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平成生まれの僕が感じる「生き苦しさ」の正体。

2021年が幕を開けた。2020年は全世界にとって激動の1年。筆者自身も新卒から8年勤めた会社を辞め、友人と社会保険労務士事務所を開業した。そういった自身の環境の変化もあり、今まで以上に人生や自分自身の今後について考えることが増えたので、今思ってることを書き留めておこうと思う。本記事では、今まで生きてきた中で感じてきたある”違和感”について、備忘録がてらに考察していこうと思う。この記事が同じことで苦しんでいる人の助けになればうれしいと思う。

■小学生の頃から感じてる違和感

僕には小学校くらいの頃から、生きるなかで感じている違和感がずっとあった。言葉にすると「生き苦しい」っていう感覚。

それは一言で表現するのが難しいけど、どこか「自分の人生を生きていない」感じ。これまでの人生、僕はあらゆる選択肢を自分の意思で選択をしてきたつもりだが、そこにはどこか同調圧力みたいなものを感じてきた。小学校のときに習っていた習字や野球や学習塾、難関大学と呼ばる大学に入るために選び、青春を勉強にささげた高校時代など、よく思い出してみれば母親の望む選択肢であり、社会的に「正しい」道を自らが選んだかのように選択してきた。社会的な「正しさ」とは、例えば「いい大学に入ったら将来安泰」とか、「公務員や大企業に入らないと人生詰み」など、要するに「レールから外れることをするならゲームオーバー」そんな圧力を選ばないといけないとずっと思っていた。

■人生の決断

そんな僕が今年の6月にサラリーマンを辞めた。生まれて初めて、いわゆる「レール」から外れた。自分の人生にとっては間違いなく大きな決断だった。

サラリーマンを辞めるといっても、起業への憧れとかそんなかっこいいものではなく、自分の責任で生きたい・自分の意思で決定できる環境にいたい、そんな感覚に近い。今後当面は会社に属さず、事業主として自身の力で生きてみたいと思っている。

実際、会社辞めるときははやっぱりとても怖かった。前職は入社した8年前は、社員30人程度のITベンチャー企業だった。自分の在籍している間に売上規模でいうと10倍とかで一部上場会社のグループにもなったし、働きやすいホワイト企業だった。とても恵まれた環境だったと思う。客観的に考えたらそのまま続けていても何不自由はなかったし、やりがいもあった。でも、その「生き苦しさ」を乗り越えないかぎり、自分は一生モヤっとし続けたまま生きるのだろういうことは直感的にわかっていた。だから、正体のわからない不安に怯えながらも、その違和感の正体が知りたくて会社を辞める決断をした。

自分でもなぜその決断をできたのか、決断をして半年経って、ようやく言語化できるようになった。それは、50年後に「社会のせいだこうなった」と言って、自分以外の誰かに責任を押し付けて生きていくことをしたくないから。明らかに社会の在り様が変わった令和時代、これまでの終身雇用や年功序列といった、誰かの唱える「正解」で時間を満たすだけで優遇されることはないと信じている。だから、自分の信念をもって生きることが後悔しない唯一の方法だと思うようになった。

会社を辞める決断するまでは、「収入なくなるし死ぬんじゃないの?どうなっちゃうの?大胸筋なくなるの?」ってすごく不安に思ってた。

決断を経て半年、わかったことがある。

「収入はもちろん減ったけど、死なないし、大胸筋はむしろ増えている。」

それと同時にずっと苦しんできた「生き苦しさ」はなくなった。「お金稼がなきゃ」とは思うけど、会社を辞める直前の狂ってしまいそうな不安はない。なぜ、そこまで不安で「生き苦し」かったのか。そして、そのネガティブな感情がなぜ消え失せたのか。

先に答えを言うが、自分の感じていた「生き苦しさ」の正体は自分自身の思い込みだったのだ。その心の変遷について以下に詳らかに書いていくことにする。

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■僕の考える「幸福」

僕は「幸福」の状態は、「内発的動機」×「自己決定」の2軸の掛け算であると定義づけている。自分の心に従って、自分で決めるということが、僕の人生にとっては命題である。

まず、前提として僕の「幸福」を実現するためには、「精神的自立」状態である必要がある。つまり、人間の持つ資本である、「時間」と「お金」を誰にも握られていない状態。「貧乏暇なし」という言葉があるが、要するにこれは「貧乏をしていると生活に追われて朝から晩まで働かなければならず、ほかのことをする余裕がないということ。」これの構図としては、お金がないから時間を売らないといけないので働き詰めでずっと忙しい。一方で、お金がある人は時間を売らなくてもよいので、自分の時間を生きることができる。僕はこの2つの資本が両立できた先に、精神の自立があると思っている。この状態が、本当の意味での「自由」であり、僕の「幸福」を実現するには重要な土台である。

■社会に出てからの違和感

とはいえ、サラリーマンとしての時間が苦痛だったわけではなく、むしろ働くのは好きだった。営業先でお客さんに感謝されたり、採用人事担当として採用目標を達成したりすることで達成感もあった。総じて楽しかった。これまで先生や親たち大人に教わってきたセオリーに則ると、その上場会社でそのまま定年まで勤め続けるということが正解だったのだろう。

でも、働きながらずっと心に引っかかることがあった。それは、世の中について勉強をすればするほど、大人たちの言う「正解」が10年、20年後にその通りになっているイメージがつかない。大人たちはこう言う。「勉強していい大学入った後は、大企業で定年まで働き続けて昇進して給料が上がり続けるからそこまで勤め上げて、65歳からは年金で暮らす」そんな人生設計。

でも、社会を見渡すと、経済成長の右肩下がりに下がり始め、人口動態は上半身ばかりが膨れていき、この10年くらいで厚生年金の保険料率も3%以上も増えている。未来はわからないが、様々なデータを見れば見るほど、これまでの大人のいう「正解」の人生を送ることに対する見返りがあることが想像つかない。そう思いながらも「正しさ」を求めて走りつづけたサラリーマンの8年だった気がする。「この先にゴールがあるよ」と言われて走っているものの、その兆しが一向に見えないどころか、年々遠ざかってる気がする。そんな違和感が「生き苦しさ」の要因だということに考え至った。

■「生き苦しさ」の本質

当初、僕は、こうなったのはすべて大人たちのせいなんだと考えていた。大人たちの妄信であり、自分たちの人生のコンプレックスを払拭するためのいい加減なアドバイスだと。でも、よく考えたら、親が意図的に自分の子どもの不利益になるようなことを伝えるだろうか。

そのとき気が付いた。これは大人たちのせいなんかではなくて、大人たちは自分たちの経験則から子どもに彼らなりの「正解」を伝えている。それは「彼ら親たちにとって」の「正解」であり、子を思う優しさであるはずである。つまり、親たちの言う「正解」は外的環境が親の世代から変化していない前提においては正解なのである。

そう考えたときにやっと理解した。自分の思っていた「生き苦しさ」の根底にあったのは、「『正解』があるのだと思い込む自分」だったということに。

そう。僕はずっと人生において、普遍的な「正解」があるものだと思い込んでいて、その実体のないものを探し続けていた。つまり、自分が感じていた違和感は自分の思い込みに起因していたのだった。これに気が付いたとき、自分をようやく肯定でき心が軽くなった。「あるべき姿(=正解)」を追い求める「答え探し」思考が自分を苦しめていたことに気が付いた。

■「答え探し」思考の背景

では、なぜこの「答え探し」思考に至ってしまっていたのか。これはおそらく、これまで受けてきた教育に密接に関わっている。

僕はこれまで、小学校から高校まで学校はほぼ皆勤賞だし、大学もフル単位だし、自慢ではないが非常にまじめに生きてきた自負がある。おそらく、まじめに生きてきた人ほどこの「答え探し」思考が強いのではないかと思う。たしかに、自分が受けてきた日本教育では「1+1=̻■」と必ず答えがあった。国語のセンター試験でさえ、作者の気持ちを問われる小説の設問で文中にない作者の気持ちを書くことは、日本社会では「不正解」なのである。

そう考えると、教育や環境というのは、無意識に思考やかちかを形成する。そう考えると、教育というものはとても意義があるとともに、責任が重いものである。

■日本の教育システムの背景

では、現在の日本の教育システムはどのように形作られるのか。日本の教育方針は、第2次世界大戦後にGHQにより「学習指導要領」の大枠が作られ、その後幾多の改訂を経て、今の教育方針に至るという背景である。平成29年に文部科学省より発表された、学習指導要領の小・中学校教育課程における資料によると、今後の教育方針の前提として以下のように書かれている。

「社会や産業の構造が変化し、質的な豊かさが成長を支える成熟社会に移行していく中で、特定の既存組織のこれまでの在り方を前提としてどのように生きるかだけではなく、様々な情報や出来事を受け止め、主体的に判断しながら、自分を社会の中でどのように位置付け、社会をどう描くかを考え、他者と一緒に生き、課題を解決していくための力の育成が社会的な要請となっている」とある。このように、教育方針と産業構造は密接に結びついており、主要産業を下支えする人材育成としての教育があるということである。つまり、国策としての国の経済活動を最大化するために、国民教育があり、それをもとに教育方針が決まるのだ。

例えば、昭和までの日本の主要産業は車や電化製品などの製造業であり、製造業において必要な人材要件としては、マニュアルを正確にこなせる人間が必要だった。そのため、「正解」を出せる人材への教育が必要だった。その名残が令和の今でも残っていたのだ。昭和の「正解」が、令和ではそうではないことが増えてる。産業構造が目まぐるしく変わる昨今、「正解がある」と考えないほうがよいだろう。

■おわりに

このようにして、僕の心の中にずっとあった「生き苦しさ」の正体に気が付くことができ、モヤモヤは晴れた。まさか、世の中には「不変の答え」があるものだという、思い込みが自分を苦しめているとは思ってもみなかった。でも、これはサラリーマンを辞めてみなかったら気がつくことができなかった。サラリーマンを辞めることが美徳だとも思わないし、サラリーマンの仕事はとても大変だし尊いものだと思う。しかし、今回の決断で世の中の見え方を変えるとてもいいきっかけになった。

この「生き苦しさ」を感じている人は僕以外にもいると感じている。これは個人の努力云々ではなく、構造的問題である。親や社会のいう「正解」は間違いなく親の生きる社会においては「正解」だったかもしれないし、それは”社会の先輩”の優しさだった。ただ、社会が同じでないという前提条件が違う中では、それは「正解」ではなくなっているという構造的な欠陥。子供にとって、最も身近な”先輩”である、親の言うことが間違っているなんてよもや思うまい。でも、実際には世の中は確実に変わっている。令和の世の中では、自分で「正解」を導き出す、というよりも”自分の思う正解を「信じる」”ことが唯一できる処方箋なのだと信じている。そして、その自分の思う正解を導くためには前提となる知識が必須である。

なので、社会保険労使の端くれとして、日本の労働に対する価値観・社会構造など知らず知らずのうちに私たちに染み込んだ「常識」を、働き方や生き方など世界の構造的な違いとを比較することで明らかにしていきたいと思っている。そして、それらの知識を血肉とし大胸筋の一部としようというのが本アカウントの主旨である。今後も定期的に、自分のインプットも含めて記事書いていこうと思う。


【参考文献】

https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/13/dl/13-1-5_01.pdf(労働市場における人材確保・育成の変化)

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/09/28/1396716_1.pdf(平成29年度小・中学校新教育課程説明会(中央説明会)における文科省説明資料



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