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実に難しい八正道【仏教と私の日常】

僧侶として生きておりますので、僧侶らしくありたいと考えています。
お釈迦様や高僧がたの生きざまを、完ぺきにトレースするのは難しくても、少しだけでもそんな生き方ができたらいいなと思うのです。

仏教の生きる道:八正道

正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
正しくものを見て、正しく考えて、正しい言動をする。実に当たり前なことです。規則正しい生活をして、目の前のことにしっかり取り組んで、締め切りは守って、お世話になった人にはこまめに御礼をお伝えして、地域に貢献できることをしっかりと取り組む。自分の目標をしっかりと定めてコツコツと努力する。心は穏やかな状態を保つ。実に当たり前なことです。
冷静に考えるとそんなことは十分に分かっているのです。きっと誰しもが分かっています。それでもそれがなかなかできない。煩悩が邪魔するわけです。
見なくてもいい漫画を読み始め、食べなくてもいいお菓子を食べてしまうのです。体に良くないのは知っていてもついついお酒を飲んでしまいます。自分の雑魚さ加減に嫌気がさします。
コツコツがんばっている人は「すごいなー」と思いつつ、「自分にはちょっと無理かもなー」と凹む日々です。

よき祖先になる:グッド・アンセスター

先日、平田の妙寿寺さんの報恩講で、松本紹圭先生のご法話のご縁にあうことができました。仏教界の第一線でご活躍の方で、ずっとお話ししたいと思っていた方なのでお会いできて本当に嬉しかったです。
そこで紹介されていたのがこちらのご著書。さっそく読んでいるところです。非常におもしろい。今までの自分の考えていたスケールの小ささに気づかされました。今までの自分の法話もかなり変わりそうな一冊です。

今の社会は経済合理主義、いわゆるお金が手に入ること、時間的に節約できること、が最優先されます。これは私自身も同じで、どうしてもお金や時間という尺度でものごとの価値を決めてしまっています。「早く、大きな成果」を出すのが良くて、そうでないことは悪いことと思ってしまいます。
いやいや、そうではないということがグッド・アンセスターという考え方。家族単位の先祖という狭い考え方ではなく、祖先というのはもっと広い人類の歴史の流れ全体を指してしています。私たちはすべからく、祖先の恩恵を受けています。今、noteに文章が書けているのは、noteを開発してくれた人、パソコン、インターネットの存在があるからです。パソコンが開発されるためには、数学や科学の発展、さまざまな材料と高度な加工技術が必要です。このパソコンを流通し、販売してくれる人が必要です。私にパソコンを教えてくれた人もいれば、今、読んでくださっている人がいる。
少し立ち止まると大きな流れの中にいる自分が実感できます。諸法無我や縁起というのはこういうことです。それは今までも頭で分かっていました。ただ、今一つ実感できていなかったことに本書を読んで気づきました。

そこで重要なのは「自分が」よき祖先になるということです。

100年後の自分

100年後を想像してみましょう。おそらく今、地球上にいる人間、生物はほとんど死んでしまっています。しかし、おそらくたくさんの生物が生き続けているでしょう。私たちのいのちは、長い歴史の流れのなかではほんの一瞬です。このひろーい宇宙のなかの、ながーい時間のなかの、小さな存在が一瞬いて消えちゃうだけです。
でもこの小さな存在の歴史の積み重ねでここまで人類は発展してきました。一人の人がつくり上げたわけじゃありません。もちろん歴史上にはたくさんの天才たちがいました。でも彼らの仕事でさえも、たくさんの人に支えられながら、ほんの少しだけ歴史を前に進めたにすぎません。
このことに気づくと、「自分が何かを成し遂げなきゃ」と勝手にプレッシャーをかけて焦っている愚かさが見えてきます。100年後にほんの少しだけ貢献できたらそれで十分です。1年後とか2年後とかに大きな仕事をしなければと思うから、何もできていない自分に絶望します。そうではなくて、長い歴史のなかでほんのちょっとした自分のできることを大切にする。そうありたいなと思えるようになりました。
阿弥陀という言葉には、無限の時間と無限の空間という意味が込められています。「いつでもどこでも阿弥陀様は届いてくださる」といつも表現していましたが、それだけではなく、阿弥陀様の超絶大きな存在に触れることで、小さな自分の生き方が見えてくるということが急に腑に落ちました。

そして、八正道

そのうえで見直すと、八正道の見方が違ったなと思うわけです。私は「結果を出すために効率が良いメソッド」として八正道を見ていました。冷静でコツコツ頑張ることで、5年後の自分が成長するためにというスローガンだと考えていたのです。
そうではなくて、仏教はもっと大きな視点から今の自分を眺めるのです。大きな視点から眺めると焦る必要はありません。ゆったりと穏やかに目の前のことと向き合っていいのです。100年後の世界を想像すれば、目の前のことはどれも些細なことです。そして、100年後の世界には、些細な自分たちの行いが積み重なって次の時代がつくられます。大きなことをしなくてもいいのでしょう。自分が大切だと思うことを、少しだけ前に進めることができればそれで十分です。私個人としては、少しでも多くの人が仏教に触れていただいて、次の時代に残るようなことがちょびっとできればいいのかなと思いました。

まだ半分くらいまで読んだところですが、非常におススメです。
備忘録も込めて、感想を時々書いていこうと思います。ご興味おありの方はぜひお読みくださいませ。


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