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たけしの自立~家族~

2019年05月31日 久保田翠ブログ「あなたのありのままがいい」から

3月17日、彼岸初日のうららかな春の日に、夫が亡くなった。
2年ほど浜松を離れ、親族のいる静岡で療養していたが、急に体調を崩し(心不全)帰らぬ人となってしまった。

夫は、2000年にレッツを設立してから、陰になり、日向になり支えてくれた。
今のレッツがあるのも、2017年に私が芸術選奨文部科学大臣賞といった大きな賞を受けることができたのも、夫の支えがあったからだ。
そして戦友だった。

夫は常にたけしのことを心配していた。たけしの将来をとても気にかけていた。
重度の知的障害で身辺自立の全くできない、モンスターなたけしを前に、「家族だけで支えていくのは無理」と早くから気が付いていた。
そこで夫の選択は、「入所施設に入る」ことだった。
というよりその選択しか、現状の福祉の中ではないと冷静に見極めていた。

そしてそれに一番難色を示していたのは、私だったのではないかと思う。

私は、入所施設に預けることがどうしても「最善」だとは思えなかった。
現に、入れるところもなかったのも事実だ。
たけしの介護は本当に大変だがまだいろいろと試す必要があると考えていた。
それに、サービスがないなら自分で作ればいいじゃないかと思っていた。
しかしそれはどれだけ時間がかかるかわからないし、現実的でもない。
夫は、私の根拠のない自信に、だんだんと疲弊していったのかもしれない。

今たけしの生活は、ヘルパーさんたちによって支えられている。
2年前、持病のある夫が療養のため、親族のいる静岡に居を移した。
その段階から、たけしの介護の形は大きく変わった。
それまでほとんど使うことができなかったヘルパー派遣を劇的に増やしていったのだ。

いままで夫と何とかしていたたけしの介護。2人で疲弊し、ぎりぎりになりながらやってたのがうそのよう。
なんでもっと早くにこうしておかなかったか。
しかし、そういうことを考える余裕はなかった。
現に十分に使えるほどヘルパー事業所もなかった。仕方がないとあきらめていた。

私と夫は、仲のいい夫婦だと思う。
よく会話をした。深い話から笑い話まで。夫はとても知的な人だった。また大きな人でだった。

何で私たち夫婦はここまで頑張らなければいけなかったのだろう。
家族という呪縛。
重度の知的障害者の自立
そもそも自立できないと社会風土・・・。

さまざまな問題がそこから見えてくる。

昨年11月にオープンしたたけし文化センター連尺町の3階には、重度の知的障害者のシェアハウスと一般の方のゲストハウスを準備している。現に5つの部屋があり、住めるようになっている。
ここでたけしたちの自立の構想が展開されていく。

夫婦で自由に旅行したり、ゆっくり食事したりという時間がやっと持てるかもという矢先に夫に先立たれてしまった。
人生は本当にうまくいかない。
しかし、私はこの3階を稼働させていくことで、重度の知的障害のあるたけしの自立と家族について、思考していこうと思う。

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