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ミッション


京都に住んでいた頃である。
とあるアメリカのバンドが好きで、曲を聴くだけでは飽き足らず、歌詞を覚えたり、訳してみたり、海賊版やら翻訳されていないインタビュー動画など漁るように見たりしていた。

彼らが夢にまで出てきて、英語が喋れなくてどうしたものか!と思っていると、夢はそこで強制終了してしまう。

会えるわけもないと夢物語では済まないのだ。
ファンクラブに入会していると、まぁ早い話、金さえ出せばバックパスで、実際に彼らに会うことができてしまうのである。

中学生の頃、いわゆる外タレを直に目の前にすることなど、夢のまた夢であった。
まず、めったに来日しないし、したらしたでチケットとるのも何もかも、莫大なエネルギーを要した。

ジーコロロジーコロロのアナログ電話でですな、リダイヤル機能なんかないんですよ?何度も何度もチケットピアとかに掛けたり、徹夜して並んだりしたんですよ?

そんな時代に、しかも中学生なのに、外タレの追っかけをしている同級生がいた。
彼は、非常に端正な容姿であったが、どこかオネエであった。言葉遣いだったり、お洒落でもあったのだが、そのこともオネエっぽい要因になっていた。
実際はゲイというわけではなく、ただ女姉妹の中で育ったことと、比較的裕福なおウチの上に自由な環境だったりして、精神年齢が小学生のままの男子の中からは浮いてしまっていた。

暗黒の小学校時代を経て、中学生になった彼は、金に糸目をつけず、めぼしい外タレが来日すると、空港まで見に行ったり、出待ちをしたり、目立つ容姿も相まってその世界では有名だったそうだ。
彼は英語を熱心に勉強して、中学も終わりの頃は、海外のファンとも文通したりしていたのだ。
好きこそものの上手なれ。

で、私も遅咲きながら、大好きなバンドメンバーといつか会う日のために、英会話へ通うことにしたのである。

この話を公開してしまうと、通報されるだろうか?
明らかな法律違反だということは、重々承知である。
しかしながら、20年以上前のことであるからして、誰かを傷つけたとか、人様のものに手を出したとかでもない。
時効ということにしよう。
はたして、、、ううむ。
判断は読んでくださる人に任せよう。


前振りが長くなってしまった。


英会話を習い出して半年ぐらいした頃に、ひょんなことから、NY旅行に誘われたのだ。
誘ったのは、ジョンレノン信者の奥さんである。
(働いていたとこの社長の奥さんで、唯一の友人と言っていいだろう)
彼女の息子さんがNYに留学していたのだが、タイミング悪く帰国してしまい、一人では不安なので、一緒に行こうと言う。

ジョンレノン信者である彼女は、死ぬまでに一度は言っておかないと、、、長年の夢である、ジョンレノンの命日にセントラルパークに行けたらそれだけでいい。
残りの日程はアナタが行きたい所に付き合うから、と言うのだ。


半年程度の勉強で、ペラペラなわけもなく、日本語の通じるJAL便で、添乗員なしフリープランのツアーに申し込んでの初海外旅行となったのである。
ちなみに奥さんは、全く英語は喋れないし、喋る気もない。ただし、ジョンレノンが喋ることはわかるらしい。
でも、ジョンはもうNYにはいない、、、


クリスマスシーズン前の寒い時期だった。
英語の喋れない人と、リトルスピーキングな上に初渡航の二人が、とにかく無事に行って帰ってくることだけが目標である。
日が暮れる前にホテルに戻ること、トラブルに巻き込まれないよう最新の注意を払うこと、などなど、安全第一でプランを練ったのであった。

しかし、私にはもうひとつ課せられたミッションがあったのだ。

その頃の職場に、自称ゲイの彼がいた。
確か親御さんはカタいお仕事であったけれど、彼は学校の勉強が得意ではなく、親の期待に応えられなかったことや、京都の土地柄というか当時の世間の風も、髪を染めたり派手なシャツを着たりする彼には冷たかったようだ。
周囲の期待通りにはいかないぞ!と主張する手立ての一つが、「ボクはゲイですから!」だったのだろう。
私も、似たような道を辿ってきたようなものだから、彼の主張を否定することなく話に付き合っていたのだ。
実際、専門学校時代にゲイの知り合いとかもいたので、アンダーグラウンドな世界に拒否感もなかった。

彼が本当にゲイだったかどうかはわからない。その当時はまだ実際にお付き合いしたこともなかったようだ。
ただ、自分の居場所を求めて、不器用にもがく彼を、笑えなかった。
(職場の男気溢れるオッサン連中は、陰で笑ったり馬鹿にしたりしていた)
不器用な弟をおもう姉のように、なにかそっと手を添えてあげたい、そんな気持ちだった。


その彼が、NY土産に、ゲイ雑誌が欲しい
と言ったのだ。


そこには、
無理でしょ、どーせ。
アンタわかった風にしてるつもりで、どーせそんな勇気もないんでしょ?
どーせボクのこと馬鹿にしてるんでしょ?
と裏側に書いてあるような気がしたのだ。


これは、ミッションだ。


普通に地元の人が行く、ドラックストアやスーパー、文房具店や服屋さん、マガジンスタンドへ行きたい、とは思っていた。
観光客向けのお土産には目もくれず、そんな所を見て回る。


マガジンスタンドとは、そこここにあって、雑誌や新聞をメインにタバコやちょっとした日用品なんかを売っている。
そんな所にフツーに売ってるんですよ、アダルトなものが、ええ。


滞在中、何度もトライしようとするも、やっぱり、横目でチラチラ見るのが限界で、だってノーマルなアダルト雑誌ならまだしも、うら若き女性が、ゲイ雑誌ですよ、ハードルが高過ぎる、、、!


時は過ぎ、朝一で空港へ向かうという早朝まで、私は逡巡していた。


ゲイっぽい男性裸体のバックショット写真の絵葉書なんか買ったけど、こんなのゴマカシだ、と感じた。彼に対するゴマカシだ。


ホテルでチェックアウトの手続きを済ませ、空港への送迎の車を待っている時、私は決心した。
もう何分か後には、この地を離れるのだ。
おそらく戻ってくることもない、一生来ない、旅の恥はかき捨てと言うではないか、もう二度と会うことのない外国の人に、何と思われようとそれがどうだと言うのだ!

私は、奥さんに
「ちょっと行って来る」
と告げ、朝靄が残る早朝のNYの街に出た。

走って通りの角を目指していく。
気温はおそらく氷点下であるにも関わらず、スウェットパーカーのみの黒人の人が、路地に佇んでいる。うー、コワイ。しかし、走るのだ。
小さなマガジンスタンドから、店を開けようと東南アジア系の顔立ちの小柄な男性が、出てきた。
ショッピング?OK?
sure!と気さくな返事。
半開きの扉から忍者のようにスルリと入り、素早く視線を巡らせる。
あった!あれだ!
ここまできたのだ、もう迷うな!
さっと取って黙ってカウンターに置く。
男性は一瞬固まった。
先程の笑顔はどこかに行った。
緊張した空気の中、支払いを済ませ、振り返ることなくホテルまで走った。

空港までの車中で、あの男性は今頃、今朝の出来事をどんな風に知人友人に語っているのだろうか、と想像した。

彼にお土産を渡すと、驚き過ぎたのか、若干引いていた。少なくとも喜んではいなかった。
それはそうだ、本当に欲しかったのはそれではないのだから。

その職場を辞める少し前に、人に物などあげたことのない彼から、お気に入りだけどサイズが合わないからと、スニーカーをもらった。
ありがたく頂いたのだが、連絡先を交わすこともなく、それきり会っていない。


彼は居場所を見つけたのだろうか。


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