小学校 少年野球編
おはようございます(o^―^o)ニコ
本日は、過去から今に生かせるものを見つけようプロジェクト第二段という事でやっていきたいと思います。
本日も、最高記事を書けるように努力致しますので最後まで読んで頂けると恐悦至極でございます。
本日は、私の黄金期でもあります少年野球の話をさせて頂きたいと思います。
少し、自慢のように聞こえるかもしれませんが許してください(笑)
私は、小学2年生から玉島南少年野球団で野球を始め、高校3年まで野球をやらせて頂きました。別に野球が面白そうと思い始めたわけでもなく、兄がやるという事で始めました。
でも、その時の指導者が非常に良かったこともあり、少し前に飛んだだけでもホームランを打ったのかというレベルで褒めてくれました。
それに上手く自分も騙されどんどん野球が好きになりました。
また、自分が野球を好きになった理由としてまあまあ出来ちゃっていたんですね(笑)
そして、その時に俺センスあるんじゃねなんて思っていましたけどそれは大きな間違いで身体が大きかったからレフトフライののところがレフトオーバーになっていただけなんですね。スイングなんてめちゃめちゃだったのでライトのへの流し打ちなんてやったことなかったです。
ちなみにこの過ちに気付くきっかけは中学校編で紹介します。
そして、私が今野球人生の中で一番自慢できることを起こします。
それは、全国大会出場いわゆるビックマックをつけれることになったんですね。
そして明治神宮球場で野球をすることができました。
私は岡山でしか試合をやったことがなかったのでまさに井の中の蛙大海を知らずでした。
初戦は、佐賀県のチームとやったのですが、もう見たことがないような球を投げるわけなんです。だから岡山大会で打てたようなレフトオーバーなんて打てません。
レフト前ヒットがせいぜいでした。
しかし、とりあいずここに来た思い出を形に残したと思い塁にでたらとりあいず広いリードを取って牽制をもらって頭から帰りました。そして体中についた赤土を思い出にしようと思っていましたが、家に帰ったらもうそのユニフォームは綺麗に洗われて赤土の姿なんて一ミリもなかったです(笑)
私の自慢はここまでにしてここからは小学校の野球で学んで事を二つ紹介します。
一つ目は準備の大切さです。
私は、いつも両手にバッティング手袋をしていたんですが神宮大会の時は片手しかしていなかったんです。
その理由は、同じ方の手袋を二個持って行っていたんです。
あれだけ確認したのにとも思いましたが実際確認したのは、1回か二回ぐらいです。
それから物の確認は徹底的にするようになりました。
豪華な失敗だったなと改めて思います。
2つ目は広い視野を持ってもの物事を行うという事です。
正直、小学校の時は、自分はプロにいけるんではないのかと本気で思っていました。
しかし、全国大会に行って化け物ばかりを見た時に自分は、なんて小さなところで生きてきたのだろうとおもいました。
その時一番衝撃を受けた選手が現西武ライオンズの西川愛也選手でした。
この選手は、この大会で優勝したエースだったのですが、投げる球も打つ打球の速さレベルが違い過ぎて唖然失笑した記憶があります。
この時初めて世界って自分が今見ているものよりも数倍でかいんだろうなと思いました。
でも自分に悲観的になる必要はないと思っています。
それだけすごい人に話を聞けるチャンスがいっぱいあるともっていいのではないかとおもうし、自分よりもすごい人がいるという事を知っているだけでも向上心むき出しで生活できるのでないかと思います。
ほんとに神宮で試合が出来たというよりも世界観を広げる事が出来たことが一番の収穫物になったのではないかと思っています。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回は、中学校編を紹介させて頂きたいとおもいます。
次回も読んで頂けると光栄でございます。
本日も最高の一日にしましょう!!
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