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岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」を読んで。

こんにちは(^▽^)/
久々に投稿させて頂きます(⌒∇⌒)

本日は、岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」と言う本を紹介させて頂きます。
今回も最高の内容となっていると思いますので最後まで見て頂けると光栄です。

 岡本太郎さんは、1911年に生まれ70年の大阪万博で「太陽の塔」をデザインした人物である。あの衝撃的なデザインをする太郎さんだから考え方も衝撃的な物でしたので紹介させて頂こうかと思います。最初に言っておきますが、かなりインパクトの強いものになっていると思います。

 太郎さんは一言でいうととにかく自分に厳しい人間だった。一切の妥協も許さないし、他人や世の中の風潮に流されず、自分の純粋な気持ちのまま前に進む。そのような太郎さんはどのような考えを持っていたのか、もう少し詳しく説明させて頂きます。

 まず太郎さんは、忠実に生きる意味をみんなはき違えているという。忠実とは、自分を真心こめて大切にするのではなく、自分に残酷に挑むことで自分の中に生きているという情熱を燃やすことが忠実に生きるという事である。そして格好よく生きるのではなく、ありのままの自分を見せる。そうすれば自分が爽やかになる。他人と比較して自分がダメだと思う事が間違っている。

 人間は、いつも二つの分岐点に立たされている。
1. 馴れた見通しのついた道。安全である。
2. 自分はいったいどうなってしまうのか。不安。しかし惹かれる。本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道。
 何気ない日常でこのような岐路に立たされている。朝起きようかもう少し寝ようか。
会議で本当の言いたい意見を言うべきか言わないべきかというように必ずと言っていいほど安全で間違いのない道を取ってしまう。しかし太郎はそれで生きているとは思わない。
死と対面しながら自分から厳しい道を選択しないと生きているという感覚は芽生えてこないのだ。しかしこれは昔からの慣習も大きく関わっている。それは、徳川家が政権を握っていた時に、一度農民になるとずっと農民。一度豆腐屋になるとずっと豆腐屋。そして秩序を乱すと非道徳として罰を与えられる。このように「長い物に巻かれよ」という考えが当たり前の世界だった。もちろん今は時代が違うという事もあるし豊かになったと思う。
 しかし、一度人間に染み付いた考え方は、親というものを通して受け継がれる。だから何も変わらない。何事も惰性的で危険を避け無難であることが美徳とされるのが日本人のモラルである。
 だから、最悪の敵は自分自身なのだから自分をぶっ壊してやると言うつもりでやる。そのくらいの激しさがないと今までの自分を破壊して新しい自分にはなれない。
 そして、人は99%の人間が失敗してしているという事を知らないから失敗が怖いなどという言葉を口にする。それは、挑戦した上での不成功者と挑戦を避けた上での不成功者がいるという事を認識しているかしていないかで自分の行動は大きく変わってくる。だから    本当の成功というものは結局のところ自分がどれだけ挑んだのか、努力したのかという事になる。その時どれだけ不安があったとしても自分自身を崖から突き落として自分自身と闘って運命を切り開く意志が大切になってくる。
 もう一つ大切な事は、三日坊主がダメだと言う人が多くいるが太郎さんからすると三日坊主になったということも計画して考えていればよいという事である。日記を書きたいと思ったら続くか続かないかではなく、書こうと思った事が大切になる。そして「いずれ」などという言葉を使う人間は現在の自分に責任が持てない。生きるという事は瞬間、瞬間に情熱を迸しらして現在に充実すること。そして自分には自信がないという人間もただ自分を慰めるだけに言っている言葉であり他人と比較するからそのような言葉が出てくる。ただ自分の信じる事、正しいと思う事にわき目も振らずに突き進むこと。また、プライドというものを持って生きること、それは自分を盛って表現するのではなく、馬鹿でも非力でもこれが俺だと自信をもって堂々と押し出す力である。他人は自分の事をどう見ているかなんて気にしていたら絶対的な自分は無くなる。だからプライドを持って他の人にばかにされても揺るがない芯を持つことが大切。

 そして、20歳を本当の大人と捉えて、自分の行動に責任をもっている人は少ない。
それは、日本の成人式があのように晴れやかな形で行われいるからである。アマゾン流域では、袋の中に蜂を入れて皮膚に突き付けたり、1人で森林へと投げだされて1人で帰ってくると言ったように社会の厳しさを体感する行事が行われる。しかし、日本ではそれとは真逆の事が行われている。つまり自分自身で気が付かなければいけない。無難に惰性的に動いてそのような事を感じ取れるだろうか。自分を否定して新しい自分を作り出そうとするから見えてくるものではないのかと思う。
 上手くやっていこうという気持ちをもっていれば、結局人の思惑に従い社会のベルトコンベアーに乗せられていく。そして自分は本当は純粋にこうしたいのと思っているが、それを世の中は許してくれない。しかも自分は様々な悪条件のなかにあるのでもっと違ったところで生活していれば、出来るかもしれないが今の状況ではというようにやたらと障害の項目を並べる。しかしそれは弁解のために自分に言い聞かせている事にすぎず、本当に成功したいという思いがある人間は行動するし、制約の多いところでこそ自分のしたいことをするのが本当の行動になる。むしろ、社会や周囲が否定的であればあるほど中途半端に行うことなく全身全霊で行動を起こす。

だから世の中を変えようと思っても変わらないのが事実、だけど望むことで自分自身生きがいを貫いている事は間違いない。そして最後に太郎さんの名言で流行語大賞にも輝いた「芸術は、爆発だ」という言葉は、芸術という言葉を人生に例えているそうだ。人生は本来瞬間、瞬間に無償、無目的に爆発し続けるべきである。

 人間の生命、生きるという営みは本来、無条件、無目的である。

なんのためにこの世に来たのかそして生き続けるのか。本当に言えば誰も知らない。本来生きる事と死ぬことの絶対感があるだけ。だから、目的を考えて条件付けて合理的に考えようなんていう考え方は、捨ててその瞬間にベストを尽くすこと。

本日も最後まで読んで下さりありがとうございました🙇‍♂️
次回も面白い記事を書けるように努力しますのでチェックして頂けると嬉しいです。

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