人は死んだらどうなるの?
子供の時に、みんな親に尋ねて困った顔をされただろう?
ボクは医者であった父親に尋ねたり、これから医者になる友人に尋ねたりした。
人が死んでゆく臨終の場に立ち会うことが多いと考えたからだ。
そしたらこれから医者になる友人が、大学病院ですべてのバイタルサインが死を告げてから数秒たってから「ご臨終です」と告げるタイミングを習うのだと教えてくれた。
そこからもう「死ぬ」儀式が始まっていることに20歳のボクは、衝撃を受けた。
日本人は無宗教だと考えられているけれど、案外そんなことはなくて、太平洋戦争の前にアメリカにちゃんと分析されている。
行事化されていたり生活に強制力がないため感じていないだけで、ないと気持ち悪いほどには染み付いている。
神社でもお寺でもいいけど年末年始には詣でる。
お守りを持つ。
形見を大切にする。
お盆はなぜか帰省することになっている。
七五三とは?
いただきますというのはなぜ?
どうして親や先祖を敬うの?
結婚式は神前なのに葬式はお寺さん。
(もちろん仏教で結婚式もあげられるし、神宮寺というのは神道では穢とされている死を扱うために生まれたものだ。)
やらないと気持ち悪い習慣はいっぱいある。
だから思ったより神様や仏様を信仰しているんだ。信仰するから罰が当たったると考えたり、祟があると畏れたり、逆にご利益があるとも考えるし、普段からちゃんとしようと行動を律したりするんだよね。
これは江戸時代に神仏合習が行なわれたことが大きく影響しているみたいなんだけど、遡れば飛鳥時代からずっと日本の八百万の神々と仏教の仏たちはどう折り合いをつけるかという話し合いのなかで生まれてきた…
そうだね、本地垂迹説。
八百万の神々は、実は様々な仏に形を変えて日本の地に現れたのだという考え方で、そのことを「権現」という。
靖国神社は、そんな1000年にも渡る話し合いをしてきたところに、突然「ここが頂点」と設定された新しい神社なんだけど「社」とは「ずっとここにある」という意味があるそうだから設定としては間違ってない。
戊辰戦争で死んだ人たちの霊を鎮めるために靖国招魂社というものが作られたことが基礎になっているから、英霊を奉る人は無宗教だなんて口が裂けても言ってはダメだし、日本神道もしくは国家神道の徒であると堂々と言い、地元の護国神社が失くならないようにちゃんと寄進をすることが英霊を忘れないために信徒としてすべきことで、ただただあの人達は素晴らしかったと誇るだけでは、ボクには信仰心が足りてないと感じる。
護国神社も明治時代に東京を除く各地に設立された招魂社が昭和14年に護国神社として、戦争で亡くなった公務殉教者を祀っている。靖国で会おうと死んでいった人たちは護国神社にも同時に存在して、その考え方は分祀ではなく、超自然的に一緒に存在するらしい。
官僚の頭ですら短期間ではうまく折り合いがつけられなかったんだと思うけど、戦争の間はうまく機能した。
西南戦争で亡くなった西郷さんは靖国神社には祀られていないから、鹿児島の人は郷土の英雄を南州神社というところに祀った。社格は無格社としてなんとなく認められたようだ。
そのへんは柔軟で、ボクが神道を好きなところだ。
先祖が帰ってくるお盆は、もともと神はお山におわすという日本の神道の考え方なんだということを知ったのは、たまたま本屋で手にとった「仏教と神道の違いってなに?」という本だった。
背表紙の問いに自分で答えられないことに思い知り、そこからゆっくりと自分なりに馴染むようになるまでずいぶんかかったけど、東京にいてもお山が見られると嬉しいなと感じるから、きっとお山に神様の姿を見られるようになったんだろう。
ご神体がお山という神社は三輪神社が有名だけど、関東にも筑波山もそうだし秩父神社のご神体は武甲山。関東平野や皆さんが住むところはたいてい神様に護られている。
でも江戸の時代に20万社ほどあったお社を、明治政府は13万社まで随分減らしてくれたもんだ。神社の中にはその地の民の願いによって建てられた民社というものも細かくたくさんあったし、いまも小さな祠で残っている稲荷神社のようなものもたくさんある。
もちろん抗議運動もあったけど「祟りがあるぞ」と言うくらいしか出来なかった。祟りは起きなかった。
数十年後に起きたことが実は祟りだったという考え方もできるけど…
ボクは神道や仏教が嫌いでこんな意地悪めいたことを言っているんじゃないんだ。
嫌いならこんなに調べて書いたりするものか。
伊勢神宮のご正殿のような唯一神明造はボクもとても好きで、千木が真っすぐ伸びている様は、神様はとんがったところにおいでになりますよという、正月の松飾りと共通しているようで、すとんと落ちる。
江戸時代から始まった本殿と拝殿一体化した権現造も悪くはないんだけれど、なんだかお寺さんなのか神社なのかよくわからないし、継ぎ手もごちゃごちゃしていて、作るのが大変そうだ。もちろんそこは宮大工さんの腕の見せ所なんだから、りっぱな仕事だ。見事なものだ。
日本の歴史的には神様と仏様がなんとなくごっちゃになっている歴史のほうが長くて、いまみたいに分かれている期間のほうが伝統的には短い期間に入るから権現造が間違っているはずもない。
いろいろ考えて考えてたった30年くらいで1400年の歴史に敵うはずもないのだけれど、みんなもう知ってるよね。
宗教は人が人のために作り出したのだから、信仰は生きている人のためにあることを。
死んだらどうなるの?という問いに宗教は設定で答えた。
ボクらが物語を作るように。
本当か嘘かは死んでみないと分からない。だから高僧はそれが知りたくて、でも怖くて、その気持ちを抑えながら生きたまま仏になって知ろうとしたんだと思う。
他の宗教の殉教者たちもまた同じ気持だったに違いない。
でも、だから…ここからはどの宗教も特定しないことを叫ぶからね!
あなたは他の宗教を信仰する者を傷つけ…
あまつさえ殺して勝手に死んだ。
それが何になる!
あなたはあなたの信じる宗教のために生き、そして死に、自分で答えを見つけなければならなかったのだ。
もちろんその時のあなたは、その設定が最も適切であるように生きて死んだのかもしれない。
だけどあなたの子たちが、その設定を背負ったままどこかの誰かから恨まれているとしたら、その設定は間違いだったんじゃないか?とボクは考える。
難しい設定に「死ぬ」という簡単な答えを置こうとしたからだ。
だからあなたの子たちは、あなたが死んだ理由を宗教的に正当であると考えなくてはならない。
もう一度誤解のないように書いておくけど、特定の宗教の徒について言っているのではないよ。
宗教を背負って戦って死んだということは、いま生きているボクたちに「正解のない設定を考えなさい」という呪いをかけて死んでいったのだ!と言っているんだ。
正しいか正しくないかなんて、そんなことを考えさせないでくれ!
だからボクたちはいまも恐ろしく難しい呪いを解けないまま正解を出せなくて「あいつが悪い」「あっちが悪い」と押し付けあってしまっているじゃないか。
宗教と信仰をそんな悲しいものにしないでくれ!
ボクをただボクの好きな人が死んでいった時に、あちらで上手くやっているだろうか?そのうちボクもそっちに行くから待っていておくれと考えたり、ボクが先に死んだ時にあなたがボクを思い出せるよう宗教という設定を誰もが上手く使えるようにしておいて欲しいと願っているだけなのだ。
誰かから恨まれたままでは、あの世で居心地が悪いじゃないか。
死んだら静かに神か仏にさせておくれよ。
あなたはそう言うだろう。
ボクだってそう思う。
そうでなければあなたやあなたの子であるボクの魂は救われないじゃないか。
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