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竹美映画評44 懐の大きな小作品『ステージ・マザー』("Stage Mother"、2020年、カナダ)

何も考えずにいい気もちになれそうな映画、ということと、彼氏も楽しめる映画として、久しぶりに映画館で観る作品に『ステージ・マザー』を選んだ。

小さく、さらりと浅く描くことで却って深く大きな感情が押し寄せてくる映画、というのがあるんだねえ。

テキサスの田舎町で教会の聖歌隊指導をしているメイベリン(ジャッキー・ウィーヴァー)の元へ、10年以上会っていなかった息子リッキーの訃報が伝えられる。ショックのままサンフランシスコに行ってお葬式に出てみれば、リッキーの友達のドラァグクイーンたちによるファビュラスなリップシンク(口パクショー+お下品な弔辞wゲイね)を見てしまい、更なるショックに!そんな中、彼女はリッキーが彼氏と経営していたドラァグ・クイーンのショー・パブ『パンドラ・ボックス』の経営権を相続する。リッキーを喪って更なる経営難に陥ったパンドラ・ボックス。そこでメイベリンはドラァグクイーンたちにリップシンクではなく歌を歌わせることを思いつく。

ショー・パブでリップシンクするドラァグクイーンに歌を歌わせてみては?ということでいうと、トニ・コレットとニア・ヴァルダロス主演の『コニー&カーラ』(2004年)を思い出す。

女性がドラァグクイーンのメイクをして、女装したゲイのふりをするというコメディ。「本当は女なのに…」というところで笑わせてくれた。女性にとってさえドラァグは女装なのだね。

さて、『ステージ・マザー』だが、本作は主軸となると思われた「ゲイの息子を失った母親の再生の物語」というテーマから少しだけズラしたところを描いたところが特に気に入った。

私の実感としては、ゲイと母親の関係はとても近いことが多いようだが、反目していて何年も会っていないし憎んでいるというゲイももちろんいる。メイベリンは、息子への理解の無い夫ジェブと、手が付けられないレベルのオネエだったと思われる幼いリッキーの間を取り持とうとしたようだ。このジェブの描写がまたステロタイプっちゃあそうなんだけど、休日に同じような年齢の男性の友達とアメフトの試合見るくらいしか楽しみの無い枯れたおじさん、という風情で、ジャッキー・ウィーヴァー演じるメイベリンの放つエネルギーだったらとっくに夫を制圧していそうなんだけど…やっぱりメイベリンは夫との間でバランスを取らざるを得なかったと見える。そこが何だかリアルだった。また、息子も、そんな母親の立場を理解して家を出て行ったんじゃないだろうか。ハガキは寄越していたようなので、母親とは繋がりがあったとみられる。

メイベリンは、葬式にも行かないと言った夫に見切りをつけたことで却ってパワーを得て、サンフランシスコでは活き活きと活動し、声が素敵なホテルコンシェルジュとデートまでしちゃうよ!!

サンフランシスコは、自由と孤独が背中合わせになったような街と見える。本作は、人生の苦しみから逃れるためドラッグに溺れるゲイという最近のハリウッド映画が描こうとしない描写を真正面から描いていた。それを描いた最近のハリウッド映画って、英米合作の『ロケットマン』(2019年)くらいかな。ハリウッドも変わったな、と思っていたら、カナダ映画だった。なるほどね。

メイベリンが、リッキーの周囲の友達が抱える問題にそっと触れていくが、押しつけがましくもなく、そこがとても好き。リッキーの女の親友シエナは暴力的な男の言いなりになりがちなところ、ジョアンはドラッグ依存、テキーラはお母さんとの反目、チェリーは性別移行手術以後会っていない妻とのこと。また、最初はメイベリンを赦そうとしなかったリッキーの彼氏ネイサンとも和解する。

メイベリンがシエナの家から暴力彼氏を追い出した後、普段は強気でビッチなシエナが「今晩はここにいて」とメイベリンの手を握る。シエナ役のルーシー・リューを初めていいなと思った。シエナのことをよく考えれば、すかっとはできないシーンなんだけど、すかっとしないのが正解のような気もする。

社会がサンフランシスコのような「居場所」を用意してくれたら、次に必要なのは、個々の話や境遇にできる範囲で触れ、本人の苦しみをほんの一瞬でも和らげてくれる人なんだろうな。そういう人はどこからその優しさを持ってくるんだろう。

他方、家を出て行った後のリッキーは、毒舌や歌、ファッションの趣味など、ドラァグクイーンのパフォーマンスをしながら、自分の中に母親にそっくりな部分を見出していっていたのだろう。そして、父親に似ている自分というのも見つけては、嫌な気持ちになっていたかもしれない。「許さない」という気持ちを捨てきれなかった頑なさは父親と似ているかもしれない。

サンフランシスコのカストロ通りというゲイ世界の一等地で、彼氏兼ビジネスパートナーとバーの経営をしてて、自分もパフォーマンスをして…という、アメリカのゲイ・ドリームをかなえたはずのリッキーの心をじわじわ圧迫し、薬物に頼らせたものは何だったのだろう。実はそこは明確ではない。家族との反目や経営難以外の理由もあったのでは…カナダ映画らしい地味さと余韻が「ゲイ・ドリーム」の虚実を暗示する。それ以外に、本作は、チェリーの役を自身もトランスジェンダーである役者(マイア・テイラー)が演じているのも注目すべきところ

結構すごいことを地味にやってしまうのがカナダ映画の面白さかもしれないね。

歌のパフォーマンスの数々ももちろんいいのだが、最後のシーンでメイベリンが歌う「Total eclipse of the heart」のシーンがすごく良い。

今夜あなたにいて欲しい

今までで一番あなたが必要だから

私を抱きしめてくれたら

もう間違いはおかさない

この歌をメイベリンはあまり感情を露わにせずに歌う。ジャッキー・ウィーヴァーが本当にいい。幼かったリッキーと一緒に歌ったこの歌をこんなふうに歌うとは思わず、また泣いた。

誰かを喪い、その縁でまた誰かと出会う。喪った痛みをもって、偶然新しい誰かの苦しさを宥めることになる。人生の出来事の連鎖によって少し元気になる人達の姿がさらっと描かれている佳作。確かにステロタイプ満載の映画で新しさは無いかもしれない。でもまた観て、メイベリンに会いたくなる。

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