夢のあきらめ方
高校生の時にボクが住んでいた家は丘の上にあって、東側の窓からは遠く足立山から連なる山並みが一望できた。
冬は日没とともにオリオン座の三連星が上がってきて、やがて春の星座、そして夏の星座が上がりかけてくる頃には夜が明ける。そんな明け方を迎えるのがボクは好きだった。
ゴオオオオと眼下を走る高速道路から響いてくる音は、空と大地はどこへも繋がっているよという漠然とした期待感だけをボクに伝えている気がしていた。
高校を卒業したボクは、買ったばかりの中古のバイクといっしょにフェリーに乗って上京した。
夜明けに東京湾に入ったフェリーからは富士山がくっきりと見えて、小学生の家族旅行の時には見ることが出来なかった富士山を見てやったぞ!と興奮した。
やがて近づくにつれスモッグで隠されてしまったのを、都会の空気が汚いからだとガッカリしたけれど、そのかわりに見えてきた東京タワーにまた興奮をしたのだから、勝手なものだ。
とはいえ、いまでも少しだけ特別な記憶にしているのも確かだ。
そのフェリーで、XJ400に乗っている人と仲良くなった。
彼のバイクは4気筒DOHCで、ボクは2気筒OHCのHAWK Ⅲ。
なんだか格が違うような気がしたけど、池袋でSFファンジンの集まりがあるからその時に会おうと約束して別れた。
フェリーターミナルに迎えに来てくれた兄は「ようこそ東京へ」と言ったが僕らの住むところは川崎だった。
TVのチャンネルも一緒だというからあまり変わりはないのだろうし、ボクの通う学校も渋谷だから田園都市線で一本だ。みんな川崎に出るより渋谷に行くんだよという。
西鉄の路面電車みたいなものは東京には走ってないだろうとは理解していたけれど、まさか混雑で床から足が浮くとは思ってなかった。
XJ400の彼としばらくしてSFファンジンで再会したが、じきに姿を見なくなった。
同じ大学に通っている人が彼はバイクで事故を起こして帰郷したと教えてくれた。
弁済のために大学を辞めて働く。
そんな夢の諦め方もあるのだと、上京したてのボクは思い知った。
あれから30年が経ち、ボクは夕陽が綺麗に見える部屋に住み高速道路の音を聞きながら、思い描いたとおりではないけれど、なんとか作家らしき生活を続けている。
彼は元気にしているだろうかと、ふと勝手に気の毒な筋書きの物語を作ってしまっていたボクは恥ずかしくなった。
夢をあきらめたとは限らないじゃないか。
弁済を終えそこで得たなにかを糧にまた夢を思い描き生きていることだってあり得るのだから。
強さとはなんだろう。
あきらめられる強さとあきらめないことの強さは、違うのだろうか。
たまたま夢の中でぬくぬくと生きていられる幸運なだけのボクにそんなことが分かるものか。
星は廻る。
道は繋がっている。
分からないから夢をみる。
夢のあきらめ方を知らないボクにできることなんて、ただそれだけなのだ。
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