うちのルームメイト・ニートの話
「ニートとシェアハウスしています」
そう自己紹介すると、相手はたいてい小馬鹿にしたように笑う。
目の前のおばちゃんは、それに加えて眉をひそめ、「ニートって…ちょっとアレねぇ」と苦々しく言った。初手の挨拶にしては最悪の反応だった。
それでも僕はそんな反応は慣れっこだから、ニートと一緒に住むと結構いいことあるんですよと弁明する。
「ずっと家にいるんで、いつ帰っても『おかえり』って必ず言ってくれますね。あと朝早い時なんかは、事前に言っておけば起こしてくれたりします」
おばちゃんが興味なさそうに相槌を打つのを見て、僕は「ニートがなせるわざですよね〜」と適当に話を切り上げる。
〇
まあでも、おばちゃんの反応も正直分かる。おそらく彼女の世代では、” 最近の若者 ”の中でも、ニートやオタク、フリーターや引きこもりは、特に理解できない存在なんだろう。
確かにうちのニートは、毎日12時過ぎに起きて、日中ずっとテレビを見ている。僕が眠くなる頃にようやく活動的になり、毎晩深夜2時頃、「人がいないから」という理由で外に出かけていく。
彼の趣味は半額のシールを集めるという奇怪なものだし、いい大人なのにクレヨンしんちゃんの映画が大好きだ。思想は左に偏っていて、度の強い丸メガネをかけた姿は、時代錯誤感が否めない。
おばちゃんが想像する、その5倍はダメな存在なんだけど、それでも僕は、ニートでひきこもりでオタクの彼のことが好きだ。
彼がテレビのチャンネルを常にテレ東に固定するせいで、僕は出川哲朗の「充電させてもらえませんか」が最高に面白い番組だと知った。
彼は深夜の徘徊後に、持ち帰った謎の木の実のリビングに置く。それを手に取り、僕は季節の訪れを肌で感じる。
彼が愛用する、チェ・ゲバラをはじめとする革命家Tシャツシリーズは、流石に少しダサ過ぎるなとは思う。
だけども、僕が玄関のドアを開けるやいなや
「おかえり」
っていつでも笑顔で僕に話しかけてくる、そんなニートの彼のことが大好きなんだ。
〇
そんな彼と僕は、社会に適合できなくても、決して逆らうことはなく、日常に波風立てず生きていこう、そう誓い合っていた。
陰鬱とした気分になりそうな時も、" 臥薪嘗胆 "を合言葉に、今世を何とか耐え抜き、来世こそは…と、大局的な視点で人生を捉えようと試みる。
そうすることで、目の前のクソみたいな現実を、ただの通過点と錯覚することで、なんとか心の平安を保っていた。
そう言い合っていたのに、僕らはたった一度だけ世間に反抗したことがある。
その始まりは、ニートがみなとみらいのマダムによって友達との待ち合わせに遅れる、というなんともしょうもない出来事から始まる。
〇
家に帰ると、珍しいことに、ニートからの「おかえり」の声が聞こえてこない。こういう時は、彼が何かしらに対して怒ってる時だだと僕は知っていた。
彼は予想通り、リビングの椅子に座りこんんで何やら考えこんでいる。
話しかけると、「僕は犬よりも弱い存在なんだろうか」と彼は神妙な面持ちで聞いてきた。
僕は彼の白くて細い腕を見て、獰猛なトイプードルにギリ負けるくらいじゃないかな、と思った。
彼は急に喋り始めた。
「僕が待ち合わせに遅れたのは、確実にあの女が犬を野放しにしてるせいだ。足にまとわりついてきて、なんなら噛もうとしてきて、『メロンちゃん、あんよはダメよ』は流石に頭がおかしいだろ。足以外だったらいいのかよ。ニートだったら噛んでもいいと、みなとみらいに住んでるやつらは全員、そう躾けているのか」
一気にまくしたて過ぎたのか、彼は呼吸を辛そうにしている。僕は薬箱から酸素ボンベを取り出して、彼に手渡した。彼は生まれつき気管支が弱く、ちょっとのことで息が上がってしまう。
話は脱線するが、彼がニートになった理由もそこにあるらしい。
誰かにいじめられたわけでもない。気管支が弱いせいで運動が出来なかったから、小学校の時から今まで負け続けてきた。その結果、人生を諦めてしまったんだと、いつの日か彼は語った。
彼は酸素ボンベを大きく吸ったあと、「君は闘う意思はあるか?」と弱々しく僕に尋ねた。
僕はよく分からないまま、小さく頷く。
僕の反応を見て、彼はそばにあった一冊のノートを手に取り、自室で準備をしてくると言って立ち上がった。立つ途中でよろけそうになり、僕は咄嗟に手を貸す。そんな状態で、君は一体何と闘うっていうんだ。
彼は部屋から戻ると、小さな黒いバッグを背負い、服装をちゃっかりお気に入りのTシャツに替えている。
じゃあ行こう、と言う彼の目つきが、Tシャツの革命家と同じくギラギラと光っていて、僕は少しだけ不安になった。
〇
僕らは京急線に乗りこみ、横浜へと向かった。「みなとみらいに行こう」と言う彼に、僕は黙ってついていく。
みなとみらい線に乗るのかと思いきや、横浜駅東口から地上に出る。歩いて向かうらしい。200円ぽっちの乗車賃をケチるところに、何とも言えない侘しさを感じた。
歩きながら、流石に何するか教えろよ、と僕はしびれを切らしてニートに尋ねる。彼は息が上がらないよう、ゆっくりと話し始めた。
「僕は今日本当に悔しかったんだ。僕が犬に絡まれてる間にも、奴らは遠巻きに見つめるだけで、誰も助けてはくれなかった。怖くて声すら出せなかった。」
「今日一日中、奴らをどうやって倒そうかとずっとずっと考えてた。僕は腕力では犬にすらにも勝てないし、頭も悪いから、知識で奴らを出し抜くこともできない。正攻法では、僕はどうやっても、僕を馬鹿にしてきた奴らに勝てないんだ」
ここまで言うと、彼は興奮を抑えるためか、大きく息を吸った。
「でも僕は、もう負け続けるのは嫌なんだ。実は僕は君が大学に行ってる間に、何回かアルバイトに応募してみたんだ。でも彼らは、僕がニートだと知ると、手のひらを返したように目線が冷たくなる」
彼は話しながら、涙がこぼれ落ちている。先の出来事が、彼の心の琴線に触れたようだった。僕も思わず、胸が詰まる。
それでも涙を拭くことなく、彼は話を続ける。
「でも僕は何よりも、なんにも言い返せなかった、弱い自分のことが一番許せないんだ。でも僕が自分のことをこれ以上嫌いになってしまったら、僕はもう死ぬことしか出来ないから、僕は自分の人生を生ききるためにも、奴らにやり返さないといけないんだ」
「だから今日の闘いを、君には何があっても肯定してほしい」
そう言い終わると、彼は黒いバックを背中から下ろし、ごそごそを何かを取り出し始めた。
僕はその時、彼がバックから取り出すものによっては、タックルして彼をケガさせても止めようと、本気でそう考えていた。
それぐらい彼の独白は悲愴感に満ち溢れ、真に迫っていた。
彼はバックから、一冊のノートを取り出した。
それは彼が趣味で集めている、半額のシール帳だったはずだ。
「これを奴らに貼りつける」
タグが服に付いたままでダサかったという、友達の話から発想を得たらしい。僕は緊張と緩和による心的作用で、自然と笑いがこみ上げてきた。彼もつられて、泣きながら笑った。お前は笑うな、と彼の肩にパンチする。
何か犯罪を犯すかと思った、僕はそう正直に伝える。そんな勇気があったらとっくに働いてるよ、と彼は返事をした。
僕は歩きながら、もし自分だったら、と考える。彼と同じ状況に陥ったとしたら、誰も助けてくれない絶望感から、社会に対する不信感から、はたして僕は罪を犯さなかったと、そう言い切れるだろうか。
僕がそう考えていると、「強くなりたいなあ」と彼がポツリとつぶやく。
半額のシールを貼り付けるという、たとえしょうもない方法に見えたとしても、人を傷つけない優しさを持った、強い人間だよ、と僕は思った。
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僕と彼がその後、本当に半額のシールを貼ることが出来たのか、それともチキって何もせずにみなとみらいを後にしたのか、特に面白くないから書くのは省くことにする。
それよりも彼が、この出来事のあと、ハローワークに登録しようかな、と言い出したことの方が、よっぽど書くに値することだろう。
彼が無事社会復帰を果たせたかどうか、今度のnoteで書ければいいな、と思う。
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「ニートとシェアハウスしています」
僕がそう自己紹介すると、相手はたいてい小馬鹿にしたように笑う。
それでも僕はそんな反応は慣れっこだから、ニートと一緒に住むと結構いいことあるんですよ、いつ帰っても「おかえり」って言ってくれますし、朝起こしてくれますし、と端折って弁明する。
ニートがなせるわざですよね〜、と適当に話を切り上げようとする。
でも今日対峙したおっさんは一味違った。
「それスマートスピーカーでもできるよね」
僕は反応に困った。
「肉声と機械音声は違いますよ!」はイマイチ説得力がない。
「スマートスピーカーは値段が高いじゃないですか!」はニートの負けを認めている。
こんな面白いニートは他にいないってことをどうやって伝えればいんだろう。僕は迷った。
迷った挙句、「彼は半額のシールを集めるのが趣味で.…」と言いかけて、途中で止めた。
この前の出来事を全部話すのがめんどくさかったし、何より、ニートは機械よりも劣っていると考える奴らに、何を言っても無駄な気がした。
彼はそういうクソみたいなレッテルを、何度も何度も貼りつけられてきたんだろう。
僕は少し考えて、「彼は素敵な人間ですよ」と答えた。
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