悪魔崇拝に魅入られた国

上記の記事を読んで、アメリカ映画についてまた考えた。

アメリカの超自然系ホラー映画を観ると、恐怖の根源はほとんどの場合が悪魔に行き着く。

(もう一つのアメリカ産ジャンル、ゾンビ映画を超自然と見るか、SFと見るかという問題も提起されるが、これはグローバル化に乗って世界中で同時体験される設定になりつつある。がそれは別のこと)

一見幽霊譚のように見えた『パラノーマルアクティビティ』(2007年)ですら、ラスト近くで怪異の正体を悪魔だと明示し、シリーズは悪魔崇拝の物語になっていった。日本版スピンオフの『パラノーマルアクティビティ 第2章 TOKYO NIGHT』が面白いのは、「日本式のお祓いがキリスト教の悪魔に通用するか?」という点だ。もちろん効かない。そこが面白い。

アリ・アスターは『ヘレディタリー』(2018年)で悪魔の王による逆説的な救済を描き、『ミッドサマー』(2019年)で、悪魔を異教の神にすり替え、ヒッピー・カルトを描き、意地悪く笑ってみせた。アメリカ自体が悪魔のモチーフが大好きなのだと思う。

さて、アメリカでは80年代~90年代にかけて「悪魔崇拝パニック」という現象があったそうだ。「悪魔崇拝のグループが子供たちを生贄に捧げる儀式をしている」という噂話が広まり、実際にそれを見た、それの被害者だと名乗り出る者も出て来た。その頃のことを描いた映画として『リグレッション』がある。

日本では2018年公開で、監督は『アザーズ』等のアレハンドロ・アメナバル。アメナバルは一貫して、反カソリック価値の映画を多く作ってきた。というか、彼の映画は全部それ。本作ではラストのテロップに全てが入っていた。そして、それ故に、映画製作者としての既存ファンからの期待とはズレたのではないかとすら思ったが、アメナバルらしく、誠実にこのテーマに取り組んだと私は思う。そして、彼自身はブレていない。また、彼がスペイン人(チリ生まれ)であることや、同性愛者であること等、アメリカから距離のある立ち位置であることが効いていると思う。

悪魔崇拝パニックを同時代に描いた映画としては『悪夢の惨劇』(1987年)もある。

最初に紹介したVOXの記事は、悪魔崇拝パニックによって無罪の者が証拠も無いのに数多く逮捕されたことや、その発想法が、QAnonの「ピザゲート」(ヒラリー・クリントン一派が子供の人身売買に関わっているという説)にもはっきり表出していることを指摘している。そして、50年代のマッカーシズムにせよ何にせよ、アメリカ社会が幾度となく体験した社会的ヒステリー状態の中の系譜に、80年代悪魔崇拝パニックとQAnonを位置づけている。

※最近の映画でも、80年代悪魔崇拝パニックは描かれている。

ホラー映画はその社会を反映している。

アメリカのように宗教感情がそこらじゅうに入り込んでいる(同性婚推進運動におけるLOVEの洪水はその裏返しであろう)国のホラー映画には、ピューリタンとして旧大陸をスピンオフして来た末裔のパラノイアが見える。黒人やアジア人等、白人より後に連れて来られたり、経済的要因で移民して来た人々の集団と、アングロ・サクソン系白人やその文化を共有する人々の集団の間には、自ずから違いがあるのだと思う。

「白人」の中にも様々なマイノリティが存在している。草創期のハリウッドや映画業界は、アメリカの既存層(中流以上の白人)社会から見て、いかがわしくけしからんものを作る者達の場所だったという。興行主や製作者には、既存の社会に入り込めない白人マイノリティやユダヤ系が多かったらしい。そうした彼らは、独自の文化を切り開く一方、中間層以上に認められるような形で「保守性」にすり寄って行ってもいたと想像する。1960年代まで「ヘイズ・コード」という自主規制を敷き、世間の批判をかわしてきたとされる。

ハリウッドに来た「マイノリティ」は、一方で自由放埓のイメージを保守的なアメリカにばら撒きながら、一方では極めて注意深く、保守的なアメリカの中で居場所を確保していった。

私たちの世代以上の日本人の多くは長らくアメリカ=自由の国だと思い込んでいた。一方で大変保守的な国だとも聞いていた。この矛盾は長らく私の中にあったのだが、ハリウッド草創期の模索の中から生まれてきたものだったのだと思う。

ケイト・ウィンズレットのみならず未だに多くの人々が「ハリウッドは保守的だ」と批判してきているが、あれだけの自由放埓を表現しながら、製作者たちの間では、抑圧的で保守的な価値観がまかり通っている(MeToo運動が告発した)という、あのねじれた在り様は、それ自体がとても興味深い。アイデンティティ政治がポップ文化のど真ん中に来ることは、レディ・ガガと『glee』を見ていれば予測できたのだと思うが、昨今最も売れるホラー映画製作会社ブラムハウスは非常によく分かっているように思う。2010年代から、リーマンショック後の金持ち層に対する憎しみ、体育会系男子のイジメ行為に対する恨みから非常に巧みに人種間の恨み、女性に対する暴力に対する怒りへとシフトさせた。『パージ』シリーズを観ればその推移が何だか分かる気がする。そして、ブラムハウスの映画を観ていると、恐怖よりも怒りを煽っているように見える。或いは今のそのムードに乗っているというか。源流はリーマンショック付近だと思うが…。

悪魔崇拝を嫌悪しながらも魅入られている国、アメリカは、悪魔による魂の解放を恐れながら、ずぶずぶとパラノイアにハマり続けるのかもしれない。


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