竹美映画評⑨ ゲイ・チャリティで見えてくる「日本」 「クィアアイ・イン・ジャパン」(”Queer Eye in Japan”、2019年、アメリカ・日本)
アメリカのファッション・インテリア・悩み相談の最前線で活躍するゲイ男性五人が、ファブ5というユニットを結成して、引きこもっていたり、楽しい思いをしたことがない人に四日間の夢を見せる番組。私は最近「いいことはどんどんやれ、やってもらったらそれからはその人が決める」という考えに急速に寄っている。日本は、この手のひと時の善行に対し「無責任な偽善」と切り捨てる言説になびきやすい社会だと思う。異質な振る舞いの前で、日本人の出演者は素直に嬉しい顔を見せる。ファブ5は、我々に普段考えもしない部分に目を向けさせているのだ。
第1話の中年女性は、姉を最近亡くし、姉の家族とも疎遠になり、自宅をホスピスとして解放したり、子供達の預かり場として「くまちゃんハウス」をやっている。
水原希子さんが「女を捨てる」という言葉の意味合いを説明するところが一つのハイライトね。私は、先日参加した公民館行事でお見かけした高齢の女性達が、女を捨てるどころか益々派手に元気になっているのを観ているのもあるし、周囲の女性達が割と自己主張をするタイプのため、この言葉を一概に日本の女像に当てはめるのは危ないが、他方で「私なんてね〜」という諦めもよく耳にする。
彼女は、多分人のために時間をかけることに逃げてたのかもね…自分を楽しませるために時間をかけるには、本当の自分と向き合わなければいけない。自分を知るのは実は怖くて苦しいことなのかもしれない。
第2話のゲイ男性のお話も面白かった。欧米暮らしでゲイとして解放されたのに、日本にいるのがつまんない、合わないと思いつつも、自分の基盤は日本だ…と直感している彼は、生きづらいと言う。しかしながら、彼の話は彼自身の思わぬ側面を描き出した。イギリス人の彼氏と遠距離をしているから、てっきり早くイギリスに行きたいのかな、と思うとそうでもない。イギリスでは、ゲイのコミュニティの中で、アジア人差別に出くわし、じゃあと思って日本人コミュニティに行ったら、そこにもオカマがどうのこうのと話が出てきて居心地悪かった、という体験を語ったの。だからイギリスより日本の方がいいんだ、という訳でもなく、彼自身はどこに行ったらいいのか迷ってたんではないかな。ファブ5との会話で、自分は先のことばっかり気になって、現在をおろそかにしていた、と気がつく。「あなたは片足が外に出てるみたい。自分の立つ場所を充実させなきゃいけないんじゃない?」と言われ、「地に足つけないといけないんだ」と言う言葉で受け止めたこと、大変尊いと感じました。
「あんた、地に足つけなさいよ!」とゲイシャギャルズが一喝するのと同じ効果ね。
他に、ファブ5が「残念だけど、あなたのことを悪く言う声は絶対に消えない」「自分を愛せたら、必ず仲間が見つかる」と教えているところも、先輩達が若者に言ってあげられる最大限の励ましだと思った。
3話目はこれは中々辛かった。漫画を描ける若い女性が、自己卑下的な態度を緩めるきっかけを見つける話なんだけど…これ、お母さんとの関係も描かれてて中々闇を感じたよ。一応、中高でいじめを受けてたから自己肯定感が無いということになってたけど、片付けとか料理が母親から見てうまくできないという問題で、お母さんとうまく繋がれなかった娘の苦痛がひしひしと伝わってまいりました。お母さんが悪い訳でもないんだよ、お母さんは分かんなかったのよね…だけど娘は苦しかった時に全力でサポートして欲しかった…娘さんがお母さんを許せる、または乗り越える日が来ることを祈る。他に、なんーんとなくだが、あるシーンの動作で、男性恐怖も感じさせられた。これは…根深いよ…どろーんとした老婆みたいな服を着ちゃうのは…
「あなたは自分に厳しいのね」と言われて俯く彼女の姿は、結構多くの日本人に当てはまると思う。まず何より、不完全な自分を責めてしまうのね…私もやりがちだが、自分を責める人間は、ふとした時に他人を同じくらい責めてしまうんだよ。日本の若い猫背女性の苦しさは、四日間の何かでは消えはしない。自分を喜ばせ、自分を楽しくすることをまずおやりなさい、でも自分の本音と向き合わなければそれは見つからないのよ、と諭している。
第4話のセックスレス夫婦の話は痛かった…最初は「ビジネスパートナー」と言っていた二人の関係だけど、やはりきちんと二人の未来を話し合わなければ、不安になって、平気なフリをしたり、これでいいんだと自分の心に蓋をしたり…それは一緒に時間を過ごさなくもなるよね。それで性格が穏やかなら、喧嘩にもならない。
自分から言葉を発信するのが苦手な夫さんが自分の言葉で一つ一つ感情を語り始めるところは応援したくなるよ。ファブ5にすがって泣く姿が切なかった。妻の方も、気丈に振る舞っていても、言葉が欲しいのよね。「女性は結婚したあとの方が大事にされたいものよ」というファブ5の言葉は、私にとっても全く同じに響くよ。それは女性だけじゃない。男も同じ。同棲しててもどんな状況でも、相手とちゃんとお話ししたり理解しようと努力したり、喜ばせたりする行為が無いと…不安にもなるし実際ギクシャクしますもの。
映画批評をする者としては、この番組にフェイクや演出があると言いたい。信じたらダメ。編集やカットという行為がある時点でホンモノではないの。映ってないところにもっと本質的な問題があるだろう。アメリカ的なお涙頂戴のくさみもあるし、
そんな簡単に問題は解決しないだろ!!
とみんな思うはず。それはファブ5だって思ってるよ。しかし、これがもしフィクションならどうだろう。日本出身者として、この四人の人生の1幕を自分のことに引きつけて考えるだろうか。リアリティショーだからいいの。考えるじゃないの。私ならそんなことしないとかさ。あたしもおんなじだよぉ〜とかさ。
ゲイ男性のお話しでは、彼の悩みが必ずしも社会のホモフォビアだけでは説明つかないことを示しながら、日本の東京は地方から来たゲイにとっては生きやすい場所かもしれぬが、親や家族と向き合うことから一時的に逃げられる場所なのだと示唆している。でも3話目の女性にとってはそんな逃げ場もないのだよ。漫画描けるだけですごいと思うけど、それで他人と繋がれても、それを本当だと認識するための心の余裕もない状況で生きてるのだから。猫背にもなるわ。
そしてね…偶然なのか分からないんだけども、お父さんが一切出てこないのはなぜだろう。亡くなっている場合は大体言及されるのに!と一緒に観てた彼氏も言ってた。実は私は少し前から、テレビニュースで子供の健康や発達のことを取り上げる場合に父親が出てくるケースがものすごく少ないと感じてた。お母さんと子供が近い社会だからなのは分かるけど…これから変わるかしら、と思うと同時に、本作品は日本社会の特質を図らずもあぶり出したのねゴゴゴゴゴゴ
たった4話の中に現代日本のことが沢山詰まっている。その中で少しでも映った誰かは多分あんたでありあたしなんだと思う。父親の不在は、日本の今の姿そのまんま。或いは、意図的に父性的なものを排除したのだとしたら、社会破壊思考を持つ中核派のメッセージを伝える番組なのでしょうから、アンチ左翼の人は反対運動をやるといいでしょう、或いは父親を出せと抗議するか。そして父親が出てくるようになれば、私は素晴らしいと思うよ。
加筆。この番組を一緒に見た彼氏は、「明日百円ショップに行く!うちをもっときれいにする!」と目を輝かせていた。彼はものを作る人なので、この番組は大変刺激的な内容だったのね。しかも日本のことだからだいぶ内容が伝わったと思うし。私もうれしいわ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?