(東京大学における)学生の意見表明と自治会

本稿は東京大学教養学部学生自治会による以下の声明に対して若干の解説を試み、あわせて私見を表明するものである。

全構成員自治の概念

学生には、大学に対して意見を表明し、運営に参画する権利がある。その根拠は、大学が学問を追究する高等教育機関であって研究機関であり、学生もその共同体の一員だということに求められよう(「大学の自治とは | 自治会について | 東京大学教養学部学生自治会」なども参照)。これを「全構成員自治」という。東京大学においては、このことは歴史的に「東大確認書」で確立されたと言われている。この文書は「東大確認書 | 東京大学教養学部学生自治会」のページに掲載されている。

大学当局は、大学の自治が教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであることを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成していることを確認する。

これは1969年という東大紛争のさなかに形成されたものだから、正直に言えば、当時の経緯や問題意識については現代から見れば色褪せている部分もあると思うが、少なくともその歴史的意義は認めてよいだろう。加えて、法人化を控えた2003年に制定された「東京大学憲章」では

東京大学を構成する教職員および学生は、その役割と活動領域に応じて、運営への参画の機会を有するとともに、それぞれの責任を自覚し、東京大学の目標の達成に努める。

という規定が盛り込まれており、全構成員自治を表現したものと言える(その制定プロセスにおける学生の関与が不十分という問題はあるが)。

大学運営への学生参画と自治会

では、学生の大学運営への参画はどのように行われるだろうか。残念ながら、Twitterやnoteに意見を書くだけでは、ほんの僅かな影響力しか持たない。大学運営に携わるステークホルダーは学生だけではないし、学生であってもSNSを日常的に使っている人ばかりではない。しかしたとえば、授業の資料をPDFでアップロードしてほしい、ということをネットで呟くのではなく先生に伝えれば、それは実現されるかもしれない(されないかもしれないが)。このとき当該の授業という大学の一部分の運営に意見が反映されたことになる。

もっと大きな規模で、大学全体の方針に関わるような案件の場合はどうすればいいだろうか。大学には数千人の学生がいる(東京大学の場合は1万人を超える)。教職員も相当数が在籍している。そういう組織にはそれ相応の内部組織があって、意思決定の仕組みが存在している。総長・理事など役員がいて、公式の規則に基づいてさまざまな会議が設けられている。だが、その公式な意思決定のプロセスに学生が組み込まれている箇所はほとんどない。言い換えれば、全構成員自治という理念はあっても、その実践の制度としての保障は非常に弱い(特に、規則に裏付けられた制度などはほぼまったく存在しない)。したがって、学生がどのように自らの意見を表明して当局による大学運営に反映していくか、ということそれ自体が問題となってくる。

その一つの、かつ有力な処方箋が、学生自治会である。学生自治会は学生によって構成される組織で、学生を代表する立場にある。形態は大学によっても異なるが、基本的には、大学の下部組織などではなく(すなわち、大学当局による管理を受けるのではなく)、学生が自ら集まって団体を構成し、選挙などによって学生全体による民主的な運営がなされている(少なくともそのような建前を取っている)点が重要である。東京大学の場合、「東京大学教養学部学生自治会」が教養学部前期課程生の全員を構成員とする自治会である(過去問や白衣の貸出でお世話になった人も少なくないだろうが、学生を代表する自治会組織であることが第一の存在意義だ)。後期課程・大学院に関しては現在、機能している自治会が存在する例はごく少数に限られる。ちなみに、このほか「東京大学教養学部学友会」「東京大学教養学部オリエンテーション委員会」なども自治会と類似する機能を持っている部分があり、「学生自治団体」と総称されている。

ただし、学生自治会が存在すれば自動的に学生の意見が大学運営に反映されるのかといえば、そうは問屋が卸さない。それもそうで、そもそも大学当局の公式な意思決定プロセスでは学生の意見の反映が規則として・制度として保障されていない、というのが問題の出発点だったわけで、それに対して自治会は制度的には大学の一部分とは言えない独立した組織なのだから、直接的な解決にはならないのは論理的な帰結である。公式の制度としては存在しないプロセスを、いかにして実質的な実践として立ち上げていくか、が問われる。ここで鍵となるのが自治会が持つ代表性で、全学生から構成され全学生の意見を反映している組織であることをもって、大学当局に対して意見を聞き入れるように要求することになる。代表性があるだけでは十分ではないが、現実的には必要条件と言っても間違ってはいないだろう。

有効な自治会言論のために

もちろん学生が個人で声をあげることはできる。それは妨げられない重要な権利だ。だが、大学当局が組織として意思決定するときに組み込まれるべき学生の意見は、学生ひとりの意見ではなく、一部の学生だけの意見ではなく、学生全体の総体としての意見のはずだ。そのような総体としての意見を発する主体として学生自治会が存在するということになる。大学当局がパブリック・コメントをして個々の意見を直接に吸い上げるという手法もある(し、その場合に意見を提出するのは非常に重要である)が、そこで集められた意見をどう扱うかは結局のところ大学側にまかされている。「総長対話」も同じで、大学当局が一方的に場を設定している以上、全構成員自治の観点からは妥当な学生参画のプロセスとは言えない。学生が総体としての意見を表明する主体となり、そして必要に応じて一方的でなく対等に意思決定に参加できる場を設定しうるだけの力を持つためには、自治会の代表性は大きな要素である。

しかし繰り返しになるが、それだけで十分なわけではない。規則として・制度として保証されていない、つまり組織としての大学当局にとっては義務のないことを求めるわけだから、それに相応する説得力が必要となる。代表性は当然としても、論理的な整合性、学内外の世論などさまざまな要素を動員する必要がある。東京大学教養学部で例年行われている「学部交渉」は長きに亘って開催が続けられているが、このような慣習・慣例に基づくプロセスも有効であることが多い。歴史ある自治会は当局との意思疎通ルートを持っていて、内容はさておき形式的には提出した文書に対して応答がなされる、ということの意義は大きい(ただし、遡るとそのプロセスに大学紛争によって形成されてきた部分が少なくないこともまた事実として認識しておくべきであろう)。

なお、学生自治会の代表性は、選挙などの自治会内部の運営プロセスによって支えられている。学生全員を自治会の構成員とし、その選挙によって執行部を選出する、という建前が崩れたとき、自治会は存在できなくなる。東京大学教養学部学生自治会の正副自治会長選挙は例年、5月下旬および11月下旬に行われている。投票率の高さが代表性の指標で、当局が密かに注目しているであろう数字だ。一人ひとりの学生の小さな行動の積み重ねが大きな力になる。

最後に、先に述べたように、東京大学の後期課程・大学院では、機能している自治会が存在する例はごく少数に限られる。東京大学教養学部学生自治会は前期課程の学生を代表しているが、東京大学の学生全体を代表する組織は存在しない。新たに自治会を作るのは大変な労力を伴うし、それができたとしても、大学当局が学生を代表する自治会として認めるとも限らない。全学的な自治会の整備を目指すにせよ、自治会に代わるメカニズムを指向するにせよ、長期的な構想を睨みつつ先へ進む必要がある一方で、直近の課題にどう対処するかも同時に問われている。


(2024年6月22日追記)この投稿は、筆者以外の著作物を引用している部分を除き、CC BY-NC-SA 4.0の下で利用できるものとします。なお、同ライセンスの認める範囲をこえて利用したい方は、個別に対応を考えますので、筆者までご相談ください。

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