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竹美映画評12  ちくりと痛む幼少時代が教える現代世界「レゴムービー2」("THE LEGO MOVIE THE SECOND PART"、2019年、アメリカ、デンマーク、オーストラリア)

子供時代にレゴで遊び、姉や兄、弟や妹とレゴブロックをめぐり争ったことのない人などいようか。私も例外ではないと記憶している。小学校高学年と五歳児なんて最悪の取り合わせである。喧嘩喧嘩、そして叱られて二人とも面白くない気持ちになり、気がついたらまた遊ぶのだ。そして上の子が中学に入ると、気がつくと同じものに見向きもしなくなっている。

「レゴムービー」第2作は、前作の直後、デュプロ星人の侵略の場面から始まる。

デュプロ星人の度重なる侵略によって崩壊したボロボロシティ。皆が暗く陰鬱に生きている中で、エメットだけは相変わらずノー天気に「全てはサイコー」のまま。そこへ、デュプロ星人側のシスター星雲からの使者、メイヘム将軍がやってきて、エメット以外の主要メンバーを「わがまま女王」の結婚パーティへと連れ去ってしまう。自宅を作りなおした宇宙船で後を追うエメットの前に、レックスという宇宙の冒険野郎が現れ、皆の救出に加勢することになる。他方でシスター星雲では、怪しげなわがまま女王とバットマンの結婚式の準備が着々と進んでいた。

レゴブロックほど、子供の攻撃性と所有欲、さらには「遊びというものの本質」を抉り出すおもちゃも無いね。あれね、「世界観」コンシャスな人は、世界観を共有しないレゴの遊び方は不可能だよね。街シリーズにはファビュランド(古!)やデュプロやフレンズシリーズが一緒にいてはいけない、と思うかどうか…これは遊びの本質。ごっこ遊びというのは、実は厳格なルールの順守によってのみ成り立つ、というようなことをホイジンガが『ホモ・ルーデンス』という本で言っていたのではないか。

「レゴムービー」第一作は、オバマ期的なエンパワーメントの感じで「誰でもマスタービルダーなんだ」と持ち上げておいて、ラストにその「遊びの世界観」をぶち壊す存在…妹や弟という存在の介入が、デュプロの少しデタラメなデッサンによって告げられる。私はあの時点で胸がちくりと痛んだが、パート2は更にそれをえぐってきた。

パート1を観た人向けということで、もう前提として話すけど、子供達の人間関係が、レゴの世界にそのまま影響を与えているわけで、人間の世界は神話の世界であり、レゴの世界が現実という形になる。

私ねえ、宇宙寺院が壊れていくとき、本当に胸が痛かったよ…妹と遊んでて喧嘩になったりして、泣いてる妹の前で「全部あんたがわるい」って言いまくってた記憶がよみがえったもん(当時で既にオネエ言葉かよw)。私にとってかなりトラウマティックなこと…それは、自分もまた子供らしい残虐性と所有欲、攻撃性をふんだんに持っていたという事実を直視するからよ。逆に言えば、私自分の自意識の中で、いかに自分を「いい子」と思い込んでいたかということ。病的だと思うけど、やっぱりオネエとは言え長男として、好き放題できるように育ててもらってたってことなんじゃ…とかまた九州男児の原罪感覚に溺れてお腹重くなっちゃうのよぉおぉぉおお許してエエえええ…いいえ、許しの日は来ないわ…一歩一歩…裁きが迫って来るよ…罪をつぐなえと…せいぜい逃げなさい…ずっとずっと…憑いて来るから…

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さて、私のトラウマは正直皆さんにはどうでもいいので、全然違う観点から考えると、本作の製作は、2016年のオバマ期の終焉とトランプ期の始まりというイベントと重なり、作ってる方もそれを意識しているんだかしていないんだか…偶然の附合だと思って差し引いて見てみると、大変に示唆的な作品になっている。

「わがまま女王」は明らかにルーシーたちへのアプローチを誤っているのだが、わがまま女王の中の人を考えれば仕方ないんじゃないだろうか。そして、「そっちが先に攻撃して来たんじゃないの!」というセリフにこの映画のほぼ全て要約されている。本作は、一見対立していて全く妥協点が無いように見えるときに、ちょっと冷静になってみましょうや、と子供の頃を経由して、大人の世界を考えさせてもくれる。そうだなぁ…こう考えたらどうだろう…ガチガチ保守側=ルーシー達、リベラル側=わがまま女王だと。

わがまま女王の歌う歌が明らかに間違ったメッセージを出してしまっているのは、もしかしたらリベラル側がオバマ期にやって来たことそのまんまなのかもしれない。ルーシーが「そっちが先に攻撃してきたんでしょ!」と言ったら、メイヘム将軍は「始めたのはそっちよ!」とやり返す。でも何のことなのか、ルーシーには分かるはずがない。そのレゴの世界を最初から持っていた側なんだから。このやり取りは日本語で観た方が刺さるので、今回日本語吹き替えで観直してよかったと思う。

第1作は「全ては最高!」と讃えた。必ずしもそうでもない世界を前に。

第2作目ではこう歌われる。

♪あらゆるものが最高の状態じゃない いつでも最高なんてありえない そんなのは非現実的な期待だ
♪でも、だからって何もしなくていいわけじゃない
♪理想を少し減らしたやり方で全てを最高にするため 「悪くない」を一緒に目指そう それって本当に素晴らしいんじゃない?

真っ当過ぎて震えました。子供の仲直りと、全く役立たない父親というさりげない最後の描写に、なかなか侮れないメッセージを感じた映画でした。

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