人には人の地獄がある

人には人の地獄がある。その人しか知り得ない、光の当たることのない孤独。誰かに言いたい時期を通り越した、その人の全てを形作った、そんな孤独があると僕は思う。

先日、仕事で知り合ったばかりの人と二人で話していて思うことがあった。改めて、人の見えない地獄に想像力を働かせていられる自分でいようと強く心に決めた。少しばかり綴ろうと思う。


自分のことを「酒乱だから」「俺歪んでるっしょ笑」「意地汚い人間だろ?」と語るその彼を、僕は最初、「ああ、皮肉屋なのかな」と思っていた。でもそんな彼は一度も自分以外を皮肉ることはなくて、他人や環境の愚痴は決して言わないかったものだから、少し興味が湧いて話していた。なんとなくわかる気がするから。

優しい人だと思う。優しい人は自分の境遇を周りのせいにはしない。

22歳の彼は10年間親から体罰を受けて育ち、妹は鬱病、大学生ではあるものの、塾にはいけず独学で、学費もすべて自分で払っているような苦労人だった。

きっと、強く在ろうとすることでしか自分を許せなかったのだと思う。強くあり続けることが自分の居場所になっているのかもしれない。どこにも頼れなかったのだろう、でも彼は優しすぎるから「自分が頑張れば」と言う。

「自分の素を隠さなきゃ!」という恐怖心にも似た心だと思う。服の中にさらしを巻いてる感じがあって、他人に見せる明るさも「ここまでは親切にするから、これ以上踏み込んでこないでね!」みたいな、明るさを盾にした自己防衛。相手に合わせているようにしながら相手からは距離を取るという手段を取ったり、予め自分のステータスの低さを説明して置いて、その後の落差を無くすような感じ。それが彼の場合は皮肉を混ぜた物言いなのではないか。だとしたら、ずっと一人じゃないか、辛くないか、頑張りすぎではないか、と勝手ながら気が気じゃなくなる。彼の皮肉には寂しさが滲み出ていたから。

分かる気がするのだ。僕も物心ついた時から家庭内は怒号と罵声が飛び交っていたし、母親が夫婦で貯めた僕の入学費などの教育費用を全部使い切ってしまっていていたりしたから。物理的に頼るという概念が、日々消失していた。

親のせいにしたい気持ちを何度も押し殺して、「この世の不利益はすべて本人の力不足」と自分に言い聞かせる。(東京喰種のカネキも同じこと言ってましたね)

そんなものだから自分のことなんて二の次で、気付いたら自分は何が好きで何が嫌いなのかも分からなくなってしまう。ほんと、この世界は残酷だと思う。


『立ち直るには何したらいいと思う?』


彼にそう聞かれた。

これについては正解なんてなくて、本当に個人差がある。

僕も、周りのせいにしなくなるまで10年以上かかった。巷の自己啓発本を読んだ程度では根本的な解決にならなかったし、いつまでも同じことで悩む・立ち止まるを繰り返した、そんな自分をいつも醜く思った。「自己肯定感」という言葉を聞くのが苦しかった。

よく時間が解決してくれると言うが、あれの真意は「解決するのに時間が必要だっただけ」だと僕は思う。

自分の身に降りかかる事実のほとんどは避けようのないことで、逃げられない。けれど、降りかかる事実は人それぞれ違うし感情も違う。だからかかる時間もそれぞれ違うのは当然のことだろう。だから、時間はかけていいと思う。

結局他人の言葉で肯定した自分にはいつか依存する。その人じゃなきゃ自分を正せない人になったら、その人がいない自分は無価値になってしまう。そんな世界線、きっと苦しい。だからこそ、地獄はちゃんと在っていい。

そんなことを考えながら、彼とはその日中に解散した。



話を聞きながら、最後まで「なんて言葉を返したら彼は楽になるだろう?」とずっと考えていた。そしてそれは最後まで分からなかった。けれどそんな正解探しからは離れて、これからも彼の話に想像力を働かせていこうと思う。

過去を調整できるのも、絶望という灰色に色を塗れるのも、僕は最高にオシャレだと思うから。


君の皮肉も、僕には美しかった。

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