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日本代表〜情熱中国大陸〜

今時、アジア各国の人々は、とても日本が好きだ、親日的だ、と信じて疑わないのは、実は日本人だけではないかと思う。日本人に対して良い印象を持っている国や地域、親日的な人や話も当然確かに多く存在するが、「ケチ」「値切っておいて買わない」「文句ばかり言う」「面倒くさい」「何を言っているのかよくわからない」と思われている面も大いにあると私は思う。

どこの国に行こうと、自分は「日本代表」なのだというしっかりとした気持ちで、謙虚に、しかしはっきりと自分の意見を言い、礼儀正しく誠実に人と接しなければならないと思う。日本人として恥ずかしくない態度を取るべきである。

一昨年前、友人から浄水器に使う活性炭、炭の仕入れの相談を受け、ココナッツの殻を焼き、炭の原材料として供給する事を思いついた私は、フィリピンのミンダナオ島の山奥に分け入った。本当に帰れるのかと思うくらい山奥で、電気もないし、Wifiも当然繋がっていないような場所だ。行ってみると何と偶然、「それ」を実際やって生計を立てているおじさんがいた。炎天下炭を焼きながら、突然やって来た、初めて会った日本人の私に、ココナッツの炭の作り方を教えてくれた。

温度や気候、湿度、乾燥のさせ方、困難な事などを、嫌な顔一つせずに、本当に一つ一つ丁寧に全て教えてくれた。サンプルを2〜3kg分けて欲しい、いくらですか?と聞くと、お金は要らない、好きなだけ持って行けという。色々教えて貰った挙句、大切な商品をタダでもらうわけにはいかない。無理やりお金を渡したが、これは多すぎると言った後、彼は優しい目で、じーっと私の顔を見て、ゆっくりある話をしてくれた。

「実は昔、ここに一人の日本人が来て、私の父にこの炭の作り方を全部教えてくれたんだ。我が家一家は、ずっとそのおかげで生計を立てることができている。それ以来、あなたは私が会った二人目の日本人だ」という。

昔というのは第二次世界大戦時の事で、日本占領軍の山下将校のいた時代の事。(フィリピンでYAMASHITA将校を知らない人はいない。だからか、Mr.YAMASHITA があちこちで頻繁に話に出てくる。)

彼の父に炭の作り方を教えた日本人が、どんな人だったか、とても気になったが今となっては知る由もない。でもその息子の代で、逆に私がそれを教えてもらう立場になって、ここに居るなんて、とてもドラマチックな事ではないか。

おじさんは、「あなたは初めて会った気がしないし、目が好きだ」と言ってくれた。金は要らないから好きなだけ持って行け、とも言われた。もし私が、そうですか?ラッキー!と言って、ガバッと持って帰るような人間であったとしたら、このように色々教えてはくれなかったであろうし、昔話も聞けなかったに違いない。

偶然だが、第二次世界大戦の時、私の祖父は、レイテ沖の激戦で死にかけ、数日海に浮いているところを運良く助けられ生還した。祖父が上陸叶わなかった国の山奥に、今孫の自分が一人立って、このおじさんと仲良く語り合っている事が、ただの偶然ではないような、とても不思議な、貴重な事に感じられた。その事も当然私は彼に伝えた。

彼が今後三人目の日本人に会うかどうかはわからないが、今ここで、私は、間違いなく日本代表である。そう思えば、自分は日本人として恥ずかしくないように、しっかりとした態度をとらなければならないと思うのだ。

もう一つのお話を。
中国の私の住む街に、花売りの少女が居た。小玉という子と、小麗、その他3人の女の子達だったが(当時5歳から8歳)、彼女達は、いわゆるストリートチルドレンのような存在で、特にカップルの女性や、中国人外国人を問わず「薔薇の花」を買ってくれとせがむ。買ってくれないと脚にしがみついて離れない、少し見窄らしい、乞食よりタチの悪い、ちょっと「厄介な」子供達だ。

毎日大人達から怒鳴られたり、突き飛ばされたり、商品の花を踏みつけられたり、酷い扱いを受けていた。しかし私は何故か彼女たちと友達だった。
当初私は彼女たちにとって、いつも買ってくれる常連さん、だったが、毎回私は花を買うたびに一言二言会話をし、そうしているうちに仲良くなった。

元々私は花好きで子供好きではあるが、萎みかけた薔薇を1本10元も出して買わなければならない理由はない。ただ、この10元で彼女達の境遇を変える事は出来ないものの、毎日の親分からのお仕置きを逃れ、飯にありつく助けにはなる事を知っていたので、わざわざ彼女達の出没しそうな場所を選び歩いたものだ。二人いれば二本買ったし、時には3本づつ買うこともあった。

私を見たら彼女達はニコニコしてかけ寄ってくるが、脚にはしがみつかない。たまには俺の脚にもしがみついてくれよ、と冗談で頼む事もあったが絶対やってくれなかった。でもいろいろな話をしてくれた。

彼女たちのノルマは1日100元。1日最低10本売らないと飯はなし。「勤務時間」は昼の1時から深夜の3時。商店街や、夜の繁華街をうろつき、ほろ酔い気分の大人や、カップル達を狙う。日曜祭日は午前中から公園や人の集まりそうな場所に行き、自分達と同年代の子供がいる家族連れや、優しそうなカップルを狙う。

これは全部彼女達から私が直接聞いて知った事だ。毎日深夜遅くまで、不規則で、しかも精神的にも過酷な生活は、5歳8歳の子供の、健全な心身の発育に多大な悪影響を及ぼす事は、想像に難くない。

「毎日100元、一ヶ月3,000元も稼ぐの?」「うんそれ以上の時もあるよ」
「そんな沢山のお金どこに置いておくの?」「ボスが毎月お母さんに送ってくれてる」。。。送金してるなんて当然嘘であるが、彼女たちはお母さんの為にと、信じて働いている。田舎は江西省だそうだが、誘拐もしくは売られて来た事はほぼ間違いない。花売りは子供にしか出来ない「商売」で、ある程度大きくなったらまた別の商売をさせられる、言ってみればドレイである。

そのうち小玉が自分の息子と同じ歳だという事を知った。夜顧客の接待後、家に帰る前に彼女たちに夜食を買ってあげたり、夜広場の花壇に座って話したり、日本から持って来たお菓子をあげたり、休日にはタピオカミルクティーを一緒に飲んだりもした。
買った花は自分の家に飾ったり、会社のトイレに飾ったり、人にあげたりしていた。

「おじさん中国人じゃないでしょ?」「日本人だよ」「ええええ!日本人〜?ほんとにそうなの?きゃあ日本人〜初めて話したあ、テレビで見るのと全然違うね」※毎日放送されている戦争ドラマに出てくる意地悪な悪者、「日本鬼子」の事を言っている。
「他の大人は私達を酷く言うのに、何でおじさんはいつも優しいの?」
「おじさんには息子がいてね、小玉と同じ歳なんだよ(携帯電話の中の写真を見せる)」「へえ、これがおじさんの息子?名前何て言うの?他の日本の写真もっと見せてよ」「今度連れてくるから一緒に遊ぼう」「わあ本当に??!!...でも仕事休めないし、言葉通じないじゃん」「花は皆で手分けして売ってしまえば、そしたら遊べるでしょ、言葉はおじさんが居れば大丈夫」「わーいやったー!!」「どこに遊び行こうか?」「ボスに監視されてるから、公園で仕事してるフリして公園で遊ぶしかないよ、遠くには行けない」「よしじゃあそうしよう。ところで今日の花代、美金(USD)で払ってもいい?」と言って、たまたまあった1ドル札を渡すと、「これじゃ足りない(苦笑)」と即切り返された。計算できるのかあと感心して、試しに今度は日本円1,000円札を出して見せると、人民元ちょうだい、「そんな沢山お釣りがないよ」。。。な、何と7、8歳の子どもが、USDもJPYも換金レートをほぼ把握しているなんてまさに驚きである!

商売の仕方について真面目に話をした事もある。君たちがやっている行為は商売とは呼べない。相手が欲しいものを、納得した値段で買ってもらうのが商売であって、無理やりしがみついて買わせるのは、強盗と一緒で、よくない事だよ、何か他の方法考えて見たら?というと、私達だってこんなの嫌に決まってる、でもボスの命令で他のやり方はダメ、なのだそうだ。私も食い下がり、脚にしがみつかなくても、嫌われず、怒鳴りつけられず、喜んで買ってくれる、他の方法で、もし薔薇が沢山売れたら君達も気持ちいいし、ボスも文句言わないんじゃない?と言うと、暫くじーっと私を見て、「ボスの指示通りにするしかない」と静かに言うのだ。私はそれ以上もう何も言う事が出来なかった。

その次の週、少し悩んだが、会社の在庫品のハンカチを沢山もって行ってあげて、2本買ってくれたお客さんに、オマケとしてこれを一枚プレゼントしてみたら?大人の君達への見方も変わり、仕事も楽しくなるかもよ、というと、ハンカチがもらえるのが嬉しいのか、薔薇が二本売れるのを想像してか、小玉たちの目はキラキラしていた。

親から売られ、暴力を受け、客から怒鳴られ、毎日泣いて、ろくな食料も与えられず、最低限の教育も受けられない5歳8歳の子ども達に、世の中にはこういう大人もいるんだよ、という事を伝えたかったし、「同情するなら金をくれ」ではないが、ただの同情と金だけではなく、同じ目線で横に座って話せる大人、人の暖かさ、を少しでも感じてもらえたらいいなと思い、私は仲良くしていた。

時代も流れ、今では路上不法営業の取締も厳しくなり、彼女達の姿が見られなくなって久しい。小玉は今16歳になっているはずで、花売りはもうしていないであろう。
可能性は低いが、もしかしたらいつかまた再会して話せる日が来るかもしれない。彼女達にとって、私はやはり日本代表であると思っている。

つづく

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