一生、子ども
今は
毎日のように、当たり前のように、子どもと接することができる。
朝起きて、ご飯を作って、「起きて!」と言って、一緒にご飯を食べる。
お着替えを手伝って、上着を着せて、靴を履くのを見て、玄関を開ける。
自転車に乗せて、保育園に行き、行きたくないとわがままな子をなだめる。
お迎えに行って、夜ご飯を作って、一緒に食べて、お風呂に入れる。
歯磨きをして、暖かい服を着せて、加湿器や鍵を確認し、一緒に横になる。
当たり前のように「今の」子どもと接している。
でもふとした時に、子どもの成長を感じ、少し寂しくなる時がある。
抱っこ抱っこと言わなくなってきた我が子。
お箸を使って自分でご飯が食べられるようになってきた我が子。
「ギュウしよう」って言わなくなってきた我が子。
これからだんだん一緒に寝ることもなくなり、お風呂だって自分で入るようになる。話す時間だって減る。
だって、僕自身、親との関係がそうだから。自分がそうなのだから、この寂しさから逃れられないことができないのだと覚悟している...。
・・・僕の親が教えてくれたことがある。それは
子どもはいつまで経っても子ども
お風呂に一緒に入らなくなっても、一緒に自転車に乗らなくなっても、ギュウをしなくなっても、甘えん坊をしなくなっても
子どもはいつまで経っても子ども
子育てに普遍なんか存在しないのかなと感傷的になっていた時に思い出した言葉。
僕は一生、子育てができるのだ。
父 竹鼻良文
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