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休日に読むのにいい本(世界史の逆襲)

休日の昼に読むにはいい。実にいい。世界史に詳しくない人でも(詳しいとなお)楽しめます。私的に「へえ」ボタンを(?)押したいのは次の点でした。

1.30年戦争(1618~1648)は傭兵の戦争

 今でも紛争地域では「民間軍事会社」が介入し(要するに傭兵)、実際の戦闘・警備を行うケースが多いようですが、当時も傭兵はゆるぎない地位があり、十万人規模を提供できる傭兵隊長もいたそうで、注文に応じて兵を手配。神聖ローマ帝国(カトリック)とスウェーデン(プロテスタント)のある戦いの際、スウェーデン側にはスウェーデン人が20%しかいなかったとか。

ちなみに傭兵主体になると、自国だろうが他国だろうが略奪が行われていたようで(愛国心的なものを期待するほうが無理だった)、地域全体が荒れ、死傷者も増加、そもそも戦いを「早く終わらせよう」というインセンティブすら少ない(なかった?)。(国民が1/3になったケースも)

これらの反省からか「常備軍」というものが誕生したのはこの戦争の後からでした。やがて「傭兵が戦争をする」スタイルは下火になります。第二次世界大戦で「傭兵」が戦ったというのは(あったのかもしれませんが)、メジャーではありません。しかし、再び傭兵の地位は上がり(?)現代でもスーダンの民族虐殺を防止するためにNGO法人が民間軍事会社との契約をしたり、民間軍事会社の従業員?が62万人と英軍の3倍だったり、という状況に。1648年のころに戻りつつあるようです。

また、この戦争の終結の際に結ばれた「ウェストファリア条約」は「ローマ(宗教)の権威」を否定、「国家」を核とした社会を作り出します。これがやがて中国の華夷思想にぶつかることになります。

2.華夷思想と中国の領土感覚

アヘン戦争を見た日本は明治維新後、急激な西洋化に舵を切ります。そのころ、1871年宮古島(琉球の一部)の住人が漂流、台湾に流れ着いたあと殺されるという事件が起きます。日本はこれを清朝に抗議するも、「台湾は化外の地」と関知しないという態度をとります。その後日本は1874年台湾に出兵、やがて清朝もこの出兵を認め、ここで琉球は初めて「日本の領土」ということになります。

今度は朝鮮で問題が起きます。着々とすすむロシアによる「シベリア鉄道」の敷設に脅威を感じていた日本は朝鮮半島の安定化を目指します。そこで、「そもそも、朝鮮は清朝の属国なのか」という論争が起きました。

清朝側:「朝鮮は清朝に対して朝貢を行っており、暦も清朝のものを使っている。これだけで属国であることは明らか」と主張しますが、

日本側:「そんなものはただの儀礼。そもそも課税も何もしていないのになぜ属国?」と「西洋の」理屈で攻めます。が、話はかみ合いません。

清朝「周辺地域では課税なんて彼らに任せているのだ」というわけで平行線が続きます。これが当時の清朝の「領土の感覚」であり、ウェストファリア以降の「国家」感をもつ西欧諸国とは明らかに相違するものでした。ウェストファリア的な感覚では「地理的」に線を引かないと「国家」という単位すら、あいまいなものとなってしまいます。

やがて清朝の優秀な外交官たちはこの「領土感」を認識、急ぎウイグル、モンゴルといった地域でも国家としての線引きを始めることとなりました。

これは現代の中国にもつながるそうですが、アヘン戦争から第2次世界大戦までの(外国から刻まれまくった)1世紀は中国にとって「恥辱の1世紀」にあたるらしく、同時期の日本のような「近代化の夜明け」的な印象はなく、「そうなってはいけない」という1世紀になるそうです。たびたび起こる反日運動についても、普段は意識していなくてもこういったストーリーというのは引き継がれているのかもしれません(反日運動はやめてほしいですが)。

そのほか、第二次世界大戦がはじまる前、フランスとロシアを抑えるためにドイツの拡張を対して気にしていなかった英国(自分の領土は欧州外にある)の話など、読み応えがある本でした。







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