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竹美映画評㉙ 十言って一分かってもらえなくてもいいのよ 『タリーと私の秘密の時間』("Tully"、2017年、アメリカ)

シャーリーズ・セロン&ディアブロ・コーディ+ジェイソン・ライトマンのコンビはやっぱりいいね。『ヤング≠アダルト』でシャァに「自分の立ち位置を勘違いして生きてる美貌の三十代女の孤独と空虚」を演じさせた同じコンビが、今度は、育児に疲れ果てた母親を演じさせる。

四十代の母親マーロ(シャーリーズ・セロン)は、三人目を妊娠して産休に入る。上の子の世話でも疲れ果てていたのに、夫はあまり頼りにならず、彼女のストレスは限界寸前に。それを案じた兄(マーク・デュプラス。『クリープ』でこれ以上無いキモい男をやった人)からのプレゼントで、夜間ベビーシッターの若い女性タリー(マッケンジー・デイヴィス)を雇う。マーロの心を解しながら、生まれたばかりの三人目ミアの世話をしてくれる彼女のおかげで、久々におしゃれを楽しんだり、人にも優しく接することができるようになったマーロに、周りも一安心。

マーロの夫は決して悪気はないが「自分が深夜に起きて赤子のおむつを替える」ということを想像できない(まあ大半の父親ってそうだよね)。上の息子は情緒面のコントロールが難しく、車でわめき続けたりして本当にやばい。そしてむろん、学校側も手を焼いている。「うちの学校では対応ができません」と校長に言われてぶち切れるマーロ。ぎりぎりまで追い詰められたマーロがストレス溜めるときの音がゴゴゴゴゴ…と聞こえてくる。

夜間ベビーシッターのタリーのおかげで落ち着きを取り戻したマーロは、校長先生にも笑顔で謝罪して別の学校に息子を転入させる。イキイキしてきたマーロに、夫も兄貴も安心してしまい、「これで助かった…」と思う。

「継母が三人いた」と語り、幼少期に苦労したマーロは、人一倍、「まともな家庭環境」へのあこがれが強い。兄の妻の言うように「ベビーシッターに任せればいいの」とは気楽に頭が動かない。「私がちゃんとやるんだ」と、責任と軽い強迫観念が見える…こういう所に「育ちの呪い」って出ちゃうのよ…。既に、息子が産まれた後に何かあったことが最初の方で示唆されている。でも、夫や兄は、そのことを「大ごと」と捉え切れていなかったのだろう、ということがラスト付近で分かってくる。

タリーは「おやすみなさい。ミアにキスして。(赤ちゃんは育つから)明日は別人になるの。私たちもそうよ」と言う。一日一日を意義深く生きる。それこそがマーロの願望なのだろう。「素晴らしい母親ならやれて当然のこと、掃除や、カップケーキを焼いてあげることや、学校の校長にキレないようなことが、どうして私にはできないの?」と普段から自分に怒っているマーロは、タリーに「もう辞めるの」と言われて怒りを覚える。「あんたは若いから何だってできるわよ!私にはもう平凡なこの毎日しかないのよ!!!」と。でも、タリーは「そうよ、平凡でつまんない毎日の繰り返し。それを子供たちに与えることがあなたの夢だったでしょう」「もう先へ進みましょう」と言う。

弱者の世話を一人でする、ということの壮絶さをシャーリーズ・セロンの身体が見せつける。二重顎になり、腹はぼーんと出ているのに、腕だけ細い。マーロ曰く「私の体は戦後の立体地図みたい」。「「なりたい輝く自分」を実現する筋肉」は、兄の妻のように、自分のための時間を確保して取り組まなければ失われるものなのだ。タリーが初めてやって来た日、マーロの目は彼女の細く若い身体にくぎ付けになる。ああ…私だってあんな若い時があったのに…今だって時間さえあればできるのに…疲れているときって何でもかんでも他人がうらやましくなるし、自分が大嫌いになるし、周囲ともうまくいかなくなり、いいことが一つもない。

或いは、こういう感じかもしれない:自分が、介護や育児や、誰かの面倒を見なきゃいけない生活で、自分だけの時間を思うように取れず、自分の目標が遠のいたと感じ、一つ一つ何かを諦めていく。自分が遅れを取ったと感じ、焦燥はちりちりと顔を焼く。自分のための時間を犠牲にしている気がして、むなしくなる。この種のケア労働は、十中八九、「十言っても一聞いてもらえない」と思った方がいい。私たちだってケアのプロじゃないし、疲れて必要以上に自分や相手を責めてしまうときもある。でも、苦しさを軽減する方法は必ず自分の外にある。

辛くてもう先に進めなくなっているとき、あんたは悪くないんだよと背中を押してくれる存在が欲しい。『ブリグズビー・ベア』(2017年)の熊さんも、タリーも、全部解決してくれるわけじゃないし、役割を終えたら去っていく。そして現実には、ブリグズビーベアも、タリーも、メリー・ポピンズもいない。私たちは自分で私のタリー達を見出さなければいけない。周りにいる誰かに、素直な気持ちで「助けて!」と呪文を唱えてみて。一人で何でもできることが偉いんじゃない。今、もしそれが後ろめたいなら、いつか誰かのタリーになってあげればいい。うまくできない自分を許して認めて初めて、マーロも夫の謝罪を受け入れることができるのだ。

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