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竹美映画評㉟ 「克日」映画としての抗日フィクション 『マルモイ ことばあつめ』("말모이"、2019年、韓国)

7月28日追記:一部私の記憶違いで書いた箇所があります。でもそのままにしました。

1941年の朝鮮語学会事件をベースに、今や世界のトップレベルに上り詰めた韓国映画の面白さと学生運動勝利国としての思想のダブルパンチいやコンビ効果で大変満足いく作品だった。

日本統治時代の1941年の京城(現在のソウル)では、リュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)が会長を務める朝鮮語学会は総督府から睨まれる中で朝鮮語辞典を刊行しようとしていた。韓国・北朝鮮では比較的よく知られた「朝鮮語学会事件」をバックに朝鮮人の手による最初の朝鮮語辞典の編纂を巡るドラマが描かれる。

私は何ッ回も言うけど2002年、修士のときに北朝鮮政治、特に言語政策を研究しちゃった外れクジ学生よ。せめて韓国の対北朝鮮政策と対日政策のシーソーゲーム関係とかを研究してればまだしも時代的に需要あったんだがな…サヨクだったから思いつかなかったんだ。「北朝鮮みたいな社会主義国にもこういう現実があるんだわキラキラ」と思いこんじゃう方だったのよw

とことんツイてない。

さてそんな私なので、お話の中で取り上げられている色々な事柄が気になって来る。日本統治時代には、小倉進平や河野六郎のような日本人研究者が朝鮮語について色々な研究を残している。本作で言及された「ハサミ」を意味する「カウィ(가위)」という単語の方言については、河野六郎の「朝鮮方言學試攷 : 「鋏」語考」が有名。ただし発表自体は1945年。むろんこの映画の中では日本人研究者の存在には一切言及されない。安田敏朗は後に日本統治時代の日本人による朝鮮語その他の研究を社会言語学左派の立場から批判的に論じているが、本作はその意味でも「そっち側」である。

ああん安田先生やその師匠の田中克彦先生の研究は昔いっぱい参照したのよ…結局私には役立たなかったけどね。後年、某三ケタ漢数字+田という作家の講演会開催を阻止した研究所(追記:記述時ママ。実は私の記憶違いで、その件を推進したのは任意団体)の記事を見たときに、何だか懐かしくなった。ああ…あの人達か…って。

同日追記:ネットで調べると、私の記憶しているのとはかなり違っていた。下記の声明を出していたのを勘違いして覚えていたみたい。失敬。

ちなみに本作で出てくる「共同体」とか「言葉と文字は民族の精神云々」とかいう発想って、あの辺の左の人達が一番嫌いそうなんだけど、実権握っちゃった左翼ってああいうこと言うと思うんだよな私は。実際本作でそうなっちゃってると感じた。

韓国では『朝鮮語大辞典』(조선말튼사전)として努力が結実したと作中語られるのだが、その後分断を経て、実は朝鮮韓国研究者の間では、北朝鮮の方が辞典のレベルが高いというのは定説なのね。私の耳学問では「優秀な人達が北に逃げちゃった」というの。では北の言語学者がどうなったか…それは私の修論に意図せず出てしまったが恐ろしい。

本作は、日本官憲の弾圧と抵抗が、韓国の市民運動の記憶(主に成功体験)とはっきり重なる。日本だったら宮崎駿アニメに時折顔を出す「懐かしい学生運動」の風景だ。日本では挫折したので映画から一掃された(『パッチギ』辺りが限界)が、韓国では気持ちよさそうなこと。前は「民衆蜂起」とも「抗争」とも言及された光州事件を「暴動」と記載して叱られた日本Netflixは、「抗争」にしとけばまだよかった。

他方で「日本が朝鮮語を無くそうとしている」ということを日本側の官憲にすら言わせているんだけど、映画を観ると、それが当時ですら「言い過ぎ」であることが皮肉にも分かってしまう(って言ったら悪いんだけどさ)。上記の社会言語学左派的な観点からは、当時の国語学会と権力には「周辺民族の言語を日本語に統合させていく」意図があったと分析できる=「朝鮮語を滅ぼそうとした」と解釈するわけだ(何かどっかで聞いたような発想)が、まず戦時下とその前で状況が異なるし(軍国化で頭おかしくなる前とその後の日本は地続きだが「同じ」と言っていいのか?)、日常的使用自体を禁じていたわけではない。ただ、あのまま行けば、日本語がオフィシャル言語、朝鮮語が第二言語に転落したことは間違いないだろう。今のインドで、ヒンディー語発話の中に多数の英単語・文が混じっているように。実際かなりたくさんの日本語語彙が朝鮮語に入り込んだので、南北朝鮮は戦後に日本語単語の一掃に乗り出した。

本作でリュ会長は偽の集会を開いたとき「我々朝鮮人は日本に負けた」「これからは日本人に追いつくよう我々も日本人にならねばならない」と言っていて、これは大韓民国の映画なのだから、きわめて「克日」的なセリフである。むしろそこにこそ朝鮮人の未来があるのかもしれない、ということを「克日」と言えるようになるのは戦後の話。韓国の中の言説は「日本はこれができているのに我が国はできていない。だから、頑張って「日本」を克服しよう」式の言説が多い。おそらく、当時から似たような発想の人達はいただろうけれども「親日」ということで戦後肩身の狭い思いをしたのだろう。その是非を日本人としてジャッジするのは下品だからしないが、本作で「親日」という単語は意識的に使われており、そこに今の韓国のパージ志向を感じさせる。なお、この事件の数年後には、「アカ」かそうでないかで国民同士が殺し合うのは大変痛ましいことである。

尚、主人公となるパンス(ユ・ヘジン)は、日本人が最も嫌いそうな(でも日本にもいる)「ちょっとだらしないうるさいおじさん」感が出すぎていて観ていてちょっと苦しかったが、後々彼が民族精神に自覚していく抗日ドラマにとっては必要な設定だと理解した。リュ会長との交流もいい。他に、『パラサイト』のあの人や懐かしの『JSA』のあの人、『タクシー運転手』のワル刑事がチョイ役でいいことしたりってのも面白いかも。

リュ会長の動き方を見ると、日本人として観るのはちょっと心苦しくなる。そしてラストになっても日本人は一切免罪されるはずはないので、そういう感覚もこの際楽しんでくださいね!映画としては本当にいいから。

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