見出し画像

【一部屋だいたい】人生負け組シェアハウス【4.5畳】

僕は今とあるシェアハウスに住んでいる。そのシェアハウスは横浜市の外れも外れにあり、緑の生い茂った豊かな森の中に存在している。僕は横浜市と偽ることで値段を吊り上げようとしてるのではないかと疑っている。このシェアハウスは一見すると二階建ての普通の一軒家である。しかし驚くべきことに、玄関を開ければ所せましと小部屋が乱立している。その数なんと16。建築基準法の何らかに抵触してると疑っている。

風呂はない。クソほど狭いシャワー室、常に小便臭いトイレ、カウンターキッチンとは名ばかりの小汚い調理兼飲食スペースが共同で使用可能。洗濯機は無料。乾燥機は有料。ルールは「夜は基本的に静かにしてね」以外に特になし。部屋はだいたい4.5畳。部屋が狭すぎるせいか足音等はあまり聞こえない。有識者によれば二階住民(女性)の喘ぎ声はたまに聞こえるらしい。

内見をした際にそこそこの度肝を抜かれたものの、まあ住めないこともないなと思ったこと、また地域最安値の家賃に惹かれすぐさまその場で契約した。契約書の条項に「夜逃げ」の欄が異様に多くてちょびっと後悔した。しかし、担当者の話では自分の入居でほぼほぼ満室になるらしい。

でも安いところにはそれなりの人物が住み着く。住んで幾何も経ってないので全員とはまだ面識がないが、どんな人が住んでいるか簡単に説明しよう。

ニート、バツイチ(男)、引きこもり、留年、留年、バツイチ(女)、無職、船乗り、フリーター、フリーター

もう少しまともなひとがいてもいいな、と率直に思った。まあでもまともな人が激狭シェアハウスを選択しないか、とすぐさま納得した。

「ここの良さは普通に生きていれば関わらない人と出会える」と引きこもりの人が言っていて、なんだか妙な説得力を感じた。例えば、アラサーのバツイチ(男)に「養育費を払いたくないんですけど、一体どうすればいいんですかね?」と丁寧な言葉で最低な質問される日が来るとは思うだろうか。


アラサーのバツイチ(男)は見た目は幼い。しかし心も幼い。ダメなコナンくんみたいだ。ダメなコナン君はもうただの小学生だ。金・生活・食、全てにだらしなく、先月の激安家賃を払うのも厳しかったらしい。そのくせ風俗には行く。ピンサロのことを「手コキ」と呼ぶ。出会い系のアプリを三個はしごしている。彼は潔癖の癖があり、トイレは毎回近くのセブンまで借りに行く。そして何も買わない。

ダメ・オブ・ダメ大人だ。そんな彼が養育費を踏み倒そうとしている。その場にいた、留年・ニート・船乗りに聞くのも間違っているし、そもそも人として間違っている。僕たちはグーグルに相談することを提案し、こうはなりたくないな、と顔を見合わせた。

留年(僕)・ニート・船乗りは同じ1998年世代で、特に話の馬が合った。ニートは「社会派ニート」と自身で謳っていて、「社会派」が何を意味するのか全く分からないが、シェアハウスに住んでいるところが他のニートより社会に一歩近いのかな、と僕は考えている。船乗りの方はその特殊な勤務形態からか、陸に上がっている時の主に性欲への行動力がすさまじく、日々女性探しに翻弄している。マッチングアプリで「おセッセしよう」とメッセージしたところ永久バンされたらしい。心底愛すべきバカだなと感じた。

そう、このシェアハウスは一番の若者が僕たち22歳の代というところがひとつの驚きだ。学生が多く住んでいるんだろうなという淡い期待を抱いて入居した。しかし、汚なすぎておっさんずラブも発生なさそうな、無精ひげの生え散らかした30歳手前のおっさんが大半を占めていた。おっさん同士することといえば酒飲んで猥談で盛り上がるくらいで、夜になれば下卑た笑いがシェアハウス内に響き渡った。

「このままではただのおっさんに成り下がってしまう」と危惧していたのも数日で、気が付いたら酒飲んで下ネタを言ってみんなで肩を組んで笑っていた。案外おっさんになるのも悪くないのかもしれない。そう考えるとなんだか「良い大人になろう!」とする肩の荷が少しおりた。これもひとえにおっさんの、中でも特に引きこもりのおっさんの影響があるのかもしれない。

引きこもりのおっさんは部屋からは出るものの、シェアハウスからは全く出ようとしない。大抵は部屋にいるか、共有スペースの備え付けのテレビでネトフリの映画を視聴している。時たま映画を一緒に見ることもある。帰宅すると笑顔で「おかえり」と言ってくれる。「天気は曇りの日が最高だよね」とよく分からないことを言う。どんな話でも「素敵だね」「いいと思うよ」と目を細めて返してくれる。

僕が以前勤めようとしていた会社は、まさに「立派な大人」のみが存在を許されていた場所のように感じた。仕事に全力を尽くし、プライベートはそこそこ犠牲にし、仕事を愛するべきだし、仕事に愛されていなければ反省し、結果が出なければ内省し、何度も何度も自省し、周囲を見るたびに焦り、猛省する…。「お前は人生で何を成し遂げたいんだ?」と声をかけてくれた先輩は、随分高そうなスーツを着ていたことを覚えている。

最近よく見るQuoraという質問サイトでも、「人生逆転の方法」や「20代のうちにやるべき習慣」、「投資の手法」だったり「1000万稼ぐにはどうすればいいか」などという質問が人気を博している。上を見ればきりがないのも十分に理解しているのに、日々の習慣が最も近道だということも分かっているのに、人はお手軽に「立派に」なれる裏技を無料で乞おうとする生き物なんだと分かる。

「良い大人になる」「立派な大人になる」というのはごく自然なことだと思っていた。しかし、このシェアハウスには、社会的にみれば、少なくとも皆が理想に掲げるような「立派な」大人はいない。はたから見れば生産性も低く、おそらく少子化にも一切貢献していない。彼らには数年彼女はいない。ゴミの分別もしない。もはや大人ではない。

でも、日中からミヤネ屋を見て「俺たちの分まで社会に貢献している人たちに先にワクチンを回してほしい」と言ってるおっさん達を見てると、なんだか「立派だ」とか「勝ち組だ」とかの輪郭がぼやけてくる。

僕が一年留年している間に、周りが立派に働いていてる姿を見てきた。今まで順調に進んできたレールから一人だけ飛び出してしまった感覚に陥った。「留年」という肩書は面接官の目を冷たくさせる。そのたびに、この失敗は取り返しのつかないことなのだと気分が落ちていった。

でもこのシェアハウスに来て、「良くない大人」「立派じゃない大人」も全然身近にいることを知った。彼らは多分そこまで人生を悲観的にとらえていない。取るに足ることの幸せを知り、自分を社会の歯車の一部とさえ思ってない可能性が高い。


果たして幸せはどちらにあるのか。

そして彼らは一体誰に負けているのだろうか。



バツイチが先日、「君たちの若さに触発されたので自撮り棒を買います」とかよく分からないことを言っていた。そして次の日には、彼は自撮り棒もどきを自慢げに手にしていた。

絶対それ自撮り棒じゃないですよ、グネグネした三脚ですよ、と腹を抱えて笑う僕に対し、バツイチはなんだか嬉しそうな表情をしている。

「あなたが来てからシェアハウスが明るくなりました。常に笑顔で、人生ホントに楽しいんだなって見てて思います。年下だけど、見習うべき部分がたくさんあります。福島から出てきてくれて本当にありがとうございます。出会えてよかったです。」


”福島から出てきてくれてありがとう、出会えて良かった”というフレーズがじんわりと心の中にしみ込んだ。


多分この言葉をいくつ集められるかが、僕の人生にとって大事なことだな。

読んでいただき本当に本当にありがとうございます! サポートしようかな、と思っていただいたお気持ちだけで十分すぎるほど嬉しいです。いつか是非お礼をさせてください!