「コドモのまち」へようこそ(東急ハンズ池袋店閉店のニュースに寄せて)2021年3月19日

池袋がどうやら危機的な状況らしい。

東急ハンズが9月で閉店というのは豊島区民の僕にとっても大きなニュースだ。1部情報によれば建物の老朽化が原因という見方があるらしい。しかしもしコロナ禍でなかったらこのタイミングで閉店を決めただろうか。

池袋は年末あたりから名だたるチェーン店が撤退を始めていた。

サンシャイン通りは「ハンズ以外何が残ってるんだ」という状態だったらしいが、ついにそのハンズ自体が無くなる。普段なら池袋の一等地なのだから、賃料が多少高くても空いた店舗にはすぐに次のビジネスが入るものだが、どうやらその兆しは無いようだ。僕自身「ようだ」とつけて伝聞で語ってしまうほど、池袋が街として遠くなった印象を持っている。百貨店もファミレスも遅くまでやらなくなった繁華街に行く理由が無い。僕は東長崎の住人だが、映画なら豊島園に行くし、ユニクロも練馬に行く。欲しいものがある程度確定してきた年代の人間としては、基礎的な買い物はネットで十分だ。コロナ禍もあいまって、僕の感覚においては池袋である必然性は皆無になりつつある。

豊島区は7年前に日本創世会議の少子化に対する提言により「消滅可能性都市」という称号を東京23区内で唯一ゲットした区として全国に名前を知らしめた。これを真に受けて豊島区は少子化対策に力を入れた。具体的には子育て世代誘引のために保育園を多く作った。

一方で高野豊島区長の肝いりで「文化によるまちづくり」というものをぶち上げ、池袋に新しい劇場の建設、トキワ荘再建、西口公園の再整備、イケバス、アニメ関連企業の誘致などを進めた。まんだらけ周辺にはオタクが集い中池袋公園ではガチャのトレードが行われ、池袋は確かにオタク文化の聖地になりつつあった。
また東京五輪のインバウンドを見越した、海外のアニメファンを誘致する仕掛けが着実に進められていた。僕は一連の文化事業には批判的だったが、豊島区的には万事順調に準備が進んだと思われた。

そこに来てコロナ禍が世界中を覆った。

五輪は延期となり、世界中が観光どころでは無くなった。国家間の交流の閉鎖のみならず、県境を超えることさえ批判の的になった。

世界的なアクシデントだから、豊島区の失敗は仕方ないもののように思われているかもしれない。たしかに不運な出来事であったことは認めざるを得ない。しかし結果的に池袋の街が死に体になりつつあるとしたら、僕はそこに問題点を探る必要性があると思う。何故なら不運な事態は起きるものだから。

他の都市についての言及が少ない中、池袋の衰退が伝えられるは、まちづくり自体の失敗と不可分ではないだろうか。

豊島区の失敗はどこにあるのか。

先にも書いた通り、豊島区は少子化対策と文化政策に活路を見出した。個別の成果については個別の評価があってよいのであえて大きく捉えると、豊島区は「コドモのまち」になってしまったのだ。

批判的な用法としての「コドモのまち」をわかりやすくするために「コドモ」という言葉の定義をしておきたい。子供は一般的には大人になる前の状態。法律的には20歳が成人。でも本稿では「与えられる事を待つ者」を「コドモ」と定義する。

先にも述べたように豊島区はカルチャーに力を入れた。高野区長はアートや文化への憧憬を語り、区が後押しすると言った。でもやってきたことはインバウンドを見越した箱物行政。行政が先導する文化政策は結局それしか出来ないともいえる。それでも文化政策を豊島区の売りにした。その売りに牽引される形で民業も体制を作る。区が与えたものに集まる人にサービスする。それは「コドモの論理」そのものではないだろうか。

豊島区はコドモの遊び場を用意した。そこには当然ながらコドモが集まる。与えられるものを欲望する人が来る。しかしそういう人しか来ない。快楽原則に則った商売の形式ならばそれも良い。ターゲットを絞り、リソースも合理的に配分できる。平時ならそれで良い。祭には国境を超えて人が集える。

そんな「コドモのまち」化した池袋に、緊急事態に耐えうる力は無かった。祭を内包した日常としてまちづくりをした以上、祭が出来なければ成り立たない。でもコロナ禍で都市は祭を失い生命を失った。僕はそう捉えている。

予想だにしなかった緊急事態とはいえ、緊急事態に対処出来ない状況をつくったとしたら、それは失政である。ある方向にベットして賭けに負けた。個人ならそれは全て個人の問題だが、自治体の失敗は自治体の長の責任であり、検証されるべき事である。なんでもコロナのせいに出来る季節なんて、元々なかったが、いよいよ無理になってきた。現実的に閉店する店舗が増えている。

南長崎に「トキワ荘マンガミュージア厶」がオープンしたのは2020年。本来なら東京五輪が開催された年である。入場に対する制約も生じ前途多難な門出になった。コロナウイルスによって豊島区は、見越していたインバウンド景気も取り込めなかった。こどものまちとして成功する道を失った。

それにしても「コドモのまち」化する事は、行政機関がやる事だったのだろうか。僕は違うと思う。責任を負える人同士がその責任の上で干渉し合えるのが大人の掟であり、所作だ。自治体が「こっちの水は甘いぞ」というスタンスで人寄せをしてはならない。僕はそう思う。

それが今の豊島区であり東京である。衰退する池袋をかかえる「コドモのまち」豊島区である。その残酷なまでに情けない現状を引き受けながら、大人へと脱皮していくプロセスを踏み直していきたいと僕は思っている。小さなコミュニティで自立していくというカウンターは出来ると思う。

コロナで壊れたもの、あるいはコロナで明らかになったことを引き受けていくしかない。そんな事を考えている僕は、毎日(水~日曜日)焼鳥を焼き唐揚げを揚げ、コロッケを捏ねている。

池袋はともかく、とりあえず周りのみんな幸せになろうぜ。

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