sharo
うちのねこです
本記事は経験からの私見であり、検証はしていない。そのため、論理的整合性や、適用不可能な状況はあるか、等を考えながら読むことを勧める。 本記事における「主体と客体」、「自己と相手(交流対象)」は、該当者を適宜当てはめて貰いたい。 概要交流の定義 人間関係でより幸福となるための行動 交流とは交流とは、主体が「特定の対象と意思疎通をしており、相手も自己に対し同様の意識を持っている」と認識すること。 他者意識は現状確認できないため、主体にとり、客体が交流している意識を持って
感動の小さな主体の感情表現に誇張や模倣が多いことへは虚無感を覚えるが、感動が小さければその事実へ虚無感を覚えることがあってもそれすら希薄であるため、猶更の虚無感を禁じ得ない
論理に対する誠実さは、同系の概念について思考する際、常に知りうる限り最も抽象度や普遍性の大きな情報を活用しようとする姿勢により測ることができる
原因や責任の所在を極限まで追究・細分化すると、関係要素はあまりに膨大であり、且つ、全てを特定することは不可能に限りなく近いと言える
(再)生物の記憶容量や処理能力が激増、或いはそれらの著しく発達しかつ主体性を持った存在が出現した場合、どのような行動を取るか
処理能力が大きくなればより多くの個体の特徴を知ることができ、干渉もより多数に対し可能となる。その結果、より幸福を願える対象を発見し、幸福にする機会が増えると共に、気の合う相手との交流により、自身も更に幸福で充実した時を過ごせる可能性が高まると考えられる
幸福は攻撃性を減少させるか
生物の記憶容量や処理能力が激増、或いはそれらの著しく発達しかつ主体性を持った存在が出現した場合、どのような行動を取るか
細かく見るべき事物は状況により異なる
生きるために重要でないことが生きる実感を得るために重要であったりするのは面白い
本質とはなにか
結果(行動や、行動の影響)は同じになる場合はあるかもしれないが、可能な限り熟考したいと思う
区切ることで得られる観点、区切らないことで得られる観点、どちらも持つとより優れた考察が可能となりうる