肩がこる時代だからこそ 2021年2月8日

肩がこりすぎて死にそう。

相変わらずやきとりキングの激務が続く。緊急事態宣言が続く限りこんな調子でいくのかもしれない。

夜8時で飲食店が閉店しているため、8時過ぎまで仕事している僕が立ち寄れる場所は無くなった。友達と約束も出来ない。以前は普通に24時あたりまで飲んでいた。そこで出会う友達と飲んで話す時間が、僕にとってどれだけ重要なものだったのか痛感している。失って初めて知るのが人間の理というものだ。

今はただただ疲れてしまい、月曜日は概ねダウンしている。
そんな最中にありながらも、僕のライフワークである諸々創作活動は続けている。ライブ活動が事実上やりづらい現在はもっぱら文章を書くことを活動の主軸に置いている。(まさにnoteはそれね)

クレオールコーヒースタンドの仲間で「六十度」という小説サークルをやってる。音楽評論家、日芸文芸出身者など文章の専門家の中に連ねさせてもらっている。

決まった3つの単語を必ず使った2000字以内の短いオリジナル作品を提出するルールで、2,3ヶ月に1度の締切で開催している。提出後クレオールで酒を酌み交わしながらの合評会を開きお互いの作品を批評する。今年3年目になり前回で第10回を迎えた。(第10号は現在クレオールコーヒースタンドで無料配布中)

今回の締切は2月3日だった。僕も無事作品提出を終えた。本来は締切後すみやかに合評の日程を決めるのだが、緊急事態宣言を受けてその日取りが立っていない。とりあえず緊急事態宣言解除予定の3月7日以降であることは決まっている。そうなると対外的に作品をリリースするのはもう少し先になりそうだ。
作品を書いた者としてもっとも欲しいのは感想だ。特に書き終えた直後はどう読まれたて仕方がなくなる。この1ヶ月強のインターバルはなんともモヤモヤする。

40代を超えた今こんな風に思うことがある。
「この間にもし死んだら感想を聞けないな」とか「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||観るまで生きていたいな」とか。
今もこれまでなかったような肩こりに見舞われているが、これは単に疲れかもしれないけど、もしかしたら内科的な要因でやばい病気なのかもしれないと思ったりもする。

それが怖いかというとそうでもない。怖いとは違う感覚が芽生えてきている。未確定の自分の死の地点を静かに意識し始めている。

そんな中で今一番欲しいのは、創作に対する感触なのかもしれない。創作物が売れるということと、作品に対する反応が来ること。僕は経済的なものは店で獲得しているので、どちらかというと後者を欲している。もちろん記事が売れたりマガジン登録が増えると嬉しい。でもやっぱり感想が欲しい。

以前「ワンコインランチ東京 池袋」というクーポン雑誌に短い小説を2回書かせてもらったことがある。(作品はnoteで読めます→マガジン「小説」)依頼してくれた友人の編集長が、知人からしっかりとした感想をもらってくれた。僕の短い小説から色々なことを読み込んでくれたこと、作者の僕が気づかなかった僕の思いや欲望を気づかせてくれた事、涙が出るほど嬉しかった。

合評が延び延びになる事は、サークルによる直接的な感想を得る機会にたどり着けないということだ。小説サークルの合評の良いことは、書き終えてそんなに経過しない状態のプレーンな感想をやり取り出来るところだ。

今回の場合、時間を置いて自作について熟考出来るから色々な反応に対応出来るようになるかもしれないが、ある種の感想のライブ感みたいなのは削がれる。

コロナ禍は大変な事態である事はその通りだ。しかしそれによって失われる機会の多さに対して、僕たちは無頓着になり過ぎている。たかが合評かもしれない、たかがエヴァンゲリオンかもしれない。でもそれらはある個人にとっては死活問題になるくらい大事なことかもしれないのだ。

今は感染拡大させないために我慢しましょうというのが社会の大勢を締めているように感じる。それはそうかもしれない。でもそれによって制限される個人には多種多様な想いが存在する。社会はそれを「わがまま」という一言で吐き捨てようとしているように僕には見えている。

人の人生は一回しかない。社会を維持する為に個人が制限される事があるのは仕方がない。それならばせめて、誰かのかけがえのない一瞬を損ねていることに少しくらい想いを馳せても良いのではないか。

批判が高まっている東京オリンピック開催についてだって、僕はもはや開催を強行するのは難しいと思っているが、そこに出場するはずだった選手たちの想いを想像すると安易に「中止にしろ」などは言えない。

社会的要請が強くなった今だからこそ、我慢しなければいけないからこそ、個人の想いを大事に思うことが、いわゆるアフターコロナに必要な感性なのではないか。僕はそんなことを強く思っている。

凝り固まった社会をほぐす為にも、社会の方向から眺める視点をずらして、ゆらゆら揺らぐ気持ちをどこかに固定せず持ち続けることを、僕は大切に思い続けたい。

そんなこと書いたら肩こりが少し和らいできた。今週も頑張れそうだ。

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