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僕が吃音を克服した3つのキッカケ


15秒に一度、無意識に声が出る人。

7秒前の記憶が消えていく人。

笑いたいわけではないのに、所構わず笑ってしまう人。


世の中には様々な"障害"を抱えた人が生きています。

理解をなくして懐疑の目で見られ、時には忌み嫌われ、生きづらさを抱えた人々は便宜上では"普通ではない人"とラベリングされ。

かくいう僕もその一人でした。(厳密には、です。)

物心がつく前から話す時に最初の一音に詰まってしまうなど、言葉が滑らかに出てこない発話障害の1つ「吃音(きつおん、どもり」

小さい頃から無意識に言葉が話せず、両親からは「もっとはっきり話しなさい」と言われ続け、友達からは吃音を真似、嘲笑され、

小学校の時、全校生徒が集まるイベント劇の時には緊張と不安のあまり自分のパートで声が出なくなり、長い沈黙と共に「なぜ?」と吃音と共に生まれてきた自分を激しく呪いました。

しかし、今では昔ほど吃音があまり出なくなり、前向きに受け入れて生きることが出来ています。

このnoteでは、自分の吃音を改めて振り返ってみた時に、考えうる改善のキッカケを紹介します。今、同じ症状で苦しんでいる人はもちろん、周りにもいる方へ何かの参考になれば幸いです。

 (1) Mr.Childrenのある歌詞に出会ったこと

僕はMr.Childrenというバンドが大好きなんですが、そのキッカケとなったのが「擬態」という曲です。

よくコンプレックスや障害を「個性」として受け入れる。という解消法がありますが、吃音という障害に強く苦しんでいた当事者としては「何を言っているんだ?」とばかりにその言葉の意味が1ミクロンも理解できずにいました。

特に吃音症は「体質的(遺伝的)要因」「発達的要因」「環境要因」などいくつかの要因があります。そして、その症状を悪化させるものの共通項として挙げられるのがメンタルです。

そのメンタルという名の向き合い方を180度正反対に変えてくれた歌詞が、擬態の以下のフレーズでした。


「障害を持つ者はそうでない者より不自由だって誰が決めんの?」


当時は思春期真っ只中の中学3年生。吃音に際し、周りの全てや自分自身さえを攻撃してくる敵と常に結界オーラを放っていた自分にとって衝撃的カミナリが走った言葉でした。

自由・不自由を決めるのは誰でもなく、自分自身でもない。もはやその概念すら疑うことを脅迫したこの歌詞に、どれだけ自分が救われたことか…。

それ以来、自分の吃音という障害の存在を自分から抹消し、始めから持たない生き物かのように"擬態"しようと決心。すると少しずつ吃音も少なくなっていき、自分でも気にならない程度になりました。

改めて視点や見方を変えること ("変えスイッチ"も人それぞれです。)で、物事の角度が180度変わることの不思議さと共に、その怖さを実感しています。

参考:Mr.Children「擬態」3:25〜より

 (2) 英語を話すようになったこと

20歳の時に初めて海外に行き、異なる文化、なかでも言語に興味をもち始めて開始した英語学習。それも僕の吃音を変えてくれたキッカケの一つです。

元来、日本語の発音が自分には合わなく、吃音以前に滑舌も悪いのですが、その両面をカバーしてくれるのが「英語を話すこと」でした。

日本語と英語では発音する時の舌の使い方や喉の動きなど異なる部分がたくさんあります。母音子音という括りでは共通する部分はあるものの、様々な要素が複合的に合わさって発症する吃音は、そのいくつかの歯車が狂うだけで効力を無くします。

意図的に吃音を治そうと思って習得した英語ではありませんが、結果として軽減するツールとして機能してくれたのはとてもラッキーでした。

英語でも吃るときは時たまあるのですが、単純に「英語力の不足から言いたいことが言えないだけなんだなと」相手にカモフラージュできるので便利です(笑)さらに咄嗟に別の表現をしようとする力を身につけることができ、逆に吃音のお陰で英語のパラフレーズ (言い換え)力が格段に上がった気がします。

 (3) 完全に治すことを諦めたこと

こちらもメンタル的なものになりますが「これはこういうもの。一生苦しみ続けるのだから仕方ない」と諦めることで気持ち的にも、症状的にも楽になりました。

自分ではどうしようも無い悲しみや、痛みなどそういった部類のものは世の中たくさんあるし急に降りかかります。もっと広義的に言えば、この自分達が生きている世界は誰かにシミュレーションされた仮想現実かもしれません。

そのような各種の"諦め"や"仕方ない"ものの積み重ねが、いつしか吃音という病気を治すことを諦める、という結論を導きました。なので例えば哲学書とかを読み漁って「生きる意味」を思案するようになると、上手く言葉で出てこないことも、ほんの小さな事象と捉えてどうでもよくなるかもしれません。

かくいう僕もまだ哲学書に書かれている真理なるものを自分の意識に刷り込んでいる最中ですが…。

まとめ

以上が、僕が吃音を克服した3つのキッカケです。

全ての吃音症患者に当てはまるものではないですが、「こいつ極論で変なこと言ってるな」ぐらいに読んでいただき、万に一度おなじ事例を実践していただけると幸いです。

最近読んだ「動的平衡」という本の中に「秩序あるものは必ず、秩序が乱れる方向に動く」という言葉を見つけました。著者によると、これがすべての生命に最も当てはまり、宇宙の大法則であるそうです。

正常=秩序がキープされた状態
吃音=秩序が乱れる方向に動く (いた) 状態

上記のように仮定すると、実は障害を持つ人は退化ではなく生命体として正しい方向に生きているのかもしれません。

吃音で例えれば、言葉をなくし、テレパシーのようなもので意思疎通ができるようになるためのヒトという種の進化の過程である。

希望的観測すぎるかもしれませんが、僕はこのように思います。

拙筆ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました🙂

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