見出し画像

竹美映画評⑱ 世界はとても似ている 「カラン・ジョーハルのそこに愛はあるの?」("WHAT THE LOVE?", 2020年、インド、Netflixリアリティショー)

2019年1月は、竹美さんがインド進出したという意味で極めて重要な年であった。つまり、今のインドは、私が行ってもそれなりに問題なく過ごせる状態になっているのいうことである。

ボリウッド映画界の大物プロデューサー・俳優・監督のカラン・ジョーハルがホストをつとめ、恋愛がうまくできない若い男女を変身させる本番組は、いわばインド版「クイアアイ」である。

カラン・ジョーハルは「ゲイ」であると言われている。インドって時々日本みたいだな、と思うところがあるのだが…Wikipediaにはないが、彼がゲイなことはみんな知っている模様。番組の中でも「ゲイよ」とは言わないのに、明らかにそれを前提として話が進んでいるのが面白い。そして、彼が番組の中でレズビアンやゲイを取り上げているのが、インドの若い世代のトレンド最先端なのだと思う。

この番組で取り上げられるインド人は、全員が英語ペラペラの高所得者ばかり。もちろんテレビ番組だから、キラッキラした世界のあり得ないデートをする様子を観せたいに決まっているし、観る方もそれが見観たいのだ。インドなら、絶対にうるさいことを言ってくるはずの親や家族が全く出てこないのは意図的であろう。

そのキラキラしてて何の疑いも持ってない感じが、何か、90年代後半~2000年代初頭の韓国の感じなのよね。経済成長の恩恵が各層に広まり、若者たちは豊かさの中でこそ自由を獲得していく(豊かでなければ自由が手に入らないということは普遍の真理)。その一方で、親や家族の干渉や世間体もある。それまで、自由恋愛なんて下品なこと、または空想のことだった(でも皆やりたかった)ような状況から、自由恋愛に近い形とお金を手にしたのである。韓国ではそれが、学生運動が収まって経済成長に成功した90年代に発生し、インドは今まさにそこに入ったところのように見える。

若い皆の悩みは、びっくりするほど聞いたことのある話ばかり。その中で、「結婚しない」「恋愛しない」という自由までは視野に入れてないという番組のスタンスが、きっと繁栄するインドの今を表現しているのであろう。映画「ガリーボーイ」は、繁栄と貧困の亀裂を「繁栄するインド」の側から描いているが、本番組にも、パンジャブ人のラッパーが出てきており、スラム出身の主人公の青年がこちら側に来た時に何を見るのかをまざまざと見せつける。

ル・ポールを意識しているとみられるカラン・ジョーハルが姐さんとして、出演したゲイの青年にアドバイスするところはドキリとさせられる。若いゲイの子のエピソードに「Love or Lust?」というタイトルを付けたカラン。鋭すぎ。多くの若いゲイが、「見た目や振る舞いに起因するエロス=タイプの男とセックスしたい!」と「精神的な安心感=長期的パートナーシップ」の間で揺れる。若く元気で生活の安定した都会のゲイは、簡単にセックスが手に入る一方、長い付き合いが難しいという状況にまず直面するのだ。そして、それを社会のホモフォビアのせいだけにもしないのがよい。カランは「自分は若いときに太っていて、男らしくなかったから沢山からかわれた」ということを繰り返し語っているが、社会が悪いという言い方はほとんどしない。その代わり、色々な事情で傷ついている出演者たちに「個人的に」精一杯寄り添う振る舞いを見せる。でも結局それしかできないのだ。結局決めるのは自分だから。その選択肢を選べるかぎりにおいて、できることは「アドバイス」だけなのだ。その選択肢を選べるということが、本当にすごいことなのだ。この番組は、選択肢のある人々のものなのだということは忘れてはいけない。

インド社会を全体として観れば、あの番組が描く世界はほんの一部。でもあれは自由と放埓に続く、若者の希望でもある。「お堅い」社会だったアメリカに、自由と放埓を広めたのは黄金期のハリウッド映画である。同じように、ボリウッドをはじめとするインド各地の映画界は、インド全土に自由と放埓を見せつけてきた。インドがどうなるにせよ、もう止まらないだろう。

そういう今のインドを率いているのは、ヒンドゥー至上主義を志向するモディ政権である。私の彼氏は「若い世代はモディさんが好き。モディさんは色々なことを変えてくれる。同性愛も合法になった」と語る。私はそれがどういう意味なのかは判断できない。それは、日本において史上最もリベラルな状況が到来しかけている安倍政権時代をどう評価するかという問いと同じだからである。それは簡単ではない。個々の事柄について、それぞれ意見を言いながら、常に問い返していくしかないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?