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大切な人を殺されたあなたへ



あなたの大切な人が殺されたことを知りました。


あなた個人の恨みとして殺人者を赦すことが出来ないという気持ちは、正当です。ボクも出来る限り寄り添いたいと思います。

でも復讐の連鎖は誰かが止めなければならないということを、訴えることもお許し頂きたいのです。

その仕組みは江戸時代にもあったし、明治大正昭和平成と法治国家の住人として生きてきたボクたちは、法律に従わなければならないのです。

従わない者は、法律を知りながら守らない者として扱われます。

大事な人を殺されてみれば分かる!
殺されてもいない者に何が分かる!
その通りです。

でもボクは、あなたの大切な人が殺されてしまったことを悲しみ悼むのと同時に、ボクの大切な人を守るために、ボクの大切な人が殺し、殺し合うような社会にならないようにしなければいけないのです。

心の叫びは叫んでもいい。

辛かったら叫べばいい、恨みがあるなら恨めばいい。
あなたはいつでも、いつまでもその声を上げることができます。

でも復讐だけはやらないでほしいと願っています。

大切な人が殺されたあなたに、社会全体がもっと寄り添ってあげてケアができる仕組みがあればいいなと思っています。

だから復讐だけはやらないでほしいと願っています。

血で血を贖いつづけている限り、ボクや社会全体が誰かに寄り添ってケアをしてあげられる仕組みは作ることが出来ません

そんな仕組みすらバカバカしいと思われても無理はありません。

でも一生は案外と長い。

楽しいことがあったとき、
嬉しいことがあったとき、
復讐をしなかったからこそこの楽しさや美しさに触れることが出来たのだと気づくことだってあるかもしれません。

また生き残った自分にそんな喜びがあっていいのだろうか?
と戸惑うこともあるだろうし、ここにあの人が居ないのにどうして私は笑ってるんだろうと自分で自分の心を責める時もあるかもしれません。

あなたの心の苦しみは、あなただけのものです。
癒やしてあげることは、とても難しい。

あなたと同じよう悲しくて苦しくてどうしようもない、誰かを憎くてたまらない憎くてたまらない人は、とても残念ですが他にもいます。

でもあなたは、他の人も同じ目に遭って苦しめばいいとも思っていないでしょう?

民衆のデモンストレーションは、夢や絵空事のように見えることでしょう。

でもそういう理念や伝統なんていうものは、あなたの好きな人が突然居なくなってしまったのと同じように、「守るのだ」と明確な意志を持って続けていかないと、ボクらの社会からはあっという間になくなってしまうものなんです。

復讐を正当なものとして扱うと、泥沼になってしまい、結局力の強い者だけが生き残るシステムが構築されてゆき、いずれどんなにひどい目に逢おうと復讐ができなくなる、テロリストの恐怖による支配が実現されてしまうのです。

そしてその時にはテロリストは、もはやテロリストではなく、政治システムの頂点に立つ者になっているのです。

民衆のデモンストレーションには、いまのあなたを救う力はありません。

未来の誰かが傷つかないようやっているのです。
だから絵空事のように見えて当然なのです。

半信半疑でも、少しでもましな未来を望みながら声を上げるのです。



あなたにとって辛いことを思い出させてしまってごめんなさい。


明日が良い日でありますように。


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追記:ずっと考え続けていたことですが、最初はFacebookに留めておくだけにしておくつもりでした。でもこのtweetをRTした以上、自分の考えも公にすることにしました。

https://twitter.com/nozomi1950/status/665808072615456768

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