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大切なことは全て京子が教えてくれた




地元で開催している現代美術展。特に興味はないが500円で入れるそうなので暇つぶしに入る。奈良美智や村上隆、草間彌生の作品が展示されている。ここら辺は美術に興味がない自分でも、あーそれね、くらいは分かる。

しかし中には全く何も読み取れない作品がある。素人目には到底理解できないような作品。何も読み取ることができない。意図を図ろうにも、知識が不足しているから理解できないのか、一般に理解できないということが作り手の意図なのか、そもそも最初から何も意味していないのか。もう何が分からないのか分からなくなってくる。少しでも情報を得てやろうと作品名を見ると『untitled』

題名くらいつけるべきだろ。社会はそう甘くねえんだよ。

その自由さ、表現という「型」にはまってないですよ私という感じ。俺が今一番欲しいものを評価されている。だから現代美術は好きではない。


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営業職を志望している。無形有形問わず。そもそも両親がどちらとも公務員なので一般的なサラリーマンというのを知らずに育った。公務員の家系というものは往々にしてあるもので、おばさんも学校の事務を担当しているし祖母は市役所に勤めていた。なんなら隣の家の住人も市役所だ。

両親が公務員なら子供も同じ道を歩みそうだが、なんとなく公務員は違うな、という感覚を持っていた。大学三年生の冬、一切公務員に興味を持たず民間への就活を始めた。

営業を志望するのは間違っていないはずだ。アメフト部というゴリゴリの体育会系で培ったバイタリティや忍耐力は、「先輩の言うことは絶対」という現代の生きる奴隷として身に着いたものだ。泥臭く、粘り強く、団体競技で得た組織力を活かした営業マン。戦闘服としてのスーツは逆三角形の身体に信じられないくらいしっくりきている。

「部活動で培ったスキルを活かし、営業の分野で御社に尽力することをここに誓います。」

何度も何度も鏡の前で練習した作り笑い。面接官にカメラ越しに訴えかける俺。満足そうにうなづく面接官。退室のボタンを押すとともにくたびれた戦闘服を床に投げ捨てる。終幕。見事に新卒としての「兵隊」を演じることが出来ただろうか。企業が求めてる人材になりきることが出来ただろうか。

「しがない公立大学の体育会系なんて使い捨てのソルジャーやろ」

一足先に社会人になった部活の同期がつぶやていた。そうだよな。俺たちにはそう働くべきなんだよな。クリエイティブでフレキシブルな働き方、そもそも横文字なんか俺たちには似合わねえよな。口答えなんかできずに朝から晩まで頑張ってきた4年間。それがあと40年、いや50年続くだけだもんな。


なあ、俺たちの人生ってなんて素敵なんだろうな

社会に何十年もかいがいしく貢献して

やりたいことがたくさんあるってキラキラしていたはずなのに

気が付いた時には身体なんかボロボロになってて

病院で辞世の句なんか詠んじゃったりして

「なんだかんだ良い人生だったんじゃないか、ガハハ」とか言って

歴史に残らない人生を、その生涯を終えてやるんだ

神様もきっと笑顔で送り出してくれるだろ?


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原付を運転している。制限速度は30㎞。30㎞でも意外と速く感じる。風を全身に浴びる、車では感じることの出来ない爽快感。車でアクセルを踏み込むよりも、バイクの右手でアクセルを回す方が簡単に生命の向こう側にいけてしまうように感じる。手のほうが心臓に近いからかもしれない。

いのちを手のひらで優しく握りつぶすように、徐々に右手に力をこめる。原付からは3歳の赤ちゃんくらいの抵抗を感じる。頬を切る風が強くなる。視界から消えていくのは幸せがいっぱいに詰まった家々。視界に入ったとたんに暗闇に溶けていく。


暖かくもどこか肌寒い、初夏の始まりを感じさせる空気。普段は身にまとわりついてきて大層うざったい。そのくせバイクを走らせる時だけは、就活嫌だな、人生を考えるのめんどくさいな、などなどのマイナスな気持ちを優しく削ぎ落してくれる。

最近新聞で読んだ、東大大学院を卒業して天下のトヨタに入社したものの、パワハラを苦にこの世を去った男性。「会社ってゴミや、死んだ方がましや」そう家族にメールを残したらしい。


このまま消え去ってしまいたいな

そう感じさせるのも、空気、きみの親切心だったりするのか


強い振動が伝わって我に返る。原付はやっぱ原付だから多少の段差でも簡単に飛び跳ねてしまう。このスピードで地震がまた僕のもとに訪れて道路に亀裂でも走ろうものなら、まるでETの名シーンように空を舞う。

空を泳ぎながら何を思うのだろうか。どうせ大それたことは思わない。スタバで「ベンティ」ってドヤ顔で言ってみたかったなあ~とかだろう。大変しょうもない。


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本当は分かっている。現代美術の自由さにいらついてしまうのも、営業としての未来に希望を見出せないことも、人生に悲観して消え去りたいと思ってしまうのも、全部全部自分に自信を持てなくなってしまっていることが原因なんだな。「こうあるべき」「こうするべき」という固定観念に雁字搦めされ、未来と現在の大きなギャップを感じて悲しくなってきてしまって、少し落ち込んだnoteを書くほかない。


体育会系だから営業になるべきだよ

大卒だから正社員の道を選ぶでしょ、普通

男なんだから家族を養えるほど稼がないと

女性は女性らしく生きるべきだ

社会人だから、大人だから、男なんだから、女なんだから…


そういったしがらみに苦しむのを辞めたい。「当たり前」「普通」になれないことを怖がりたくない。自分自身の可能性を縛りつけたくなんかない。


ブルーな気持ちになりながら何気なく見ていたテレビ。ある女性タレントが映っている。受け答えがなんとなくぎこちない。てか何を言ってるのかさえわからず思わず笑ってしまった。よくある「おバカタレント」としてこれを演じているんだったら凄い。

でも彼女は素そのままだった。例えばグルメロケ。最初はたどたどしい喋りによく分からない表現にもどかしさを感じていたものの、彼女が心からの言葉を視聴者に精一杯伝えようとしていると考えたら途端に好印象に転じた。

より良く喋ろう。上手く話そう。論理的に、建設的に。そう思っていた俺なんかより、京子のまっすぐストレートな言葉の方が心にダイレクトに響く。俺は薄っぺらない建前しか喋れない自分を恥じた。


京子のように自由に

京子のように自分らしく

京子のように自分を偽らず生きていこう


いつの間にか彼女に惹かれ始めている自分がいた



皆さんは彼女が誰か気になっているかに違いない。


京子....そう「浜口京子」だ。

彼女はテレビの活躍だけに留まらず、たった140字のツイートだけでぼくらの「当たり前」という観念をベルリンの壁のようにぶっ壊してくれる。


例えばこの4月1日エイプリルフールの投稿。「普通」だったらくだらない嘘をつくこの日。彼女はひと味異なる。

「おはようございます」と縦に読むのかと思いきや「今日から4月スタートですね😊」と横に読み、さらには唐突な22回の「気合いだ!」の連呼。

「実は左端の言葉をつなぎ合わせるとこういう意味があったんです~」といういわゆる縦読みは新聞などでたまに見かけることができる。

しかしこれは縦読みでもなんでもない。ただの縦と横の文字の組み合わせだ。

常人には到底思いつかないような140文字の使い方。恐るべし京子…


また朝の7時32分というのもポイントが高い。新年度の早朝からこのテンションの人間を山手線車内でみることが出来ますか?

日本人に必要なのは翼を授けるエナジードリンクなどではなく、「浜口京子」彼女のパワーなのかもしれない。


それから10日ほど経ったこのツイートも一見の価値がある。

先ほどの投稿と同じように縦と横の文字の組み合わせ。彼女にとっては当たり前の表現技法なのだと分かる。

また色とりどりのハートがを見れば見るほど目がチカチカしてくる。常人が素面では決して創り出すことの出来ない世界観、京子ワールドがさく裂している。

京子はハートじゃなくてウィードでもやってるんじゃないか?そう疑いたくもなるのは無理はない。

彼女のツイートは中毒性がある。それが意味することは一つ、彼女自身がもはや薬物レベルの依存性を有しているに違いない。

俺ももう彼女無しでは生きられなくなってしまっている。


ちなみにこの月曜日は16気合いと、1日の22気合いよりは少し抑えめだった。やはり京子も週初めには弱いのかもしれない。


次は「火曜日の朝の気合い」を見よう

桜で文字を囲むのか囲まないのか、「気合いだ」と「!!!」が徐々に離れていく感じ、このデザインとして絶妙にずれてる感が素人としては気になってしまう。

「細かいことは気にしない!ずれてる自分を愛そう!気合いだ!」

という京子からのメッセージ、俺には届いてるよ。


ちなみに火曜日は8気合い。月曜日より半分も少ない。やはり週が進むにつれて彼女の精神は疲弊していくのだろうか。無理をしていないか心配だ。

気合いの数で京子の体調まで測ることができるのも彼女の良さだ。


そして日曜日の京子

ついにやってしまった。「気」が2つほど離れてしまった。やはり縦文字は難しいのかもしれない。

いやこれは「合いだ」と「愛だ」をかけている可能性がごく僅かに存在している。

つまりは「Love&Fight」そう、愛をも司る京子に成し遂げられないものは何もないかもしれない。完敗です。


日曜日は7気合。平日の月曜日から気合いの数は減っていき、週末に増大するのかと思いきや減少の傾向が見て取れる。「週末だけが人生じゃないよ!」ということなのですか?


番外編

これは何かの暗号なのではないか

モールス信号かと思って5分くらい調べたけど、普通に意味がなさそうで早々に断念した。

この日はなんと0気合い。「気合いだ!」が無い日なんてあってもいいのか?


「いつも気合いを入れていたら疲れちゃうよ?」

危ない。「気合いだ!」がなければ京子ではない、という観念にいつのまにか縛られていた。


「気合いが無い日があってもいい、無理をしないのが一番!」

俺の中の京子がそう語りかける。自戒を込めて何度も何度もかみしめる。


ありがとう、京子

無理なく自分らしく頑張るよ


・・・・


本当はもっといい話風に終わらせたいと思っていたけど、俺の中の京子が騒ぎ始めるのでこれで終わり!




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