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ホラー映画と現実が出会う場所


2020年5月21日の朝、ツイッターで以下の投稿を見て興奮。

『ザ・マミー』("Vuelven"、英語題名:Tigers Are Not Afraid、2017年)の監督、イッサ・ロペス(Issa lopez)がブラムハウス製作のホラー映画の脚本・監督をすると、ジェイソン・ブラムが記事引用ツイートをしたの。
ロペス監督は上記の作品以後に、ギジェルモ・デル・トロ製作で新作を撮ることになっていたので、その後の作品かしら。

『ザ・マミー』は、ギャングに親を殺されたり誘拐されたメキシコの子供達が荒んだ世界で生き抜こうとするお話。母親が行方不明になった女の子が怪異を目撃するようになり、やがて怪異に導かれるように、隠された真相にたどり着くダークファンタジー映画。現実の方が恐ろしく忌まわしいメキシコ社会で、学校の先生が作った都合のよい「おとぎ話」を信じることで真実に開眼するほどの強さを身につけ、「私たちはこんな国の王であり、恐れを知らぬ虎であり、戦士なのだ」と覚醒するラストに鳥肌立った。勇ましく銃を手にする男の子達の方が一見たくましく見えもするのだが、ギャングに立ち向かううちに自らがギャング化してしまうという皮肉な状況に陥りやすい男の子を諫めているという意味でも、大変志が高いと思ったの。2019年に観た全部の映画の中で一番好きかもしれない。

さて、ブラムハウス製作の新プロジェクトは、『Our Lady of Tears』という仮題で、下記の記事を基にしているとのこと:

「The Haunting of Girlstown」という記事。メキシコ市郊外のチャルコという所にあるカトリックの修道女が経営する貧しいが少女向けの寄宿学校「Villa de las Niñas(女の子たちの家)」で、2006年~2007年にかけて発生した事件のことを報じている。その学校では、同時期に数百人の女の子たちの脚が麻痺して動かなくなるという原因不明の症状に見舞われた。

この寄宿学校は、メキシコ全国の貧しい家庭の成績優秀な女の子たちのためのもので、運営は、韓国のカトリック団体のマリア修女会が行なっている。厳格なルールで運営されており、家族との連絡もあまり取れず、子供たちが特定の修道女と仲良くなることも問題視されるほどだったそうだ。

この一件は、“psychogenic disorder of movement consistent with conversion disorder”として診断が下ったそうだ。拙く訳すと、転換性障害を伴う行動の心因性障害?

このマリア修女会のメンバーで同学校の当時の責任者だったチョン・マルジ修道女は、メキシコで十七年も活動し、大変な尊敬を集めているそうだ。『チョン・マルジ修道女のバカの心』という著書が出ている。

目次しか確認できないが、この事件のことには触れていないのかも。上記の記事の中で、例の事件で釜山に呼び戻されたチョン修道女は、事件に関して学校が受けた批判のいくらかは、アジア文化の厳しさというステロタイプに基づいたものだろうと述べている。

マリア修女会のページ。

元の記事の中では、ウィジャボード(=コックリさんみたいなやつでホラー映画好き興奮のアイテム)で遊んだ女の子の言動が発端になっているという。その子の母親が地元では魔女として知られていたとか、学校行事の後にその子が激怒したことで皆がビビったこととか、なかなか面白いっつったら悪いんだけど、ホラー映画あるあるでワクワクする…日本では、七十年代にコックリさんが流行って子供達に変調が現れたので学校でコックリさん禁止令が出た、という事件があったのを思い出す。

しかしながら、この集団ヒステリー事件の中で最も痛ましいのは、症状を訴えた女の子達の隠された苦痛の方である。貧困だけでなく、虐待や義父による性暴力など、出身家庭における被害について語る少女が出てきたこと。抑圧されていた苦痛が、急激な環境変化と、コックリさんという超自然パワーへの好奇心が文化的な土壌の中で、脚の麻痺という形で噴出した…と考えると…

大体、ホラー映画での子供がらみの心霊現象は哀しくてつらいのだ。

イッサ・ロペス監督はこの記事について「私自身メキシコのカトリック学校に通っていた。超自然的な出来事や奇跡、そしてメキシコのみならず世界中の貧しい少女が直面する現実世界の恐怖を日々の糧として育った」と答えている。

ホラー映画よりも現実の方がとてつもなく危険で怖く、痛ましい。メキシコの社会については興味を持って見ていた時期もあり、メキシコ社会の殺伐とした側面も何となく分かる。ホラー映画は現実を生きる我々に、普段考えないようなことを思い起こさせたり、或いは、実体験の直視を回避させながら、分かる人には分かる形でカタストロフを与えてくれる。同時にフィクションにはそれくらいしかできない、という思いも噛みしめる。

イッサ・ロペス監督は、この話をどう映画にするのだろう。何かしらのトラウマやストレスを脚の麻痺という形で表出させた女の子達と同じように、怪異と現実の恐怖を前に自分の力に覚醒する少女の物語を再び作ろうとしているロペス監督もまた、自らのトラウマと向き合っているのかもしれない。

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