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竹美映画評57 ブロマンスの花咲く歴史ファンタジー 『RRR』(2022年、インド)

ラージャマウリ映画が公開されてしまった!コロナで公開が何度も延期されたおかげで観客の気持ちも製作も却ってよくなったのではあるまいか。

1920年代、イギリス統治下のインドで、二人の青年が出会い、革命家として成長していく様をファンタジックに描いた濃厚ブロマンス作品。皆様、気を確かに

予告編の時点で70%ネタバレ状態の娯楽作。『バーフバリ』二部作以来のラージャマウリ作品ということで期待と不安が混じっていたが、映画館で観て欲しい映画らしい映画で、大満足で劇場を後にした。今回はヒンディー語版(うれしいことに英語字幕付き!)の3Dで観たが、次回はテルグ語版で鑑賞したい。

NTRjrとラームチャランというテルグ映画を代表する二大スターが共演という時点でもう半分位勝利したようなものだが、二人に劇的な出会いを用意し、のちに敵対させ、そして再び絡ませてしまうブロマンス花盛りだった。

NTRjr演じるアクタル(ビーム)は、冒頭で自分の住む村からはした金でイギリス人に連れ去られた妹を取り戻しにデリーへやって来て、奪還の機会を待っている(すごい秘策を持ってるよ!何となく分かっちゃうけどお楽しみに)。このNTRjrの登場シーンがすごかった。パンツ一丁(!)で胸毛ぼうぼう、筋肉むきむきでジャングルを駆け抜ける!あか抜けないもじゃもじゃ頭なのがまた似合っちゃう。

対するラームチャラン=ラームは警察官。イギリス人の手下という形でインド人の暴徒鎮圧にあたる。もうすごいのなんのって…テルグ映画に慣れてしまったので笑いながら観られるけど、彼の役回りは苦い。その苦悩を娯楽作らしく表現していた。 彼は、パンツ一丁で登場させられたNTRjrとは反対に、制服を着ているシーンが多い。制服で抑圧された彼の心が痛い!でも、彼は昔の制服が妙に似合う。何と言いますか、司馬遼太郎原作の坂本龍馬感があるんですね。大志を抱いた田舎者なの。『Rangasthalam』では彼の純粋さ=田舎臭さがよく活きていたが、今回はそれにプラス、明治維新とラージャマウリ的コミック性が加味されたことで、今回の役は、娯楽アイドル性と彼の実力が見事に合わさった、キャリア最高の役になったんじゃなかろうか。

さて、ラームが村に残してきた許嫁の名はシータ。ラーマ&シータと言えばもうヒンドゥーインドにとってはこの世のウルトラベストカップルだからね!シータをやるのはアーリア・バット。コロナで公開延期になったせいもあって、彼女の当たり役となるであろう『Gangubai Kathiawadi』(バーンサリ監督)と入れ替わりで公開。

どちらもすばらしい監督の作品だが、シータ役のアーリア・バットはちょっと惜しい!彼女の持ち味である凶暴さを発揮するシーンが無い。

さてみんなの大好物、ブロマンスなんだけど、今回も濃厚接触がいっぱいあってわくわくしてしまうよ。ビームがラームをかいがいしく世話するシーンが二度もあるんだから!熱々カップリングにかなりの時間を割いて作ってあるので、そういう欲望に応える映画なんだと思って観た方がいい。立場上二人は対立してしまうんだけど、そこもそういうプレイかと思えてくる(お楽しみに)。

本作は、同時期に公開になった『Pawankhind』や『The Kashmir File』と共に「インドの敵は誰なのか」ということを描く歴史ものという意味も持っている。また、英雄を見上げる民衆の快楽にも寄り添った作品だと言える。そこは『Gangubai』とも共通している。

イギリス軍人が悪辣なんだわ。スコットという軍人のラスボスが、白髪で青い目をしており、とても悪くてかっこよくてセクシーだ。また冷酷でサディスティックな妻の狂気と欲も最高(冒頭のシーンでの彼女の行動が一連の騒動を引き起こしている)。彼らは悪に振り切れているわけだが、彼らの悪を引き立てないと、イギリス側の手下として現実適応していった多くのインド人の苦悩を浮かび上がらせることはできない。イギリス人の言動に、人種差別や文化盗用のことまで読み込ませている点は、さすがだなあと思ったが、世界の流行に乗ってしまったな、と思った。

ところで、彼らラスボスカップルの言動含め、劇中のイギリス人の横暴なふるまいの描写は、実はインドで見られる横暴さがそのまま投影されているのではないかと思う(すぐビンタするとか)。スコットの妻が会議の中で椅子を与えられ権力を握り、色々な口出しをするシーンがあるのだが、あれはインド映画の発想ではないかと思う。ヴィクトリア朝のイギリスにおいて、女性は政治に参加できなかったのではあるまいか。他方でイギリス人女性ジェニーの立ち位置とシータの立ち位置に不満な観客はいるかもしれない。女は男のトロフィーじゃねえよと思うだろう。でもトロフィーですらないような…だってインド映画お得意の男女が絡みつくように踊る音楽シーンが一つも無いばかりか、男女が一緒にいるシーンがほとんどない。そう考えたら、彼女たちがいなかったら、大半の観客にとってはもはや理解できないのでは…。

ということで、「戦う女性」像は今回は出てこない。アーリア・バットがもったいないのはそこだが、彼女の活躍を入れたら4時間越えになり、二部作にしなきゃいけなかっただろう。大物だからね。本作は二部作でも面白かったと思う。ただ、歴史的事実を踏まえると、戦争によって独立を勝ち取ったわけではないインドの歴史と矛盾する部分が大きくなってしまったかもしれない。他方、ジェニーもシータもばっさりカットしてほぼ描かない、二人のブロマンスに編集し直した腐葉土の香り高いバージョンを作って欲しい気もする。その方が日本で需要がありそう。

一方、ラージャマウリ映画だから、悪行の限りを尽くした者は、必ずやインドの神の手で滅ぼされる。ラージャマウリは歴史ものの形を借りて、インド神話活劇をまたやってくれた。その痛快さ。最後のクライマックスで、制服を奪われ、親友に看病され、最後にあの衣装を身にまとい、神の化身となったラームチャランの雄姿を見て!!劇場が沸いた。かっこいいんだけど何かおかしい!!その後のシーンでもあの恰好のままずっといるっていうのが更に笑わせてくれるけど、彼は本気で真面目にやっているのが伝わって来る。尊い…

あの純粋さをあの年齢でも躊躇いなく出せるラームチャランとNTRjr。彼らはテルグ映画スターという生き様を本気でやっている聖人だと思う。そして彼ら二人の熱々ブロマンスを妥協なく作らせた監督はすごくパワーがあるんだね。

戦時中の日本映画とか、80年代ハリウッド映画みたいないけいけどんどんというアクション映画を観ると複雑な気持ちになる。日本人だからね。でもここの人たちにはこれが当たり前で、このように世界を眺めている。それは現在のハリウッド映画も全く同じ。世界は似ているけど、同じじゃない。

きっと日本公開されるでしょうから言っておきます。絶対に最後まで席を立たないでね!←日本人には言わなくてもいいか。リピート間違いなしの娯楽大作です。

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冒頭のシーンはラモジのこの辺で撮影されたらしい。今はもう何も残っていない…

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