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アデイonline再掲シリーズ第十九弾  働いて、愛して、働いて~「ゴッズ・オウン・カントリー」(”God’s own country”、2017年、イギリス)~

本作は、農村のゲイという新しい像を見せてくれた。のみならず、作者にとってかけがえのない故郷の農業労働が外国人によって担われているという点は見逃せない。そして、ブレグジット前に落ち着き先をこしらえたゲオルゲ=ゲオ姐の手練手管にやられた。

私は、2018年年末にこの映画を観て、

うちにもパスタ作りに来なさいよ!

と叫んだら、観て半年以内にカレー作る人がうちに来た。はてさて、それからの私の人生はよくなったのか、悪くなったのかはまだ分からない。というか考えることをやめた。

彼氏は最近本作を見て、自分のようだと感じたみたい。移民に一切チャンスはくれないが生活環境の良い日本と、我々がこれから目指す予定の場所は全く違う。EUとも無論違う。

同じフランシスリー監督の最新作は、女性同士の恋愛を、これまた田舎と労働を舞台に描くものらしい。そこがよい。資本主義の発達に乗っかる形で田舎や地元のしがらみから逃れ、自由を手にする同性愛者の姿は沢山描かれて来たが、このような形で地元で、二人でタッグを組んで頑張って行く姿というのも、やはり描かれる必要があると思う。性愛でない関係で結ばれていてもいい。

日本の田舎が若い人を呼び入れたいのだとしたら…本作のように、とは行かずとも、出戻りや余所者を、働くかどうかだけでフェアに評価する、地元のしきたりは求めない、私生活にガタガタ口出ししない、ということを受け入れる…新参者に求めるのと同じくらい、古参が自身の変化を受け入れることができるならば、そこは包容力のある元気なコミュニティになって行くだろう。


【本文】
イギリスの尊いゲイ映画、「ゴッズ・オウン・カントリー」は、複数の筋から薦められました。イギリス映画のいいところは、落ちて落ちてどん底にいる主人公に、最後に希望の光が差すという健全さね。あとね、労働の尊さへの目線があるのが多い。本作は、そういうイギリス映画の特徴をベースに、田舎のゲイの在り様や、EU経済の今を描いた秀作よ。


イギリスの田舎で家業の牧畜やってる若者君、ジョニー。人生諦めて拗ねたゲイの彼の家に、家業の手伝いのために雇われたルーマニア人のゲオルゲが現れる。寡黙だが暖かく真面目なゲオルゲによって心も体も解きほぐされていくジョニー。そんな時、父親が発作で再び入院してしまう。


まあよく働くのよ、ジョニーとゲオルゲは。この映画、仕事してるシーンが一番多い。ジョニーは投げやりだけど、手が勝手に動くという形で仕事が体に染み入っている。でも、どこにも出ていけないという閉塞感で、自分の仕事に熱が入らない一方で歪んだプライドがあるから、父親に「一人人を雇った」と言われて面白くない気持ちになる。久々に地元に帰ってきた女友達にも嫉妬剥き出しで噛みつく。あんたに合いそうな男子を連れてきたってのにさ!その態度は何よ!とキレる友達。若い子って…そうなるよね…


セックスはストレス発散と決め込んでるから、全く楽しそうではないし気持ちよさそうでもない。ところでジョニーの男の趣味って、金髪で細い、強いて言えばジャニ系前髪男なのかなって思うのね。ところが、それと正反対のような容姿のゲオルゲに屈するの。もちろん私はゲオルゲ派ですが、病気で弱ってしまったが未だ気骨を失わないジョニーの父親でもいいですこの際。お風呂だって頑張って入れてあげる。あのシーンね、親をお風呂に入れてやるシーン、私も一回だけ経験あるよ。母だったけど。哀しさと愛おしさ、申し訳なさ、後悔、戸惑いが混じった複雑な気持ちになる。あれが最初で最後だったね。


ゲオルゲは、登場シーンで「ジョージ?」とジョニーに英語風に呼ばれたのを「ゲオルゲ」とルーマニア語で訂正する。そこの秘めたプライドに既にオバジ39歳は持っていかれていたのだと思うわ(でもあのタイプは私が狂人なのを一瞬で察知してすっと避けていくから一生会わないゴゴゴゴゴ)。


ゲオルゲが泊まるトレーラーハウスを「肥溜め」と吐き捨てるジョニー。それは自分自身の人生について言っていたのね。分かるわよ。オバジも9月頃には先行きが全く見えなくて、金魚の水槽叩いたり、ベランダから植木鉢落としたり、それはそれは狂暴だったわ。独り言も増えたしね。植木鉢は自分で掃除した。金魚たちは忘れてくれたみたい。I am junk!!!!


ジョニーはゲオルゲを通じて、生まれて初めて自分の人生を発見したと言ってもいい。セックスシーンがとても重要。突っ込んでヌく、しか知らなかったジョニーに、まず口づけを、手で顔を触れ合うことを、相手の内面を見つめ合うことを教える。「他人には他人の心=欲望がある」とジョニーは気が付かされるわけ。ジョニーは、人に特別に大事にされることを知ったんだけど、「美女と野獣」のように「自分も他人も同じように大事にすること」を学ばなければならない(無論、野獣=ジョニ男(お)、美女=ゲオルゲ様)。それはつまり、自分を知る旅の始まりなのね。


ゲオルゲ様…私の大好物の若干暗めのヒーロー列伝に加わりましたよ。「皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」」のエンツォ、「ビューティフル・ダイ」のギャリック(殺人狂の役なんだけどさ)、「ターミネーター」のカイル、「第9地区」のヴィカス、「ミラージュ」のマルコ、「ターボキッド」のフレデリックとキッド、「マガディーラ」のバイラヴァ、「キング・コング」のコング、「ミステリーロード2」のジェイに続いた…しかもゲイよ!正気を失いそう。


ゲオ様の何がいいってね、肉体や体力的には男性的なのに、態度が野郎っぽくないことなのよ、あれ相当オネエだよ絶対。ってか母だわ。ジョニーのお母さんは家を捨てて出て行っちゃってる。その隙間を埋めたんだな。ゲオ様がどの時点でジョニ男がゲイな上母性を欲してると見抜いたのか分からないけど、男の部分と母の部分のバランスがよい。死んだ子羊の皮をはいで、別の子羊に着せてやるシーンに母性ホルモンが出まくってた。あまり語られないゲオ様の過去だが、地元で何かやらかして出てきちゃってるんだね。だからな、ゲオ様は貴様よりも一枚も二枚も上手だ。EU勝ち組国家の拗ねた若造よ、貴様など、ゲオルゲ様の敵ではない。「だてにドーバー海峡越えてないわああ!!!!」という乙部のりえ的な激情をにや~というあの薄笑いで隠すゲオ様だが、あのゲイ特有の生ぬるさを躊躇なく演じたあの俳優さんは偉い。何ならセックスシーンより偉い。「怒り」の妻夫木さんが衝撃のプールパーティでマッチョ兄貴の誘いをかわした瞬間の薄笑いに匹敵している(実際あの映画では妻夫木さんは始終薄笑いだから、ラストの号泣が引き立つのだが)。


ジョニ男に夕食を作るシーン、アンタその家結構マズい状況なのに、テーブルに水仙飾ったりしてどこまで楽しむつもりなのよッ。味見して塩ふっかけてやるとかさ~どこまで母なのよッ!!!パスタ作りに私のゴミ部屋まで来なさいよっ!!!!!!!

安易に夢を見始めるジョニ男をけん制するのもゲオ様の役目。人生色々あったゲオ様だから、「こんなのはうまく行かない」とか言うわけ。そしたらさ~子供だからいじけて他の男とトイレでヤるわよ~業の深いジョニ男(でもすごく分かる)。


愛されることを知って、次に自分が愛する番になったジョニ男が、愛のため、自分のため、そして本当は心から愛している自分の仕事のために自らの意思で立ち上がるところ、刺さったわ~。やっぱね、働かなきゃだめよ(そっちかよ)。なんだかんだと理由付けて働かないのがパヨクだとか言われるとさ、考えちゃうよね。


この映画のもう一つのテーマは、「働く農民」への惜しみない愛と尊敬。エンドロールの映像に見える、働く農民達こそが、本作の本当の主人公なのだ。


本作を観て、真人間になりたいと心底思った。小さな工夫を重ねながら働いて、疲れと共に満ち足りた人生を送りたくなった。その時に横っちょに誰かがいたら尚いいだろう。二人の様子は眩しく輝く。その光を浴びて、自分の後ろに伸びる影こそが私の現実なのだが、それを受け入れ始めているからこそ、猶更本作に感動してしまうのだと思う。

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