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書きなさい

11月末の角川三賞の二次会で森村誠一先生がおっしゃったことがある。

もともとホテルニューオータニで働かれていた森村先生が、帝国ホテルで「ホテルは軍隊と同じだ」と話し始められた。

少なくとも現場で給仕していたホテルマンにも向けられた言葉であったし、もちろん森村先生が「軍隊」という言葉を使われたら『悪魔の飽食』に否が応でも掛かってしまうことも全員が承知している。

この二次会は、森村先生の「カレーを食べる会」の発展したものだと聞き、ボクとみなみ先生はそれならばと臆することなくカレーにありついた。

京極夏彦、夢枕獏、貴志祐介、黒川博行という諸先輩方の面白為になるスピーチが続く中で、賞など獲ったこともないボクらにお呼びなど掛かるはずがないことは分かりきっていたから、ひたすら食べることに専念していたのだ。

そのせいで「なんや!カレーもうなくなってしもうたんか!」とカレーを食べ損ない絶叫した黒川博行先生には大変申しわけないことをした。



概ねマンガ畑で育ったボクが、みなみ先生と角川ホラー文庫から『怪ほどき屋』を出せたことで、そういう場所に潜り込めたことを年明けに父親に電話をした。

普段小説を読まないしボクらの著作を送っても「よく分からん」とこぼす元勤務医の父親が、森村誠一という名を告げただけでずいぶんと話を聞いてくれた。普段は子供の話など聞くよりは「世間というものは…」という話に転換しがちな昭和6年生まれの、森村先生より少しだけ年上の父親が耳を傾けてくれた。

それだけでも森村先生のなされたことが、いかに凄かったかということだ。


森村先生はこのようにおっしゃった。
「小説は書けてもお座敷のかからないこともあれば、お座敷はかかるのに小説は書けないこともある。ただ長い作家生活を続けていく上で書けない時期は数年に過ぎないから、書き続けなさい」

作家生活50年。

そしてこれから作家になろうとする人たちは、自分たちより更に大変であるとも申された。


そして作家はデビューしたら新人もベテランもないからと清張先生にご挨拶をしなかった、しておくべきだったと後悔を述べたら、京極夏彦という人は「わたしは赤川次郎先生にお目通りが叶ったらヒットすると聞いていたので、音羽の喫茶店で赤川先生に額を擦りつけんばかりに新人の京極ですよろしくお願いしますと申し上げたのです」と早速笑いをとりに走った。


作家は新人もベテランもないとおっしゃった森村先生は、当然笑ってながすしかない。
京極夏彦という人はきっとそこまで分かっていて言ったのだ。

奈旬一郎というキャラクターは、数人から京極堂に似ている、いや榎津だろうと言われたことがあるけれども、確かに当たっていなくもない。
ボクとしてはもう少し無邪気なところも加えたいので、『機動警察パトレイバー』の内海課長も念頭にある。


ボクのマンガの師匠であるゆうきまさみは、京極夏彦の高校の先輩にあたることは周知の通りで、その間を証明した人物として村崎百郎という故人がいいることも付け加えておく。

ボクは村崎百郎さんに「南さんとお付き合いできるなんて、なんと羨ましい」と、森園みるくさんのご自宅で、暖かいふんわりとした手で握手をしてもらったことがある。

いまでも思い出すと涙がこぼれてしまう。


なんとも不思議な縁だ。

しかしそういう縁なのだから大事にするより他にない。

小説の師匠でもあり友人でもある津原泰水との縁も、彼がボクがエロ漫画家であろうとも等しく接してくれたおかげでもあるし、綾辻行人や牧野修という先輩方に覚えてもらっているのも、どうやらボクらが描いたり書き続けている結果である。



だから森村先生の「書き続けなさい」という言葉は、どうしたって正しい。



いつかスピーチをと頼まれたら、もちろんこのエッセイをベースに話をするつもりだ。


人を楽しませてなんぼの商売だからね。

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