夜だけど昼寝。冬だけどサマーズ的なやつ。みんな違くてやっぱ大変。だけどそれが人間だもの。2021年1月28日。

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疲れましたね。

昼に解体業のにいちゃんが買いに来た時、出そうとした100円玉が汚れていたんだけど「これを出すのは悪い」と言って別のコインを出してきた。「でもそれだとそのコインと一生付き合うことになるのでは」と冗談を言ったら「そうだ!自販機で使えばイイんだ」という。「それも一緒では」とさらに問うたらそのにいちゃん、「俺の手を離れたら関係ないもん」と言ったんだけど、図らずもその一言は貨幣の本質(=匿名性)を言い当てていたんだよね。
電子マネーやアプリ決済を基礎的に使っている僕だけど、貨幣の匿名性というのは重要な観点だ。お金持ちも貧乏人も100円玉を出すということにおいては平等なんだよね。

ま、そんな事を思った昼だったけど、さっきまでこのやりとりを思い出せないほど作業に追われた。


緊急事態宣言以降、昨年5月のそれと同じように街の中で人の流れが変わった。
みんな自粛で出かけないのでテンション低めと思っているかもしれないけど、東長崎のようなローカルな街ではその反動のように人が歩いていた。

みんな異口同音のようにコロナを怖がり自粛を肯定しテレワークを称揚しているけれど、身体はわかっているはずなんだ。他者との結びつきを実感できないところに人間は文化は築けないということを。テレワークで会社の同僚と顔を合わせない事を埋め合わせるには、地元で顔見知りに会うことで補償するしかないのだ。しかも今回の自粛生活は友人と会うことをすらはばかれる事態だ。

そうなると顔が見えるお店の人との交流にその多くを求めるのは頷ける。


先日「店は商品を売るだけにあらず」という要旨の文章を書いた。

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