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男尊女卑三国同盟に観る働く女達映画

フランス人の話の方向性はだいたいにおいて

フランス最高

という強烈な信念。でも他者を踏んづけずにそう話すのは難しいらしく、フランスの社会学者エマニュエル・トッドさんは

フランス最高、ドイツやばい

を臆面もなく世界に発信している。さすが。家父長制的家族制度を持っていた社会の問題性を、EUにおけるドイツ経済の支配という観点から延々と述べつつ、さりげなくフランスの個人主義的な部分と自由と博愛を賛美する『「ドイツ帝国」が世界を滅ぼす』という著書。なんつー邦題よwルースベネディクト『菊と刀』もそうだけど、他国論は優れた、或いは露骨な自国論になるというよい証拠です。

でもね、似たような家族制度を備えていた三国が第二次大戦で手を組み、見事に返り討ちに遭った経緯を考えると、妙に説得的な本なのよ。

では、最近三ヶ国で製作された映画から、職場や社会の男尊女卑に直面する三十代女性達の苦闘と安らぎを描いた作品を紹介してみるわ。

ドイツ代表  「ありがとう、トニ・エルドマン」、2016年

エリートコンサルタントの女性、イネスは、ルーマニアで大きなプロジェクトを成功させるため、休日関係なく働き続けている。そこへ、娘を案じた父親ヴィンフリートが訪ねてくるが、今は仕事に専念したい娘は父を軽くあしらって帰らせてしまう。しかし、父は帰国したと見せかけて、変装してトニ・エルドマンという人物になりすまし、イネスの行く先々に現れ奇矯な行動をとり、イネスを慌てさせる。

この映画、ちょっと長いので寝そうになるんだけど、トッドさん曰くEUの中で勝ち組で経済帝国になったドイツという側面から見ても面白い。ルーマニアは後進地域だから労働者がどんどん出て行く。グローバリズムの権化みたいなイネスがそんな辺境に乗り込み、男中心社会の中で人一倍頑張って、時折しくじって、もーイライラしちゃって自分も周りも許せなくなって、遂に壊れちゃうwそのシーンは大笑いするけど、職場で闘う姐さんの痛みを感じた。そこで痛みを和らげてくれるのは家族なの。こんなお父さんがいてくれて、まあ、困るんだけど、変人の奇矯な営為が疲れた常人を癒すという示唆は、芸術を高く評価する社会ならではとだと思う。同じようなことを『モモ』で書いてたミヒャエルエンデの文明批判でアップデート止まってたパヨクな私にとっては、エリートサラリーマンがパーティ会場の外でコカインきめてるような、金儲けドイツの様相に少なからず驚いた。でも作り手も、父親世代の価値観と、イネスの世代の価値観のギャップについては意識的だったんじゃないかな。かと言って現状を否定するのでもなく。そこが心地よかった。

イタリア代表「これが私の人生設計」、2014年

世界を股にかけて活躍する建築家セレーナは、ある日イタリアに帰ることを決意。でもそれまでいたロンドンとは違ってまともな仕事はなく、せっかく応募した建築コンペでも、男でないと無理、とまで言われ失意の日々。たまたま知り合ったハンサムなゲイのフランチェスコを応募者に仕立ててみたら見事に当選。アシスタントのふりをしてプロジェクトを進めるのだが、あまりにも酷い職場の男尊女卑に怒りが収まらない…

イタリアってこんな酷いんだ!と思い知った作品。イタリア映画「見わたすかぎり人生」もこの問題が少し出ていたと思うが、海外を見てきたエリートから見た祖国の惨状を案ずる目線で見ると、孤軍奮闘するセレーナが涙ぐましい…他方で、ゲイ達はちゃらんぽらんなのに普通に生きられている…そこは映画のテーマではないけど…という対比は注目すべき。これは日本でもまったく同じだから。ゲイは、自分が享受してる男特権に自覚的であるほうが、他人にも自分にも優しくなれると思う。

男尊女卑の国において、ゲイは女の味方としてはイマイチだけど、裕福なゲイなら家に泊めてはくれるよ!

前述のドイツと比べ、負け組のイタリアでは厳しい底辺競争が起きており、そういう時に文化的な問題が浮上するのだと感じる。ラストシーンでやはりイタリアらしく、家族みんなで食事するシーンで終わるのが救い。今の日本では、家族で食事、のシーンには色んな怨霊がくっついてくるんだけどね。

日本代表「嘘を愛する女」、2018年

由加利は業界でも名の知れたマーケティングのプロ。ある日五年付き合って同棲している医療研究員の彼氏桔平がクモ膜下出血で倒れ、昏睡状態に。落ち込む由加利の前に現れた刑事から、桔平という人物は存在しておらず、あらゆることが嘘や偽造であることを知らされる。彼の過去を知るため、由加利は探偵と共に瀬戸内海に向かう。

三十代バリキャリ女性が人生の岐路に立つ作品としてこれを選んだんだけど、彼女が職場の中で苦闘するところはあまり出てこない。だが、彼女は甲斐性がある。ほぼ収入のない彼氏を養って更に余りある程の女である。倒れた後も、私があんたの面倒見るから!と決意したんじゃないか…と私は頭の中で補う必要があった。クモ膜下出血で倒れると、大抵の場合は前の生活に戻れないから大変なのだが、その覚悟の壮絶さは作品の中では描かれない。あくまで彼女の愛と成長と献身の物語に始終している。少し物足りなくもあるが、それが今の日本で受け入れ可能な物語なのだと思う。

でも本作のサブストーリーは、実は「来る。」に近い、家族の機能不全に関するお話になっている。そちら側の女性の生き様は、由加利とは無縁の、だが、由加利が子供を持てば必ず直面する問題なのよ。その辺の対比やツッコミがもう少しあってもよかったかも。やりすぎるとホラーになるんだけど。

勝ち組ドイツのイネスはそのまま突っ走り、負け組イタリアのセレーナは、一つ一つ、ズルしてでも戦って勝ち取るしかなく、遠く日本の由加利は、彼氏の過去も未来も現在も全てを受け止め、キャリアを投げ出すことも辞さない程の献身をして恐らく子を持つのだ。どうかしら。三作品の中で日本映画が最も見つけにくかった。でも、何となくこう解釈すれば、三国同盟と言っても少しずつ違う方向を向いていることが分かる。自分のやりたいことを全部投げ出して男を愛し、母になる決意すら滲ませる由加利の様子を結論として描いてしまう日本映画は、とても皮肉なタイトルね。彼氏の真実を知ることで、愛のために彼氏のためにキャリアも捨てるという自分の選択を嘘でも愛する女、という意味にも思えてしまうもの。

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