Laal Singh Chaddha騒動
インドで8月11日に公開されたものの、前評判に反して興行成績が振るわない、インド版『フォレスト・ガンプ』リメイク作の『Laal Singh Chaddha』。私は12日に観てとってもよいと思った。
『フォレスト・ガンプ』のよさを、ボリウッド映画特有の魔法、それからアーミル・カーンの放つマイナスイオンで更に高めた内容になっていると思う。2時間半はあっという間だった。そしてヒロイン役、カリーナ・カプールが益々大女優になったことを確信させた。あるシーンでほとんどちあきなおみになっており、今にも「朝日の当たる家」を歌い出しそうだった!シリアスなシーンだったにも関わらず少しにやっとしてしまった。
日本人にとっては全く何の引っかかりもなく楽しめる美しいアーミルカーン作品になっているので、日本公開が待たれる。インドで振るわない興行成績を他国で挽回できるだろうか。
こういう応援記事も出ているものの、Laal Singh Chaddha(以下LSC)は、アーミル・カーンの過去の発言からネット上でボイコット運動が起き(それをカンガナ・ラーナーウトが煽るw)、元の映画の筋に沿って作ったのにアーミル・カーンが「インド軍を侮辱している」と訴えられたり、興行成績も振るわなかったりで散々な結果のようだ。
全員ではないとしても、多くのインドの人がアーミル・カーンに愛国を表現して欲しくないと思っていることは察知できた。また、「インドは寛容な国だ、違う宗教や考え方も受け入れているではないか(お隣のあの国よりは)、それなのにアーミルはこんなに我々の文化を馬鹿にしくさったじゃないか」という言い方を聴いて、「「こんなに寛容な我々」を怒らせた違反者」という物語を想像した。
インドの事情を知っても実感のない外国人の私としてはこう思う…
独立記念日の興奮に湧いているあなたがたを見て思った。あのクオリティーの愛国映画をボイコットできるって…羨ましいぞ、日本人としては。贅沢だよ。日本にゃあ、国旗を掲げたり国家を歌うことすら躊躇われる空気がある。国家に属する個人としては捻じれている態度であるし、この点で国民は分断されている。私の世代は国家という現実を否定することの方が正しいのだという反戦教育を受けた。国家という現実を超えたものを想像する力も必要だと思うが、残念ながら、結果的に、我々が生きている国民国家という現実全部を否定することに帰着している人が多い。或いは、その真逆で、国家を超えるという想像力を一切許さない考えに着地している人も結構多い。
その二つを繋ぐにはどんな言葉があり得るのか…なんて考えるのは面倒くさいし体力食うからね。お金にならないし。互いを非難し合っている方が簡単で生産性も上がるし、ファンからお金も入るし、結構なことだ。
『フォレスト・ガンプ』自体が愛国映画かつ国家主義丸出しの映画だったのだし、それをインドリメイクするということは、アーミルはここ数年高まっている大国インドナショナリズムの機運に乗っかっているのである。『ダンガル』『WAR』から『RRR』『ホワイトタイガー』まで、そして名作から駄作まで、毎年のように愛国映画が作られ、インド万歳を叫んでいるではないか。それが今のインドである。元気いっぱいだ。実に景気が良い。
そういう空気を否定せず、かつどう見せるかが製作者の個性なのだろうが、『カシミール・ファイル』みたいな被害者物語の方が訴求力は高い。或いは『ANEK』のように観客を煙に巻いてしまうか。
本作がオリジナルの『フォレスト・ガンプ』より優れている点を挙げるとしたら、インド的美徳であるところの、色んなものを包摂しようという意思があることかもしれない(何でもありの放置プレイとも言うが…)。米映画は米映画であるが故に、アメリカの中と外に線が引かれている。ベトナムという場所は所詮、外のことだ。ラストの方で出て来た彼の妻がなぜアジア人だったのだろうか、とか外国人としてはかなり邪推ができるのである。あれはあれで一つの完成に達しており、アメリカ映画としてはそれでいいのだ。
一方、本作は対立や葛藤をインド内部の問題として捉えている。その上で、もっと大きな価値に目を向けた方がいいんじゃないか…と大風呂敷広げる話法で語る。これはこれで、現実的で理性的な態度でもあると思う。それに、ここに落とし込めば、映画としてもきれいに見せることができるじゃないか。何でも「イギリス白人」のせいにするような『RRR』よりは海外でも扱いやすいだろう。でも(映画のボイコットと言うよりアーミルボイコットである以上、映画を観ない人の方が多いのだろうが)、本当は、インドの人はそういう見せ方を好まないのかもしれない。結局、日本人が国旗や国歌に対して特殊な反応をしてしまうのと同じように、このことについて口を開いたところで、お互いの考えの絶望的なまでの違いを再確認するに過ぎないのだろう。
自らは寛容であると思い込み、他方でひどく偏狭なことを言う。LSCを巡るインドの反応を見ていると、人間って本来そういう矛盾していて多面的な存在なんだなってことを思う。自己のその都度の衝動をほとんど抑制しようとしない、肯定感の高い、保守的で頑固になりやすいが、話題を選べば明るく気のいいインド的人格が、たまに羨ましくなる。