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自己紹介とnoteの活用

みなさんはじめまして!
訪問していただきありがとうございます!
まずは簡単に僕のことを知ってもらえたらと思います。

1,自己紹介

【PLOFILE】

■名前   渡邉 高之 (ワタナベ タケヒデ)
■職業   株式会社 鶴 / mikoto inc. 創業者 兼 代表取締役 
■誕生年 1986年
■出身地 岐阜県可児市
■居住地 東京都目黒区
■血液型 O型
■趣味  サッカー(⇓サポートクラブ)
   邑楽ユナイテッドFCFC.VOLHARDING

【HISTORY】

<幼少>
1986年に誕生。先天性内反足、斜視、卵と牛乳アレルギーをもって生まれる。当時、親には相当な苦労をかけたのだと思うと感謝しかない。内反足が原因で幼少期は運動ができず引きこもりな生活。

<小学生>
内反足は歩けるまでには改善し、日常生活は比較的不自由なく生活。しかし、走ったりすると直ぐこけてしまうといった状態であった。もちろん、徒競走は安定のビリ。内気な性格を引きずっていた。

小学校4年生の時に、弟(当時2年生)の影響でリハビリを兼ねてサッカーを始める。内反足のハンデをカバーすべくひたすら練習に励む。今振り返ると、この頃に努力は可能性を広げるということを体感したのだと思う。

<中学生>
中学へ上がる際に、セレクションに通過し強豪サッカーチーム岐阜VAMOSへ入団。しかし、オスグッド病(オスグッド・シュラッター病)と内反足からくる腰への負担が大きく、思う結果が残せず。

2001年(第7回大会)に開催されたメニコンカップという全国の中学生をEASTとWESTに分けて行うオールスター戦(いわば、将来の日本サッカーを背負うであろう選手が集う試合)に、所属チームから5~6人選出(EASTとWEST合わせて40人くらいの選出だったと思う)。この試合を観客席で観戦し、プロへのハードルの高さに驚愕し挫折

<高校生>
2001年4月。サッカーでの進学を諦め、地元の岐阜県立可児高等学校へ入学。(当時、県内5位くらいの進学校)

サッカー部へ入り、岐阜県内の選抜チームに選ばれたりするも、高校の部活は年功序列のチーム編成だったため不貞腐れ練習にはほぼ行かず。自分の代になり本腰を入れるも大した結果も残せず引退。中途半端な高校生活を送る。

<大学生>
プロサッカー選手になるという目標を失ってからふわふわした時間を過ごした僕は、大学に進学する際、とりあえず年収1,000万円は稼げる仕事につこうと考え、医者、弁護士、会計士、税理士を候補にあげ、難易度的に税理士を選択。大学受験をし南山大学の経営学部に進学。

ただ、奨学金を借りながら学費を自分で工面する必要があった(親が離婚した)ため、バイトを掛け持ち。手取りで20万円ほど稼ぐも、大学へはほとんど行かない日々。(朝から晩までバイト含め休みなく予定が入っていたので、このころにハードワークが身についたのだと思う。)結果、税理士になる目標も消え失せ就活の時期を迎えた。

就活という社会への入り口を前にし、改めて人生の目標をたてようと決意。自分を徹底的に見つめ直し(いわゆる自己分析)就活を行った。名古屋でのセミナーや面接は東京や大阪と比べると日程が遅く、鼻息荒く就活していた僕は、東京や大阪へ行き活動した。そこで色々な大人や学生に出会い、自分の価値観を擦り合わせ、たどりついた目標が経営者

ただ、当時、自力も無ければアイディアも無い僕は、いきなり経営者になる(起業する)というカードを切ることができず(今思えばただのビビり汗)、先ずは基礎をつくろうと考え、経営能力が身につくであろう会社をピックアップ。かたっぱしから受ける。結果、10社ほどから内定をいただき、会社規模や裁量の観点から経営能力が最短でつくと判断し、豊島株式会社という繊維専門商社に入社を決意。

<社会人>
豊島株式会社という専門商社は、繊維業界では有名な会社で売上は2,000億円ほど。B2Bの為、ほとんど表に名前は出ないが、綿の取り扱いは日本1位であり、有名カジュアル製品も多く生産している。

年次問わず、売上10億円を立てるのが暗黙の個人目標になっている中、5年目にして20億円を達成。(営業の平均売上は6~7億円ほど)

数字という結果も残し、いよいよ起業準備に入ろうと決意した矢先、現)株式会社ファミリーマート社長の澤田貴司さんと出会う。

当時は株式会社リヴァンプの代表取締役社長を務めており、その出会いをきっかけにグループ会社の1つであった株式会社サードオフィス(当時、澤田さんは取締役の1人)の執行役員として転職。(当時の売上規模は50億円ほど)現在は親会社がリヴァンプから変わっている。

転職後、澤田さんは早々にファミリーマート社長に就任し、事業での関わりが少なくなったため、僕の転職理由も薄れ、2年間務めた後の2017年5月に退社。同年11月に株式会社 鶴を設立。同時に代表取締役に就任。アパレルOEM・ODM事業を開始。翌2018年11月にジュエリーSPA事業である、ジュエリーブランド 鶴(ミコト)をローンチ。代官山に1店舗目をOPEN。現在に至る。


と、改めて自分の人生を振り返ってみたのですが、テキストにするとなんともあっけない感じ 笑。
大学生時代に経営者という目標を立て、達成したわけですが、今思うとようやくスタートラインに立っただけだなーと実感しています。

2,noteの活用目的

今まで自分の思考や経験をテキストにしたことも、しようと思ったことも無かったのですが、

■思考することが複雑化してきたことによる頭の整理
■経験の振り返りとそれに伴う次への行動の具体化

上記2つを目的にテキストに落とし込むことによって、より精度をあげていきたいと考えnoteを活用することにしました。

よって、noteはあくまでも個人的なツールとしての活用が主ですが、結果として、僕の思考と経験が、ささやかながら誰かのこらかれに活かされれば嬉しいと思いながら綴っていきます。

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