のところがつかめない。「カオナシ」の弟子になるような気がする。それは嫌だ。
ひとりよがりに自己理解するんじゃなくて、現実的社会的な評価軸とか位置付けではどうか、とかもあわせて、自分のことを理解していきたい。
「私はコレしたくて、コレやってて、こう考えているんですけど」っていう前置きを持っていたい。
自分を明らかにしてものを言いたい。
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あと、わが家の、いろんな意見をもったいろんな「クセつよ」の人を認めていく。
否定せず認める。
否定する人がいることも、認める。
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いろんな人のいろんな意見を、「そうなんだね」と受け止めはするけど、私は迎合しない。
自分の心を大切にするべきだから。
自分の心を表現してもしなくてもいい。
自分の心があるのは確かだから。
私にできることから手をつけていく。
私がやりたいことをやらせてあげる。
私の態度を見せることで、自然と気づくようになるんじゃないか。
これは、まだ問いなんだけど、確かめていく。
なので。
2024年は、自分のプライドに賭けて、やりたいことをやり遂げる。
やりたいこと全部手当たり次第には、やらない。自己管理能力を上げるか、誰かの力で補っていく。
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あけおめです。
ぐいぐい行きがちでしたが、ほどよく健全な距離感を保てる人間に、私は、なる。
いつもよろしくやってておくんなまし。
いつもよろしくお願いします。
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