『ファーザー』
*ネタバレ含みますので、鑑賞予定している方は読まないことをおすすめします!!またバナーはnoteのフォトギャラリーからお借りしましたので映画とは関係ありません。有難うございます!
自分が何を言っているかわからなくなっていると気づいた時、
数名で会話をしていて、自分がそのコミュニティの中の共通言語に乏しい時、
外国に言って全く言葉が通じない時、
どんな気持ちになるだろうか。
少なくとも『嬉しい」「幸せ」な気持ちにはならないはずだ。
そしてその感情を言語化するのが多少なりとも憚れるのではないだろうか。
(もっとも、「何も感じないよ」ってひともいるとおもうのでそれはそれで教えてくれなくていいです...いるの...知ってます...)
映画『ファーザー』は、自分のそんな感情を引き出させる作品だった。
このビジュアルだけ見ると、一見、父と娘のほっこり感動作って思うじゃないですか、違うんだ!
フッターの「親子の"揺れる"絆を描く」、あえて「揺れる」を入れた気持ちがわかります...
前情報を全く入れていかないと、最初しばらくは???マークが頭に浮かぶ。そしてそののちに自分が、次第に作中の認知症の世界に当人として入り込んでいっていることに気づく。そこになんともいえない不気味さを感じる。
不気味さを感じたのは映画を観ているうちに「なんかよくわからない・スッキリしない」というアンソニーの気持ちにかなりシンクロしたから。
客観的に認知症を描いた作品には出会ってきたが、認知症を患う本人の中に入ってしまう感覚になったのは初めてで、まさに『ぼくは麻理のなか』の、麻理の中にはいってしまった小森功の気持ち。
そして思ったのが「こりゃわけがわからなくなるわ」ってこと。
一生懸命理解しようとしてるんだけど、記憶がこんがらがっちゃってる。この顔はこのひと、みたいな認識能力も混線していて、それを口にするんだけど、もちろん、相手からは理解されない。それで「ぼけちゃってる」と表現されてしまう。
それが映像で、100分で、ロケーションは3箇所くらいで(ほとんどがアンソニーと娘夫婦の家で展開される)登場人物も6名で構成されてるんだからすごすぎた。この作品はもともと舞台の映画化なので、それを知ると確かにという気になる。
作中、合間に娘(アン)からの視点も入る(アンはアンで辛いし、悲しいエピソードもいくつか抱えている)ので、認知症をとりまく問題や難しさも感じるものの、
とにかく「怖い」。
(ちなみにアン役のオリヴィア・コールマンは、『女王陛下のお気に入り』のアン女王でした。こっちも好き)
そしてアンソニーの演技がすごすぎる。
監督も、名優に演じてもらうことが決まってから、主人公の名前と年齢、誕生日などをアンソニー・ホプキンスにあわせたというから、リアリティがありあまる。
特に終盤クライマックスのアンソニーの表情はしばらく頭から離れなさそうです。
とにかくすごい作品!みんな観て!と叫びたかったけど、緊急事態宣言と重なってしまったのが悲しい...
映画館は意外と換気がしっかりしていることと、今開いている映画館は席数限定、飲食や会話禁止、検温・消毒など、あらゆる感染対策をして上映してくださっているので、映画館を応援する意味でもぜひお近くの映画館を検討してみてください。
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