東京大学の授業料値上げに関する第2次声明

竹麻呂です。筆者個人の責任で、以下の通り声明します。

主文

東京大学の授業料値上げ問題に関し

  1. 授業料のあり方・国立大学の費用負担のあり方の議論を深めること

  2. 大学当局に対して考え方を明らかにするよう求めること

  3. 学生の意見を有効に表明するメカニズムを構築すること

が望ましい状況であると分析します。


以下、解説です。

1. 授業料のあり方に関する議論の必要性

これは以下の第1次声明でも表明した点です。

以下のnote投稿でも述べています。

重複をおそれずに記すと、営利企業の商品・サービスが値上げされるのであれば企業努力に責任を負わせて終えられる問題かもしれませんが、今回の件は当然それで済むことではなく、東京大学の財政をどのように維持するかが問われているということになります。これは東京大学の意思決定の問題であり、それに参画すべき東京大学の構成員は、当局の態度変更を求めて叫ぶだけでなく、事態の解決に向けて責任ある意見を表明することが有効であると考えます。さらに国立大学に対する運営費交付金が削減され続けている状況において、大学だけで対処できる範囲を超えていると考えるのであれば(筆者はそのように思います)、それは国の政策の問題でもあり、国民として意見を表明することも必要となってくるでしょう。その際、独善的な主張に陥らず、大学ないし高等教育の存在意義や国の支出の必要性について丁寧に議論を組み立てることも重要ではないでしょうか。

2. 大学当局に対しての説明要求

値上げの検討が必要と考えられるに至った事情、すなわち東京大学の財政状況について最も把握しているのは、大学当局です。管見の限り、現状は理念や「べき論」的な議論が中心となっており、値上げという意思決定が妥当かどうか、構成員が客観的な情報に基づいて判断して意見を表明できる状況にはなっていません。もちろん財政事情が悪化しているからといって値上げという結論が妥当と言えるわけではありませんが、その点を織り込んだ議論ができていないことは良いことではないと見ています。

また、上記の項目1で述べたように、今回の問題は、授業料ひいては国立大学の費用負担のあり方に関する幅広い議論を避けて通れません。しかしこの点について、当局がどのように考えているのかも、まだ明らかになっているとは言えません。自らの意見を確立し表明することはもちろんですが、当局の意見も把握し、その違いを突き詰めていくことで、はじめて実質的な議論が可能となるはずです。

なお、藤井総長の下で恒例のイベントとなっている「総長対話」が近く開催される予定となっており、そこで大学当局の考え方も一定程度明らかにされると予想されます。ただし、大学当局からどのような点について説明される必要があるのか、受け身で待つのではなくあらかじめ考えておくことも有効なはずです。それによって、当局の言説の瑕疵を速やかに暴くことができるからです。「総長対話」が機能するかどうかはさておき、値上げという結論の背後にある論理に対峙する必要があるのであって、それが何であるのか正確に知ることは急務でしょう。

3. 学生の意見表明メカニズム

これは以下のnote投稿とも関連する点です。

現在、この問題について、いくつかの団体が活発な発信を行っているように見受けられます。もちろん、学内外のすべての団体・個人に意見を表明する自由があります(実際、筆者も現時点では東京大学の学生でも教職員でもなく、その意味では本稿は外野の意見です)。しかし、繰り返しとなりますがこれは東京大学の意思決定の問題であり、しかも意思決定のプロセスが問題の射程に含まれています。したがって、正当な意思決定プロセスにおいて考慮されるべき意見には重きが置かれるべきであり、そうでない意見とは差をつけて考えざるをえません。

上の記事で述べた通り、学生の代表性を持つ自治会は、大学の意思決定プロセスにおいて正当に扱われるべき意見表明主体として重要な位置を占めています。その正当性を支えるのは、組織の構成・運営に学生の代表性を担保する仕組みが織り込まれており、それが規則として定められ運用されてきたという実績です。東京大学では全学的な自治会が不在であるため、自治会以外の団体によって補われる部分があることも一概に否定できるものではありませんが、組織の構成・運営が不明瞭で、それを明らかにする意思も見られない団体については、表明される意見もそれなりの評価に留めざるをえないというのが筆者の正直な感想です。

よって、各団体においては、活動を行うにあたり、自らの組織の構成・運営の透明性を確保することが有効であると考えます。また、今回の件に関心を持つ方々に対しては、行われている発信の内容だけでなく、その発信主体が誰であり、団体であればどのような組織構成・運営を取っているのか、についても注意を払うことが望ましいと考えます。加えて、どのような形で大学の構成員たる学生の組織を形成し、その意見を大学の意思決定に反映していくのか、という点についてのビジョンを持って事態にいどむ態度を望みます。

(補足)ちなみに本稿・本稿の筆者についてですが、上述のように外野に分類されるものです。筆者は、大学において学生は(学部の標準在学年限であれば4年といったように)比較的短い期間で入れ替わることから、意見を表明するにあたっても必ずしも十分な蓄積を持たない立場に置かれていると考えています。加えて、本稿や上の記事では学生自治会の正当性に焦点をあてていますが、実際のところ学生自治会も残念ながら相応の発言権を与えられていないのが現在の日本の実情だという意見を持っています。このことを踏まえ、卒業生という立場からその立場なりの発信をすることがプラスの意味を持つ部分もあると思っています。

おわりに

この声明は全体として、この運動に関わるのであれば相応の知的体力を投下せよ、というメッセージを成しています。それは見方によっては過酷なことかもしれません。実際、この件に割ける時間・労力は人それぞれなはずで、過度な負担を強いることは妥当ではありませんし、筆者の本意でもありません。しかし、関心を持って情報を収集し意見を表明する方々に対しては、その時間・労力が意義のある形で費やされることを望むものであり、それが本稿を執筆した動機です。


(2024年6月22日追記)この投稿は、筆者以外の著作物を引用している部分を除き、CC BY-NC-SA 4.0の下で利用できるものとします。なお、同ライセンスの認める範囲をこえて利用したい方は、個別に対応を考えますので、筆者までご相談ください。

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