ずっと気になっていた仏教×哲学
私にとって哲学は、「なんだかおもしろそうだけど、難しそう」というイメージで、これまでは遠目で眺めているだけでした。そんな私が気になり始めたのが、「哲学コンサルティング」なるものがはじまっていることを知ったからです。
哲学コンサルティングとは
なんでも、GoogleやAppleなどの大企業が哲学者を重要なポストで雇用し始めているとのことです。高度に進んだ技術がこれからどこに向かうべきなのか、企業理念や倫理的な問題を考察し、課題に行き詰ったときにより深い問いで打開策を探っていくということをされるそうです。
頭のいい人が一人で難しい問題を考察しているような、どこか人生と遠いところにあるイメージだった哲学ですが、ビジネスの現場で活用がはじまっています。
「待てよ。」
「これは仏教も同じことはできまいか?」
「そもそも、仏教と哲学って何が違うんだっけ?」
ということが気になって手に取ったのが本書。哲学コンサルティング企業であるクロス・フィロソフィーズ株式会社取締役である堀越耀介さんがお書きになった本を読んでみました。
仏教と哲学は似ている?
「仏教と哲学は似てるよね」という言葉は実に浅はかに使われまくっています。特に仏教も哲学も分からないのに、なんとなく「似てるよね」というとさも分かった感がでるという便利な言葉です。私も多用しています。
そろそろこの分かったふりから卒業すべく哲学の本に挑戦してみました。難しいこと覚悟で読んでみたのですが、これがなんと非常に分かりやすい。一気い読み進めることができました。というのも、見知らぬ哲学ワードが連発すれば心が折れそうですが、本書は私たちの実感できる言葉で、「哲学的な態度」を教えてくれました。
仏教と哲学の似ているところは「問い」であることと、「問い」への向かい方という点で違うということが見えてきました。
「問い」を使う天才たち
個人的に本書で非常に面白かったのが、私たちの日常目にするものをすべて哲学できるということ。コップが例にありましたが、ペンやパソコン、服、車なんでもいけそうです。そして、それをなんとなく考えるのではなく、哲学的に問う。問いの作法や考える枠組みが紹介されています。なるほど、こうした思考の枠組みを身に着けると、自分の陥りがちな思考の罠に早めに気がついて、抜けの無い考察ができそうです。
「哲学者の考えを学んでどうなるの?」と今まで思っていましたが、おそらく賢者たちの問いの姿勢と考察のスタイルを学ぶことで、今の時代をどう理解するかという視点も磨かれるんだろうと思いました。(ということで、しばらく哲学を学んでみようと思います)
最近はYouTubeで各領域のトップランナーの言葉を気軽に聞けるようになりました。私はなんとなく「かっこいいなー、賢いなー」と思って日々聞いているんですが、彼らは科学、政治、教育などの分野の専門家ですが、結局は哲学的思考が研ぎ澄まされているから、どんなテーマが飛んできても、その本質を鋭く考えることができるんだろうと思いました。(ということで、しばらく哲学を学んでみようと思います。天才を目指します。)
仏教における「問い」
人生を「問う」という点においては仏教と哲学は似ているようです。両者の思考の流れを学ぶことで、どちらも高めあうことはできるでしょう。むしろ両者の「違い」を考えていく方が有意義なように思いました。
哲学は主観と客観を行き来しながら思考を深めていくそうです。抽象的な思考を広げていくイメージですが、本書を読むとあくまで自分がリアルに実感できるところからスタートしないと本当の意味で深めていくのが難しいとのこと。そして、そこで考えたことを一般化していく時には自らの主観がどのように作用しているのかを振り返りながら妥当性を高めていく。
仏教も似ていると言えば似ているのですが、仏教はあくまで「主観」の世界に留まるものです。仏教の目的は自分自身の「苦の解決」です。苦を理解するための理論的な枠組みや解決方法(四諦八正道)、世界を理解する教え(一切皆苦、諸行無常、諸法無我など)が提供されます。
仏教における「問い」は、仏教の提供する理論的枠組みを参照しながら、あくまで自己のなかへと思考を向け続けるものになっています。仏教から社会現象を考察するというようなことがありますが、私は若干の違和感があります。もちろんいろんなことを考えていいのですが、仏教の問いはあくまで自己に向けられるもので、他者を判定していくと教えの本当の意味からズレていってしまいます。
この辺りがまだうまく言語化できていませんが、これから私の「哲学的な問い」として考えていきたいなと思っています。
哲学興味があるなという方はぜひご一緒に学んでいきましょう(^^)
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