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孤独のすゝめ

孤独(こどく、英: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。 「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

Wikipediaより

孤独。

社会全体のつながりが希薄化し、孤独死が増えるなど孤独・孤立がより一層顕在化している現代で、誰もが経験したことがあるだろう。そしてそれは老後にも直面しなければいけない、生涯にわたって付きまとうであろう苦悩だ。

孤独におけるいちばんの問題点は、独りの時間を持て余すようになることで*暇が退屈化し、生きることに意味を見出すことが出来なくなること。

*暇⇢何もすることのない、必要のない時間 ※客観的な条件
退屈⇢何かをしたいのにできない ※主観的な条件

「暇と退屈の倫理学」より

かつて、19世紀資本主義社会ではブルジョワジーは、むしろ暇をステータスとしていた。しかし、資本主義の発達によって現代の人々は経済的に、時間的に豊かになった。しかし、暇を得た人々は意図して得た時間をどう使ってよいか分からない。そして、暇が退屈化する。

さらに不幸なことに、独りであるという継続要素が加わると、逃れようのない不幸の空気が常に漂うようになる。それは目には見えるが、実体は無いに等しく触れることは難しい。

しかしながら、この「孤独」というものは、人生において、経験するタイミングによっては人間的成長をもたらす。

その適切な時期とは、孤独であることを一番嫌う「思春期・青年期 (10歳から30歳)」だ。孤独と丁寧に向き合うことは、人生において大きな財産を与えてくれた (ている)と強く感じる。

このnoteでは、実体験を元に積極的孤独を経験したことで得られたものを、ポジティブな視点から考察する。題して「孤独のすゝめ」だ。

入、団欒。 入、共鳴 (20-25歳)

大学2年生(20歳)から社会人2年目(25歳)までの20代前半は、常にどこかしらのコミュニティに属し、自分自身の存在価値 (アイデンティティ)を探し求めていた時期だった。

サークル、学生団体、インターン、そして外部だけでなく内部にも団欒を求め異なる3つのシェアハウスにも住んだ。

(24歳の誕生日を当時住んでいたシェアハウスで祝ってもらった時の写真。)

この時期の写真フォルダを見返せば、大人数に囲まれて写真に写る自分が多い。そして、居場所を見つけた充実さを誇示するかのように楽しそうに映る。

当時を振り返ると、どの瞬間もかけがえのない、楽しかった思い出ばかりが思い出される。自分が死ぬ直前に人生の振り返った時、この20代前半の団欒と共鳴の記憶は、間違いなくベストモーメントであり続けると自信を持って言えるだろう。

しかし他方で、24, 25歳あたりからは、人と一緒にいることが窮屈に思い始めた。楽しくて不自由なく心理的安全が確保されているけれど、どこか窮屈。このパラドックス空間の中で永遠に閉じ込められてしまうような気がして、苦しくなった。

そして、積極的孤独への道を歩み始める。

脱、団欒。 脱、共鳴 (25-27歳)

25歳から27歳までの約2年間は、コミュニティに属しはするけれど、長居せず定期的かつ短いスパンで新陳代謝を行うようになった。そうすると、ノマド (遊牧民、転じて放浪者)のような生活を歩むようになる。

滋賀 (4ヶ月)⇢アメリカ (6ヶ月)⇢白馬 (2ヶ月)⇢別府 (4ヶ月)⇢ヨーロッパ (各所2週間ほど、計2ヶ月)⇢ニュージーランド (3ヶ月)

(留学というものも、手っ取り早く孤独体験ができる一つの手段)

行く先々で新しい人と出逢い、コミュニティをゼロから作る楽しさを見出した。しかし一旦享受し飽きが来ると、また別の場所を開拓する。それでも、この約2年間は圧倒的に孤独を経験する時間が多かった。退屈化した時間が襲い、虚無感に苛 (さいな)まわれる瞬間が断続的に続いた。

けれども、この孤独経験において「入、団欒。 入、共鳴 (20-25歳)の時期」と同じぐらい、かけがえのない財産を得たのも事実である。

孤独経験のメリット


以上、「団欒と共鳴」を入脱した2つの時期から得た「孤独経験のメリット」を3つに絞って考える。

①1人の楽しみ方を知ることができた

孤独のおかげで、読書や料理、旅など、1人の楽しみ方をたくさん知ることができた。そして結果的に様々な物事に関する興味を幅広く持ち、それらの物事と友好的な関係を築けている。

友人関係や恋愛でも、1人の楽しみ方を知っている人ほど、一緒にいるとすごく楽しい。自分の芯がしっかりしている人は1人で満たされて、1人で完結している人だからこそ一緒に楽しめるし、幸せになれる。「自分は一人でも生きられる。それでも2人で居たほうが、同じ経験を共有する喜びを持つことができる」ように、求めるだけでなく与え合える関係になれるのも、1人の楽しみ方をお互いに知っているからこそだ。

②内省力を得て思考の幅が広がった。

孤独の中では、何かを1人で考える時間が圧倒的に多く、おかげで思考の幅が広がったと感じる。自分自身と対話する環境を作ることで、自分の一番深い部分と対話できることにより、自分が「本当は何をしたいのか?」「本当は何を考えているのか?」を問い答えを求める内省力を得て、物事を多面的に、細部まで見通すことが出来るようになった。厳密に言えば、内在するもう一人の自分 (リトル◯ンダ的な)と親友になれたのかもしれない。つまり、永遠の孤独から解消されたのかも(?)

③変化対応力、決断力が身についた。

1人で行動がすることが多かった分、選択肢が能動的になり、自分で人生を決断し、作り上げる感が高まり充実度も増していった。予期せぬ出来事や、重大な決断を急に迫られるシチュエーションにも、あまり動じなくなったと思う。

諸行無常、世のすべてのものは、移り変わり、永遠に変わらないものはない。変化を常とすることを前提とし、その時々に自分が直感するベストを選ぶという「変化対応力」「決断力」を得ることが出来た。

一流の孤独とは?


孤独にも「一流」と「二流」に分けられ、前者がプラス、後者がマイナスを表すという。主には①人間関係、②仕事面、③プライベート面の3つの側面に分類されて、どれも共通して「成長を伴う孤独」が一流の証とのこと。つまり孤独は生涯にわたって付き合うべきものであり、向き合い方が重要なのである。

この年になって、やっと初めて本当の意味で「自己」という存在を客観的に見て自分の性格や特性を理解したり、孤独や不安との向き合い方が少しだけ上手くなった気がする。 この理解度と経験は、間違いなく相関関係にあって、様々な"異なるモノ"に触れたりすることによってより成熟される。

そう考えると、孤独と向き合い、葛藤した時期も悪くなったように思える。むしろ、若い思春期・青年期にどっぷりと味わうことが出来たからこそ良かったのである。

28歳になり、いよいよ人生も次のステージに進もうとしている。今は想像も出来ないが、近い将来に結婚、そして子供を授かって家庭を持つ可能性がある。ただ、家庭を恒常的なコミュニティとするならば、スキマ時間でこの積極的孤独は続けていきたいと思う。1人旅でもいい、1人登山でも、1人飲みでも。

一流の孤独を目指し、死ぬまでしっかりと真正面から向き合うこと。「孤独のすゝめ」は、万人に誇れる自身の人生哲学であると自信を持って言える。

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