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アルゼンチンのゲスい映画

いつなのだろう、アルゼンチンの映画が次々に来日し、その大半がゲスいスリラーであると気がついたのは。とにかく人の闇をこれでもかと見せつけることに長けている。

私が彼の国のスリラー映画が度を越してやばいと気がついたのは、実話を基にした犯罪映画「エル・クラン」。誘拐して身代金をせしめたら被害者を殺してしまうのを家族事業としてやっていた実在の家族の物語。せめてコメディとして描いてくれたらましなのだが、シリアスにやるもんだから苦しくなる。当時付き合っていたメキシコ人彼氏には、本気で怒り出すくらいショックな映画だったらしい。軍事政権になったり経済危機に陥って混乱していたアルゼンチン社会の一つの側面なのだろう。

「瞳の奥の秘密」はアカデミー賞も受賞した作品だが、アメリカ版リメイクと比較すると、その闇落ち感の違いは歴然としてる。アメリカではあのラストは救いがなさすぎて許容できないと踏んだのだろう。「危険な情事」のラストが公開前に書き換えられて撮り直しになった話を思い出す。

「人生スイッチ」はコメディ寄りだがやはり救いが無い。ホラー作品の「白い棺」「ブラッドインフェルノ」はかなりバイオレンス寄りで破滅が唐突なのだが、ラストが後味悪い!「ママ」は製作はアルゼンチンではないけど、同国出身でのちに「イット」を撮るアンディ・ムスキエティ監督の映画。ラストに救いが無いホラー、というのはスペインやメキシコのホラーで目にしていたので、ふーん、位に思っていたが、あれだけの犠牲を払っても望むものは手に入らない、守れない、人生ままならない、と描く視点が「白い棺」にも通じている。

後味悪いラストを用意するのもホラーの大事な要素だとどっかで読んだ(角川ホラー大賞の審査員の林真理子さんの言葉と記憶…「D-ブリッジテープ」の時じゃなかったかな?)。その意味ではアルゼンチンホラーサスペンスは合格点。「黒い雪」も重かったし、同作に出てた俳優のレオナルド・スバラーリャが悪役をやったらしい、「キリングファミリー」はしんどそうなので観ていない。

救いが無くて乾いててひたすら虚無的に人を殺す映画群という意味では、オーストラリア映画もかなり病んでいる。だが、イギリス映画の系譜を引いているのか、そうは見えても最後少し希望が見える感じもする(「ミステリーロード」シリーズ)が、「キリンググラウンド」とか見ると病むわ…

アルゼンチンの人自身は、あの手のスリラー映画をどう消費してるんだろう。もしかしたらたくさんある映画の一ジャンルとしてしか認識していないのかもしれない。

アルゼンチンのと比べると、スペイン語圏でも、スペインとメキシコのホラーは、超常的な現象と現実が全く関わらないままお話が進んでいく感じがする。ホラー描写を抜いても悲劇の物語がちきんと展開できてしまう。そこにホラー描写を入れることで浮き彫りになるのは、現実の世界の残酷さ、人間の無力さ。そして現実の世界では不幸な終わりになったとしても、超常的な物語の中ではハッピーエンドになりうるのだ。「パンズ・ラビリンス」「永遠の子供たち」はいい例。「ザ・マミー」は、あまりに重苦しい現実に対し、子供達が騎士団となってこの世を救う。ラストシーンは希望に満ちているようでいて、もしかしたら闇堕ちなのかもしれない。

そして「イット2」を観たけど、監督さん、やっぱりアルゼンチン・ゲス・ホラーの系譜をちゃんと受け継いでいた。ホラーシーンが容赦ない。子供が頭からぱくっと喰われるとか、アメリカ人の監督で、あの予算規模の作品では絶対やらないでしょう。そして、現実パートも容赦ない。そこらのゲイや、ベバリーが殴られるシーンとか凄い嫌な気分にさせられる。そして描写としてはそう描くべきだと感じる。だってそれが現実だから。「イット2」はギリギリお笑い方面にはみ出していたけど、ああやってバランスとってるのかもしれないね。アメリカ向けに…

アルゼンチンホラーで言うと「テリファイド」の不条理さも不気味で気分悪かった。現実は残酷…それを教えるのがホラーなの。

とりとめなくなって来たけど、アルゼンチンの場合は、超自然ホラー描写を経由せずにダイレクトに人の闇を見せつけるので、本当に逃げ場がない。でも、社会がそういうものを生み出す以上、あの国は何かあったのだと思う。軍政や経済破綻、南米の先進国からの転落とエバペロンなど、凄いもの溜め込んでそうよね…

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