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シャープペンシル

子どもの頃は、特に母親は、スーパーウーマンか魔法使いだと思っていた。
何でもできるし何でも知っている。

そういえば幼稚園の頃の私は、大根とジャガイモの区別がつかなかった。美味しいホクホク大根とあんま美味しくないシャクシャク大根があるのだと思っていた。大根をジャガイモに置き換えてもいい。見た目では分からず、食べてからラッキーとか、うげハズレとか思っていたのだ。
ちなみにバターとチーズについても同様である。

そんな子どもである。どちらかといえばボーっとした子だった。いつ、バターとチーズの違いに気付いたのかも、覚えていない。

父親は一見真面目なようで、ボケキャラである。あまりにもくだらないボケばっかりかますので、かなり幼少の頃から、父親の言うことにはどこか一線を引いていたように思う。

ある時テレビを見ていて、プリンのコマーシャルで、プリンを食べる時に唇を閉じてスプーンを口から引き抜くシーンがあった。
子どもにしたら、甘くて美味しいプリンを余すところなく味わうしごく自然な食べっぷりだ。
ところが父はそれを見て、あれはね、行儀が悪い食べ方だよ、と言った。
また、嘘言ってる、何が悪いのさ、騙されないぞと、思ったのだった。小学校に上がる前だったように記憶している。


母親には、時に八つ当たりをされながらも、小学生までは従順にしたがっていたように思う。機嫌が悪い時は八つ当たりされるが、機嫌が良い時は放ったらかしというか、干渉されないので、子どもらしく伸び伸びしていた。

私はインドア派なので、伸び伸びと言っても走り回るとか暴れるではなく、頭の中が伸び伸びなので、外から見るとただボーっとしているようにしか見えないのだ。手が掛からないので、放ったらかしなのである。
絵を描いたり本を読んだり、ブロックや手芸で何かを作ったり、空想したりしていた。

家族で外出する時、いつも俯いて誰かの後ろをついて歩く。昔の人だから、子どもに目線を合わせて、何がしたい?どこへ行きたい?なんて聞かれない。行先も知らずただなんとなくついていく。話ぐらいはしていたかもしれないが、子どもだからわからない。行ってみてからへーッと思う。

家族カーストの一番下の地位にぬくぬくと安住していた。馬鹿にされたり笑われたり八つ当たりされたりあるけれど、楽と言えば楽だ。家族に注目されていない時は空想に浸ればいいのだから。


いつの頃からだろうか。
この場所に留まっていてはいけない。自分の人生は自分で切り開かなければいけない。私の人生は私のものだと気がついたのは。


中学生になった頃、シャープペンシルなるものが普及し、学生の間で流行した。
最初の頃は万年筆と共にセットで贈り物にされる様な高価なものだったが、安価でかわいいデザインのものが普及すると、女子中学生などはこぞって使い始めたのである。
流行に疎い私ですらも、日常的に使っていた。

中学生になると、母の八つ当たりに口答えするようになっていた。それでもそれは蚊の鳴くようなか細いもので、まだまだ弱っちいものだった。母の方も、よくある思春期の反抗的な態度ぐらいに思っていたことだろう。
口答えに対しては、フンという感じだった。

ある日、母親が、首を傾げながら、「これ、どうやって引っ込めるの?」と聞いてきた。
手にはビョーンと芯がぶら下がったシャープペンシルがあった。

母は買い物好きである。
かと言って専業主婦の域をこえるような浪費家ではない。彼女の主婦の歴史は高度経済成長期とぴったり重なる。
三種の神器に始まり、電子レンジ、自家用車(これは父の判断での購入だが)、丁度中学に入学する前に分譲マンションも購入、絵に描いたような中流家庭である。
そしてこの頃から安価な生活用品が、便利グッズという名で、巷にあふれるようになった。そういうものを買ってきては、飽きてどこかの隅に追いやられている。

シャープペンシル事件はその始まりの頃のことだった。流行っているし、安いしで買ってみたのだろう。


なんて事のないこの出来事が、私には衝撃であった。なんとも間の抜けた姿と質問が、涙が出そうなほどいたたまれなかったのだ。
こんなことも知らないんだ。
こんなことも知らないで、たいして使いもしないのに買ったんだ。
初めて母親をバカじゃなかろうかと思ったのだ。そしてそう感じてしまった自分への罪悪感、バカな母親の娘が自分であることに気付いて、いたたまれないような、情けないような、ものすごく悲しい気持ちになった記憶がある。


息子なら、父親に力で勝ったときに感じる気持ちって、こんなだろうか。

その頃から、この人達が私に最良の人生を与えてくれるわけではないと、考えるようになった。
進路相談で、親に相談することはなかった。

自分の事を、しっかり自分事と捉え、考え、行動するようになり、口答えでやり返すことも増えた。
屁理屈ばっかり言って、と煙たがられたが。

母をただの中年女性としてバカにするのは、それは自分で自分を貶める事だと、気付いたのは随分後のことである。

バカにする気持ちと、悲しい気持ちと、自分への絶望感に、揉みに揉まれた十代二十代だった。


今、自分が親になって、娘が思春期にさしかかり、口喧嘩など日常茶飯事である。
私はいつ、彼女に言い負かされるのだろう。
私はいつ、彼女に馬鹿にされたような視線を送られるのだろう。
それとも
母親の本性など軽々と、吹き飛ばして飛び立っていくのだろうか。


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