嫌いになりたくない

英訳付 本文2250字


日常的に誰かを不当に攻撃する人々は、自分を尊敬しているのだろうか。

ここで言う不当な攻撃とは、興味本位、八つ当たり、逆恨み、承認欲求、優越欲求、自暴自棄、といった身勝手な理由による悪意、害意を伴う行動のことである。

対人経験が極端に少なく倫理観が未熟、極稀に(数年に一度くらい)ものすごく不機嫌なときに衝動的に攻撃してしまう、過剰なストレスが常にかかっている、と言った条件下であれば分からないではない。
が、そういった場合を除けば日常的に行うのは異常だと思う。

そこで、上のような極端な条件下以外で日常的に不当な攻撃行動をとる人々は、不当な攻撃行動をどう考えているのか気になったため、思いついた例を挙げる。

  1. 不当に攻撃することを尊敬に値すると考えており、不当に攻撃する者は全て尊敬できる

  2. 不当に攻撃することを尊敬に値すると考えているが、不当に攻撃したとしても尊敬できない場合がある

  3. 不当に攻撃することは尊敬に値しないと考えており、不当に攻撃した者は全て尊敬できない

  4. 不当に攻撃することは尊敬に値しないと考えているが、不当に攻撃したとしても尊敬できる場合がある

  5. 妥当性の判断基準が倫理観に依拠しない

※1~4については、攻撃を正当と見なしている可能性も考えられるが、その場合は全ての攻撃行動を正当と見なしているものとし、場合分けは不当と見なしている場合と同様に行う。

考察

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賢いめんばー

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