マスケラを狩る者〈第五章〉青い男

来ていないと分かってる者が来たかどうかを確認するのは、躊躇われた。だか確認をするのも刑事にとって必要な仕事だ。
「岡勢に面会?来とらんですよ」
受付の警務係は、やはりそう応えた。

「なんか、きさん。被害者に心当たりでもあるんか?」
「……はい」
「頭もないのに、なして分かるっちゃ?親族は小倉にはおらんっち言いよらんかったか?」
「傷痕です……太ももの。留置所にいる王道會の岡勢の女です」
「なんちゃ!?」
「昨日……会いました。京町の逮捕現場で」

五年前のことは伊堂寺さんには話さなかった。どうせ信じてはもらえない。
燈乃は相も変わらず一点を見つめ黙ったままだった。

「おい!岡勢を連れて来い。ああ?ダメっちゃどういうことか!わかった!四係には参考人っちゅうことでワシが話す!」
担当が異なるので四係に話を通さないと岡勢を聴取には出せないと、留置の係長が首を縦に振らなかったらしい。
伊堂寺さんが席を離れた。 



「こんこんけるからねむれやしない」
「シッ!黙りなさいカロン」
ついに喋り始めた。とはいえ伊堂寺さんがいる間は黙っていたところをみると、この獣も堪えるということは知っているらしい。
「すまないな。俺の上司が君のことを疑ってるみたいだ。ココに連れてきたのが失敗だったかもしれん」
「いいんです。食事をいただけたのは助かりました」
「おれたちだってはらはへる」
「そうか……人間とおなじだな」
「ああおなじだ」

周りの者はみんな昼休みで、席を離れているから小声で話す分には問題なさそうだ。
橙乃のことを調べられて困るようなことはなさそうだが、いつまでもココに橙乃とカロンを留め置かれるのも困る。
現にこうしてまた一人、青い男に……いやマスケラに殺されてしまったのだ。

よりにもよって国分春子を……

「高梨公平、あの”いどうじ”という人には何も話さなくていいのですね?」
橙乃の疑問に、俺は詰まった。
伊堂寺さんは信じてくれるだろうか?
信じてはもらいたい。しかしあの時あの場所にいなかった者に、今この目の前で起きていることを繋げて考えてくれという方が無理だろう。

とはいえこの連続殺人事件は、もう公務というものを離れつつあるのも間違いない。容疑者が、いや犯人が人ではないのだ。

だとしたらこの事件は、警察の関わるべき仕事ではない。俺一人が知り、俺一人が捜査し、そして犯人を見つけるべきなのだ。あの時あの場所にいた橙乃とカロンと二人と一匹で。

国分春子を殺した青く光る男を……!

あの時助かって欲しいと願った人を殺されたのだ……!

悔しくて当たりまえだ。
亡骸の写真を見つめていると涙が溢れてきた。

「ないてる」
「高梨公平は、この女を知っているのですか?」

「なんだって?……君たちこそ覚えていないのか?五年前のあの日あの時、君たちはこの女……国分春子の腹からでてきたじゃないか!」
「おれはさんどうしかしらない」
「さ、さんどう?」
「そうでしたか……カロンには産道を使って、この世に狩人を顕現させる力があります。だから私はこの国分春子の宿した命を使って、この世に生まれたということになります」
「なんだって……!?」

「産まれたての赤子ではマスケラとは戦えません。ですから国分春子が宿した子の十数年分の生命力を先に借りて、この姿を生み出したのです」
「それもおれがやった」
「と……ということは、キミは言ってみれば国分春子の娘と……」
「命と姿形だけを言うなら、そうです」
「じゃあ国分春子が、妊娠していたことすら覚えていなかったのは……」
「顕現したときに、カロンがその春子という人の記憶を、わたしの生命に換えたのです」
「そうしなければおかしくなる」
「そうか……腹にいた赤ん坊が、いきなり大人として現れるなんてありえないことだし、実感はできない……か」

この世のものではない二人の説明に納得し、燈乃を見つめる。

そうか……この子は国分春子の娘の十六年後の姿なのか……あの時お腹にいた子供だけは生き延びることが出来たのだ……そう思うと、落ち込んできた気分が幾分マシになった。

伊堂寺さんに連れてこられた岡勢は、泣き崩れた。
国分春子だった亡骸の、太ももの傷痕の写真を見せられ「は………春子ぉ」と嗚咽を漏らした。
「間違いないようやの」
伊堂時さんが、ため息をついた。
「多分お前さんは、今日の夕方にでも出られるやろ。書類送検や。公妨もつかん器物破損程度やけ、札も出ん」
「春子には、会えんのですか?」
「鑑識と米国の管理官が調べよるけ、俺達でもご遺体には触れんのよ。」
「春子は……あんたは春子と話をしたっちゃろ?なんか言いよらんかったね?俺のことなんか言いよらんかったね!?」

「……お前さんは……好かれてた。喧嘩っ早いが、自分には優しいと……」

昨日の喫茶店での会話を、国分春子の愛嬌のある額を思い出しながら岡勢に伝えると、また涙が溢れそうになった。


「スマン……春子さんに、危ない奴がうろついているから気をつけるように……言っておくべきだった……」
「高梨さん、あんたぁ優しいのぉ。自分の女んために泣いてくれる刑事さんがおるっちゃ思わんかった……」
岡勢は、ヤンチャそうに鼻をすすると、分厚い掌で俺の手を握りしめて俺の目を睨んだ。
ギラギラとした目だ。
誰かを憎んでいる危ない目だ。
「危ない奴っちゃあ、どけな奴ね?全羅聯合の奴ね?」
「言えん……」
「なしてですか!?」
「言えばお前は、探し出して復讐しようとする」
「そげなことせんです!」

嘘だ。
岡勢は嘘をついた。
なんとかして俺から国分春子を殺したヤツの特徴でも、聞き出したいのだろう。

俺も嘘をついた。
伊堂時さんにもまだ本当のことを話していない青い男のことを岡勢に伝えてどうなる。

「岡勢、釈放だ。送検が済んだ」

四係の金田が岡勢を呼びに来た。
「しばらくは大人しくしよけよ。警察がきさんに用はなくても、全羅聯合ん連中が用があるかもしれんけの」
「はい……それよりオレは高梨さんともっと話がしたいっちゃけど……」
「ええけ、早よ帰れ。高梨さんも暇やない」
岡勢は金田に押し出されるように署を出ていかされた。

結局退勤時間まで燈乃は、伊堂寺さんの質問に何一つ答えなかった。
伊堂寺さんは留置をしようとしたが、さすがに問題があるとして課長も許可を出さず、俺が預かることにした。
原町の官舎なら出入りにもいちおう人の目があるということで、伊堂寺さんもなんとか納得してくれた。もっとも身の軽い燈乃ならいくらでも出入りができるだろう。

「余計な時間をとらせてしまってすまなかったな。晩飯でも食って買えるか?」
「かわがいい」
「皮?鶏皮か」
「違います。カロンは川で泳ぎたいと言っています」
「そうか、じゃあ紫川だな」

日が暮れて暗くなった中の橋の袂からスルスルと水面に降りると、カロンは音もなく泳ぎ始めた。時々潜るといつの間にか鯔かなにかを捕まえ、泳ぎながら頭から貪り食っている。なるほどこれなら金がかからなくていい。

俺と燈乃が中の橋を渡り終え、少し待っているとカロンは護岸を器用に上ってきた。冷たい水でビショビショのまま燈乃のセーラー服の中に入ろうとしたので、魚のにおいの染み付いた俺のコートでくるんでやった。
旦過マーケットに差し掛かると、俺は白から連絡がなかったことを思い出した。


マーケットの門を潜り、白を探す。

「白は、今日マーケットに顔を出したかい?」
最近流行の白濁したスープを出すラーメン屋のオヤジに聞くと、
「白さん?いや今日は珍しく来とらんですよ。ショバ代要らんのやったら、それでもいいっちゃけど。はははは。ところでお二人さん、なんか食べてくね?」
「ああ、じゃあオレはラーメンと白にぎり。橙乃は?」
「同じでいいです」
「あいよーラーメン二丁、おあと白にぎりね。ゆで卵は、いるんやったら自分で取って。一個五円」

そこに上から声が飛んできた。
「オレにもラーメン、大盛りっちゃ」
王道會の岡勢だった。
「つけてきたのか?昼間も話しただろう?事件のことでこれ以上教えられることはないんだ」
「高梨さん、いま白 眞一(ぺく じんいる)を探しよらんかったですか?」
「事件とは関係ないよ」
「そうですやろか?春子は、白 眞一の女、金 愛淑(きむ えすく)に、預かられとったんです。そやけ金 愛淑に会えば、なんか分かるんやないですか?」
「高梨公平、立ちん坊たちも青い男を見たと言ってるんでしたら、わたしもどこで見かけたか知りたいです。」
ラーメンを受け取りながら橙乃の口が動いた。
「わいやなー!お嬢ちゃん喋りきるんや?」
「お、おい橙乃……!」
「伊堂寺さんには喋りませんでした。でもこの人なら少しは熱心に青い男を探してくれる手伝いをしてくれそうです」

橙乃の提案にさすがに俺は驚きを隠せなかった。

「まさか王道會に探させようってのか!?それは……さすがにマズいだろ。青い男は危険だ……!」
「おお〜危険な男やったら、王道會にも、ものっちゃんおるけ安心せぇ」
「バカ言うな、相手は神出鬼没の連続殺人鬼なんだぞ」
「そういうヤツは、なんちゃ言うても俺らの裏の情報網には、きっと引っかかる。蛇の道は……」
「蛇か」
そういうと岡勢はまた俺の手を握って、力を入れた。
「そう!それっちゃ!オレらはその青い男を見つけて高梨さんに報せる。半殺しにはするかもしれんけど、必ず警察に生きたまま渡すけ」と懇願した。
「ラーメンが伸びる。手を放せ、岡勢」

やぶ蛇だ。
橙乃の一言で、余計な男を巻き込むことになってしまった。
俺はいつものように急いで麵を啜り終ると、冷めたおにぎりをスープに入れて雑炊にした。
橙乃も澄ました顔で俺の真似をした。

「岡勢、このことで王道會と警察の取引はしない。いいな?俺とお前だけの約束にできるか?」
「ホントか高梨さん」
「お前にできるたった一つの罪滅ぼしだ。ただし青い男には、絶対に手を出すな。目撃証言と出没場所を教えてくれればいい」

「ほう、警察と王道會が裏で結託とはのう。公平、きさんもやるのう。その話、ワシにも聞かせてくれんか?
俺たちが座ってるテーブルに客が一人増えた。伊堂寺さんだった。

「いや……伊堂寺さん、これは……ちょっとワケがありまして……」
「お前はいっつも大事なことを話さん。ブスーっとして可愛げっちゅうもんがない」
そう言うと伊堂寺さんはゆで卵を四つ取って、一つずつ分けた。
「そのくせウソまで下手ときとる。ええか?ワシだけを仲間外れにするようやったら、お前が王道會と昵懇やと課長と管理官に報告するけの」
「高梨さんは刑事に向いとらんのぉ」
岡勢が、ゆで卵を剥きながらはやし立てる。
「外地育ちなもので……」
「そういうことやない。内地やろうが外地やろうが、関係なかろう。もうちょっと他人を信頼せぇっちゅうとるんじゃ。そうやっていっつもぶすくれとうけん署内でも浮いとるんやろが」
「へぇ〜高梨さん浮いとるんですか?良さそうな人に見えますがねぇ」
「根はいい奴なんやけど、なんか人と交わろうとせんのよ」
伊堂寺さんはそう言うと、ゆで卵を飲み下すために岡勢の残したラーメンのスープに手を伸ばした。
王道會と昵懇なのはどっちだと言いたかったが、そんな軽口を叩く気にもなれず口をつぐんだ。

「高梨公平、そろそろ観念したほうがよさそうですね」
伊堂寺さんがドンっと胸を叩いた。きっと燈乃が急に口を開いたので驚いてゆで卵が詰まったのだろう。

「青い男……いえマスケラが動き回るのに都合のいい時間が始まります」
そういうと燈乃は松葉杖を抱えて、マーケットの門に向かって歩き始めた。
「ありゃ?足は良いんか?」
「すみません、橙乃はオレと違ってウソが上手いんです」

オレは急いで会計を済ますと橙乃の後を追った。
岡勢と伊堂寺さんもついてきたが、もう追い払うのはムリだろうと諦めた。


行き先は決まっている。
白 眞一の家だ。

〈第五章おわり〉

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