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私の映画評

映画評というのを意識的に書き始めてから三年が過ぎた。まだ三年か…まだまだ駆け出しだと思う。

私の映画評は、私個人の映画体験談みたいな感じになっている。元々の始まりがアデイonlineでの『パヨクのための映画評』という企画から始まっており、映画を通して自分の生き方や考え方を見直す活動がベースになっている。そこには当然、社会と自分の関わりも出てくるし、個人的な思い出とか後悔とか、喜びとかが出ている。

と、いうことは、映画の構造や仕組みや文法を解説することには全く不向きということ!しかも体系的に映画学を学んだ訳でもないしね!!!アデイonlineが閉鎖されることが決まった時、焦ったわ!書く場所が無い!noteで書くのは、やはり他のところで出してもらう、というのと意味が違うから。

運良くチャンスをいただき『キネマ旬報』でも四回書かせていただけたし、「映画パンフは宇宙だ」でも何度かチャンスをいただいた。でも、これが実は毎回怖い。

上記のとおり、私の映画評は、私の独り言という側面、映画を私という馬の骨がどう体験したか?ということしか書いて来なかったので、

他の人が分かるように書き、皆んなが読みたいと思うものを考えて書く

という観点なんかゼロだった!今も無いぞ!!!!!これは試練だと思い、本買って読んだり調べたり他の人の文章を読んだりしているものの、原稿を出した後のあの何とも言えない気分の悪さ!!不安でならない。うわー何で文章を書きたいとか思ったんだろ!!!吐きそう!!!!何なら私ごと海に捨ててェ!!!!と毎回思う。

映画をどう体験するか?ということを社会的な観点から考えると、どうしても、作る人、観る人、描かれる人、の三者の関係を考えることになる。そして、考える土台は自分という馬の骨の薄っぺらい体験だけ…。

Twitterは、沢山の人々の体験というネタ元を見ることができるのがありがたい。でも、見れば見るほど、他人と自分の違いを意識させられ、足りない足りない、こんな自分の意見なんてつまんな過ぎて薄っぺらくて要らねぇ…という考えに苛まれる。人の心の闇に飲み込まれてしまうのね。

繋がれない映画、というのに当たるのも困ってしまう。うわー一言も言葉出て来ないわ!という状況をかなり恐れている。幸い今までは、仕事として書かねばならない作品でそういう事態に直面したことはないが、これからやればやるほど…ゴゴゴゴゴ…

結局勉強しなきゃいけないということになっていくんだけど、私はかつて恩師に「無手勝流」と言われた位で、要するにどこ歩いてるのか全然分かんないの!!だから少しでも琴線に触れた本を読み、面白そうな話を聞くだけ!!!指針がない!!!!

プロの映画評論家として書いておられる諸先輩方のを読むと、本当に面白いし上手いしきれいだし、こんなの書けない!!!もうやだ!!!!と思う。中には、私だったらこんなの絶対書かんわ…というのもある。でもそういう文章が人気があることも多くて、私は益々自信を失う。うわー…これが大人気だとしたら私とかダメだわ全く売れそうにない…。

私の書くやつは、私の人格を少し知っている人には分かりやすいらしいけど、私を知らない人にとってはねぇ…映画評のはずが、私による竹美評、竹美副読本になってるわけね!!!!どこ探しても自分しかいない!!!!!

今、本当にありがたいことに、書かねばならないのが二つあるので、もう書くだけなの。一本はまだ手をつけてない。もう一本は、作品を二度見てガチャっと繋がった気がしたのであらかた書けた。多分大丈夫。でもね、最後がキマらない!!!!あーーーーーーー!!!!!!せっかくのチャンスを無駄にはできないわ!!!!!!

こういう時には逃避したくなる。最近の妄想は、スマフォで一人「キャリー」を演じること!!!!マジでやりたいうわーーーーーー!!!!!!

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