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竹美映画評82 『リトル・マーメイド』("Little Mermaid"、2023年、アメリカ))

ディズニー様に今の地位をもたらした黄金期を築いたアニメ版『リトル・マーメイド』(1989年)からもう34年も過ぎちゃった!家でVHSで同作を何度か観た記憶のある自分の年齢が怖いッ!むろんオネエだからアリエルの歌う「パート・オブ・ヨア・ワールド」は英語でうっとりねっとり歌える系です!!!
本作観て来ました。あああああん大好きぃいいいいい。何が?頭が健気なアリエルになり切った自分(44歳・男性)が!!!!!!!

監督は『シカゴ』のロブ・マーシャル姐さん(やったー)。主演は歌手のハリー・ベイリー(初めて見た)、トリトンにはハビエル・バルデム(色気あり過ぎ)、アースラはメリッサ・マッカーシー(好き)。エリック役の人はいかにもイギリスの俳優といった感じがしたジョナ・ハウアー=キングという方。歌声も素晴らしかった。

公式でも出ていないことから分かるとおり、別の歌手の歌ったエンディング曲が存在しない。アニメ版は、故オリビア・ニュートン・ジョンが歌っていたのも懐かしい(今聴きながら書いている)ので、期待したのだがやっぱり出て来なかったね。本編のアリエル=ハリー・ベイリーが素晴らしかった。

アリエルの声が素晴らしい

https://www.youtube.com/watch?v=-lxZTTZkxt0&list=RD-lxZTTZkxt0&start_radio=1

上記動画で聴いたアリエルの声があまりにも私好みだったので、見に行くことを決めた(本当はヴィッキー・コーシャル主演のヒンディー映画と迷っていた)。クラシックとポップスのミックス具合が素晴らしい。

本編でも出て来た瞬間から好きになった。はあああ…好きになったというか最初のシーンから感情移入してしまい、ただ海を元気よく泳いでいるシーンで軽く感動してしまった…全てを前向きで健気なアリエルの視点から観て一喜一憂して楽しんだわけ!!途中ちょっと健気さが足りないシーンでは気持ちが冷めそうになったが直ぐ危機が訪れてまた健気モードに!!!何つー楽しみ方!!!「私…今…アリエル…ごめんねジェニファー!今日私はアリエルなの…はぁあああああん…」脳内では、彼女に感情移入してる自分の意識で遊んでいる感じ。半分くらいのゲイの頭の中にはインナーヒロインが棲み付いており、ゲイの人生をおかしな方向に操ろうとしてくるのだ!

一応言っとくけど、自認は44歳のゲイ男性だからね!??

アリエルのキャスティングについては色々意見があるのも承知よ。映画批評したいんだから!

論争

アニメ版では赤毛の白人の女の子だったアリエルを有色人種にするなんてポリコレ配慮の意味しかないだろという議論があった。私個人としては、宣伝の段階で「黒人の少女が自分と同じ肌の色のヒロインがいるということで喜んでいるところを見て、大人が勝手に「彼らはこれで自己肯定感を得ている」と決めつける動画」を見て、その作為が嫌いだった。大人の戦争に子供を使ったな?と思ったのよ(この感覚はホラー映画『ミーガン』でも暗示されていると思う)。

私は映画を観てどういう体験をしたいかって言えば結局「アリエルになったつもりになってる自分を楽しみたい」という欲求しかないため、この表象が社会的にどういう意味を持つかという議論に自分は入り込めない。

多分、ハリー起用に反対の皆が言うように、別の役を演じた白人女性が主演を演じていたとしても私は面白いと思っただろうけど、つまるところ、「面白ければ、楽しければ何でもいい」のが観客だ。それは『RRR』のコアファン層と、インド映画を知らなかったニューカマー層の反応を、2020年代のこの状況の中で見てたら分かるもの。

もう一つ面白いと思ったのは記事の以下の部分。

…批判の矛先が向かったのは、実写版でアースラのメイクアップを担当したピーター・キング。彼は、アカデミー賞の受賞経験もある大ベテランのメイクアップアーティストなのだが、それがかえって一部のドラァグ・クイーンやLGBTQコミュニティの怒りを買うことになってしまった。  彼らは、ドラァグ・クイーンをモデルにしているアースラのメイクアップは「クィア(性的マイノリティ)のアーティストに任せるべき」と主張。「今に敏感で、未来へのビジョンを持つ新進気鋭のLGBTQ+アーティストに仕事を与えるべきだ」と非難している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cd3f9bcb2c64df505933edccca39f4cb950debca

アースラのキャラクターの演技と見せ方はほぼゲイ向けなので、私は特に好感を持ったが、同時にこうも思ったの。「これをドラァグクイーンに演じさせなかったのは何故なんだろうかと思う程クィアな役だが、昨今のアメリカの状況考えたらそうしなかったのも分かるな…」って。元々どういうことが言われていたのか知らなかったんだけど、上記の記事を読む限りは、思った通りなんだなと思った。

ゲイは、心はアリエルになり、一方で自分に戻ってアースラを楽しまなきゃならないので非常に忙しい映画だった!

ディズニーについて憶測すると、人種の問題についてはオープンである一方、今北米で大きな問題になっている「子供の前で過剰に性的な意味合いを帯びた身体表現を見せる行為は、ドラァグクイーンやその他性的少数者だからといって、全て無条件に肯定されるべきなのか?」という論点と、そこから派生する色々な事柄(子供への性教育とはどうあるべきか、プライドパレードでゲイが全裸なのはいいのか、女性自認の男性教師が巨大な模造乳房を付けて子供に授業をしていいのか等)から距離を置いたのだろう。

上記のポイントは、何度か書いて来たけど、長らくLGBTという概念を無条件にいいものと思って来た私にとっては答えることが非常に難しい。子供向けの表現をゆるゆるにすべきでないという点は同意する。一方、子供を戦場にして大人同士が攻撃し合っているのは間違いなく、やがて「大人」が再び戦場となる可能性も感じる。恐らく『スワンソング』のトッド・スティーヴンス監督はそう思っているのではないかと思う。

パイレーツオブカリビアン的ホラータッチ?

本編離れちゃった!本作、実写にしたことで魚たちや海の生き物たちがリアル化しているし、岩場のごつごつ感に異様さが漂っており、結構ホラー感あり海は未だに我々人間にとっては恐ろしい場所なのだと思い出す。冒頭でサメがやってくるシーンなどは相当怖い。

みんなが大好きな歌曲「Under the sea」のところの豪華絢爛なはずの海のダンスショーも、ウミユリがふわああああとやって来たりしてて怖いし、アリエルが明らかにカツオノエボシみたいなクラゲの脚を握っていたりしてぎえええええ。アリエルのお友達のお魚もリアル過ぎてなんか怖いの!!!

他方で、ハビエル・バルデム演じるトリトンから色気が出過ぎててすごかった。彼の顔は元々凄みがあるので彼は悪役ばっかりの印象があったんだけど、今回は厳しくも愛情深い父親という役柄にぴったりだった。役者ってすごいねえ。でも、海水面に出て来て浮いてるシーンはぎりぎり滑稽になりそうで危ない危ない!それから「あのシーン」はどう表現されるのかなって思って待っていたら、結構怖い感じに仕上がっていて、全体的にホラーみがあった。

「元の」人魚姫のことを考える

本作では、同じ世界に住めない二つの種族が共存する道はあり得るのか?という問いについて何とか子供向け映画なりのいい答えを出そうとしていた。

原作について誰の書いた本だったか忘れてしまったんだけど(ばか!)アンデルセン童話の分析の中では、人魚姫というのは、自分の身分を偽り姿を変えて別の集団メンバーの振りをしていても、心は(自分がそれではないということをよーく知っているから)常に自信が無くつらいというアンデルセン自身の実体験を元にしたお話しだと読んだことがある。人魚姫は「身の程知らずの願望に従ったことによる罰」を経て泡になって消える…ひどい話だなって思うわけだけど(ディズニーはそこを改変して換金に大成功!)、泡になって消えることも神の救済だったんだと書いてあった記憶がある。…やっぱり救われないのね。

私は、人間が身体と自意識というのものから自由になることは不可能だと思っているのだが、多分その考え方に大きく影響した論考の一つだったと思う(ああほんとにメモしてなかったの悔やまれる)。

身体というものは可変的で、アタマの中にある精神や心=自認こそが意味があるのだという考え方からすれば、人魚姫は完全に逆を行っている。身体こそが住む場所を決めてしまうからだ。また、映画版のラストを考えると、別々の空間にいて、一つだけ一緒にいられる場所=水際で一緒に過ごす時間を大事にすることが相容れない集団の共存の知恵なのだとも読める。

我々は過程を生きるのみで、結果はいつも未来の人間に託される。実写リトルマーメイドが残すであろう色々な疑問は、未来の世界では解決されるのだろうか。

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