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本紹介『旅をする木』星野道夫

→ 北米の自然が好きな人へ⠀

写真家であり,詩人の星野さん.

私は2019年9月に
小学4年生からの夢だった
オーロラをカナダへ見に行きました.
(記事の写真はそのとき撮ったものです)

カナダ旅行の後に読んだこの本の
想像をかき立てる詩や言葉で
あの時見たオーロラや壮大な自然など
カナダの景色が目に浮かびました🍁


内容紹介⠀
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*⠀
アラスカに暮らし始めて十五年がたちましたが、⠀
ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆく
この土地の季節感が好きです。

*⠀
〈赤い絶壁の入り江〉は、⠀
人に教えたくない、秘密の場所です。

*⠀
毎日のように頭上を飛んでいたカナダヅルの編隊も
南の空に姿を消し、⠀
晴れあがった夜にオーロラが舞い始めると、⠀
秋色はいつのまにか色あせています。⠀
あと一週間のうちに、必ずその日が来るでしょう。⠀
目の前の原野を染める、輝くような紅葉は、⠀
きっと今がピークなのです。⠀

秋は、こんなに美しいのに、⠀
なぜか人の気持ちを焦らせます。⠀
短い極北の夏が⠀
あっという間に過ぎ去ってしまったからでしょうか。⠀
それとも、⠀
長く暗い冬が
もうすぐそこまで来ているからでしょうか。⠀
初雪さえ降ってしまえば覚悟はでき、⠀
もう気持ちは落ち着くというのに ……⠀
そしてぼくは、そんな秋の気配が好きです。

*⠀
今、一人でルース氷河に来ています。

一枚岩のような花崗岩の岩壁、⠀
氷河が切れ落ちた断面の深い青さ、⠀
巨大なクレバスの造形 …… ⠀
生き物がいるわけでもなく、⠀
花が咲いているわけでもない、⠀
ここに入って来る者を拒絶するような
ただ無機質な風景なのに、⠀
人間の気持ちを高みへと昇華させてゆくような⠀
不思議な力をもった世界です。⠀

*⠀
いつかアラスカで会ったスイス人が⠀
こんなことを言っていました。

「スイスには自然が残っていないのです。⠀
 ほとんどが人の手が入った人工的な自然です。⠀
 もし動かせるのなら、⠀
 スイス人は山の位置さえも動かしたでしょう」⠀

アラスカから来ると、⠀
ヨーロッパアルプスは箱庭のように小さく見えます。⠀
とても美しいのですが、奥行きがないのです。⠀
ホッとさせてくれる自然ですが、⠀
人間を拒絶するような壮大さがないのです。

*⠀
じっと見つめていた北の空に、⠀
ボーッと一条の青白い光が現れ、⠀
やがてゆらゆらと揺れ始めていた。⠀
祈るような気持ちで待っていたぼくは、⠀
山小屋にいる子どもたちを呼んだ。

*⠀
感受性の鋭い子どもの頃に⠀
こんな風景を見ることができたなら、⠀
どんなに強い記憶として残ってゆくだろう。⠀
たとえオーロラが現れなくてもいい。⠀
氷河の上で夜を過ごしながら、⠀
圧倒的な空間の中で、⠀
降るような星を見せてあげたかった。

*⠀
「いつか、
 ある人にこんなことをきかれたことがあるんだ。⠀
 たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を⠀
 一人で見ていたとするだろ。⠀
 もし愛する人がいたら、⠀
 その美しさやその時の気持ちを⠀
 どんなふうに伝えるかって?」⠀

「写真を撮るか、⠀
 もし絵がうまかったら
 キャンバスに描いてみせるか、⠀
 いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」⠀

「その人はこう言ったんだ。⠀
 自分が変わってゆくことだって ……⠀
 その夕陽を見て、感動して、⠀
 自分が変わってゆくことだと思うって」

*⠀
突然、
一頭のクジラが目の前の海面から飛び上がったのだ。
巨体は空へ飛び立つように空へ舞い上がり、⠀
一瞬止まったかと思うと、⠀
そのまま
ゆっくりと落下しながら
海を爆発させていった。⠀
それは
映画のスローモーションを見ているような
壮大なシーンだった。

*⠀
そびゆるトーテムポールのてっぺんから大木が生え、
その根が
ポールを伝って地面まで伸びてきているのである。⠀
上部の形から、
それは
人を葬ったトーテムポールであることは
明らかだった。⠀
かつてハイダ族は、⠀
トーテムポールの上をくり抜いて
人を埋葬していたのである。⠀
ある日、その上に偶然落ちたトウヒの種子が、⠀
人間の身体の栄養を吸収しながら根づき、⠀
歳月の中で
トーテムポールを養木として成長したのだろう。⠀

人間が消え去り、自然が少しずつ、⠀
そして確実にその場所を取り戻してゆく。⠀
悲しいというのではない。⠀
ただ、「ああ、そうなのか」という、⠀
ひれ伏すような感慨があった。

*⠀
「旅をする木」で始まる第一章。⠀
それは早春のある日、⠀
一羽のイスカがトウヒの木に止まり、⠀
浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまう⠀
ある幸運なトウヒの種子の物語である。

*⠀
人生はからくりに満ちている。⠀
日々の暮らしの中で、
無数の人々とすれ違いながら、
私たちは出会うことがない。⠀
その根源的な悲しみは、言いかえれば、⠀
人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。

*⠀
誰も
何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、⠀
ビルはただあるがままの人生を生きてきた。⠀
それは自分の生まれもった川の流れの中で⠀
生きてゆくということなのだろうか。⠀
ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。

「誰だってはじめは
 そうやって生きてゆくんだと思う。⠀
 ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、
 岸にたどり着こうとしてしまう」⠀

年をとってゆくことが、
物質や金銭的な意味において
守りの態勢に入ってゆくことならば、⠀
ビルはそのエネルギーを
いつも今に向けて費やしたのだ。⠀
世界が明日終わりになろうとも、⠀
私は今日リンゴの木を植える ……⠀
ビルの存在は、⠀
人生を肯定してゆこうという意味を⠀
いつもぼくに問いかけてくる。⠀

*⠀
自然保護とか、動物愛護という言葉には⠀
何も魅かれたことはなかったが、⠀
狩猟民のもつ自然との関わりの中には、⠀
ひとつの大切な答えがあるような気がしていた。

*⠀
結果が、最初の思惑通りにならなくても、⠀
そこで過ごした時間は確実に存在する。⠀
そして最後に意味をもつのは、⠀
結果ではなく、過ごしてしまった、⠀
かけがえのないその時間である。

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アラスカの自然を愛すと同時に⠀
アラスカに生きる人を愛していたと⠀
文章から伝わってきます😌⠀

知らない土地で人と触れあって⠀
その土地・人のことが大好きになる⠀
星野の考え方は
どんな場所でも楽しめる能力だと思いました✨⠀

アラスカ・カナダの景色が目に浮かぶ言葉の数々
興味がありましたら,ぜひ覗いてみてください😊